蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№623 ことば、孤独

夢の沖に鶴立ちまよふ ことばとはいのちを思ひ出づるよすが  塚本邦雄

 

 

 

4月6日

昨日、JK剣士から画像が送られてきた。洋梨が詰まれている光景である。「ぜんぶちがう洋梨」とひとことお言葉が。Organic Bosc Pear, Organic Bartlett pear, Flammingo Pear… おおおおいしそう…ハハは洋梨が大好き。鳥取県といえば梨。初夏の二十世紀、秋の赤ナシ、今もあたご梨というメチャデカい梨が入手できる。でも洋梨がいちばん好き。JK剣士の母に対する愛を感じ… しかし。この前に送られてきたのは機内食の写真。ハハには食べ物の写真だけが届く。いったいいかなるワケ?解せぬ。

 

長女ぶーちーも元気にやっている様子。今日はみんながうける例のエイゴの試験に挑戦らしい。ごくろうさんである。午後から一緒に出かけることに。国立博物館三井記念美術館の展覧会を狙っていたがまだ始まっていなかったので、近代美術館の「あやしい絵展」を見に行くことにした。ハハは上村松園がスキなので第一のおめあては「焔」、ズバリこれで決まり。

この時期、美術館は連休にかける意気込みが強すぎるためどこも今ひとつ。「春先はやっぱり冷えるよねえ」という程度のことで、こんなことはまあ当然である。
昨年は三菱一号館美術館で数年ぶりに曜変天目(*国宝の茶碗です)を見るのを楽しみにしていたのに、延期になってしまってのた打ち回るような苦しさを覚えた。そんなら静嘉堂文庫に直接行けばいいんであるが「二子玉川」とか言われると地の果てのような気がして、イナカ者にはハードルが高い。

東京の方で、鳥取県中部の倉吉に来たことがある人にちょくちょく出会う。鳥取県は東西に長いので、各種団体のみなさまはまんなか(中部)の倉吉市で会を行うことが多いらしい。西部の人が東部の鳥取市(県庁所在地)に向かうと約2時間かかるが、中部だと所要約1時間だから両極の人に配慮してあげてるのだろう。ちなみに私が所属している認定ヨーガ療法士協会とっとりには中部と東部の住人が存在しないので、私にはまったく関係しないルールである。

しかしこの倉吉、なんにもないの。ほんっとになんにもないの。
ちなみに私は流れるプール・倉吉市民プールに年に一回行くか行かないか、そしてJK剣士の試合があれば倉吉市営武道館に行く程度。ここに来るハメになった都会の人の驚きの声「いやー、ホントになんにもなかった…」を耳にするんだけど、そりゃそーだよなと思う。ほんとうにお疲れさまでございます。県民ですらほとんどいかないところへわざわざお運び頂きまして… ということで、現在鳥取県民である私にとって「二子玉川」という場所はたぶん都会の方の「倉吉」に近いものがあると思う。いや、なんにもないって言ってはないです、ただこのはるばる感が。


大阪の藤田美術館は休館中だしさ。でも曜変天目がじかに見られる国にいて、日本人でほんとによかったなと思う。世界中に工芸好き、ことにやきもの好きの人は多かろうと思うが、ヨーロッパなどのカタいなかにも私のようなイナカ者がいて「あああ、俺も曜変天目をこの目で見てみたい!!!」と思いながらのた打ち回っているであろうことを想うと親近感を覚える。だいじょうぶだよ、私が代わりに三碗すべてを見るから!まかせといて!

…………………

と、いうことで夜、宿に戻ってから書いてます。

近代美術館が、私のカランコロン音がするようなすきまだらけのアタマのなかでほかの建物とごっちゃになってた。上野に行って休館中の西洋美術館の前に立ったときはじめて「あ、もしや」と思った。ここじゃないやんか!
ぶーちーに調べてもらったところ「焔」は5月の連休明けまで見ることができるというのでその場であっさり目的地を変更し、日比谷線に乗って入谷までいった。

入谷にはCAFFE VITAの門脇師匠が焼いた豆が納入されているDAVIDE COFFEE STOPがあるのです。数年前お兄ちゃんと来て以来。カプチーノを頂きながら門脇師匠に「営業活動に来ております」とご報告したら、即「そこは既に営業済み」とバッサリ斬られた。さすが師匠はご容赦ない。東京でなかなか飲めない美味な味を堪能したのち身分?を明かし、おしゃべりを楽しんで帰路に就いた。すごくいいお店で、オーナーの方の笑顔が素敵でとってもお優しいのです。ホットサンドもすごく!美味しいから! 
門脇コーヒーが飲んでみたいのに飲めていない東京の方も、もう信者になっている方もぜひ行ってください。おススメします。



今日は朝から何人もの方とご一緒させて頂き、ひとりお籠りして孤独に文字を連ねる寂しさが解消した。実は昨日の夕方あたりすごく寂しくなっていた。

ああ、いまここにあんこかういろ(*我が家のサービス精神の足りない猫たち)がいたらなあ、JK剣士がダジャレを聴かせてくれたらなあと、なみだがこぼれそうだった。ねこ恋しいとはこんな気持ちだったか。毎日ほんとにこいつらうるさいなあと思っていたが、深く反省。あんこもういろもJK剣士も、いつまでもハハのそばにはいてくれない。ハハは自立しなくっちゃ。

っていうか、「私がいるやないか」っていう絶対者の声が私の中心から聴こえてくる。でもときどきこうして迷子になるから、やっぱりYogaはやめられない。

入谷のあともおもしろいことがいくつもあったので、続きは明日書こうかな。

 

 

 

№622 逆らわない

逆らえぬ感情には従うがいい
それが束の間のものであろうとも  谷川俊太郎

 

 

 

 

4月5日
海の向こうで元気にしているであろうJK剣士のことを、ハハは一応考えている。
昨日送られてきた画像を見ると顔がフクれてきていたので、デブ化が進行していることは間違いない。出発前にこの宿のこの部屋で「することないけん」といって超キツめの体幹トレ(私がクライアントさんにやらせたら、即認定資格取り消されそうな拷問系ナーヴァ・アーサナ=舟のポーズ)を行っていたが、ウキウキワクワクLAライフではすることがいっぱいで体幹トレが入り込む隙間はないだろうし、そもそも稽古をやっていないのだから昨年の「感染症で稽古禁止」期間のアゴのラインが曖昧なはちきれんばかりのJK剣士をもう一度拝めるかもしれない。帰国時迎えたとき、思わず「うわっ!デブったなあ~」と言ってしまわないように今から心しておかねば。

そういえば京成線で成田に向かっているとき「日本の電車はいかん」と言っていた。「なぜに?」と問うと、列車の最後尾のドアの部分が出っ張っていないからという。
はい、ここでピーンときた人、あなたはさすがです。そうです、まさにそのとおり。
007が飛び乗るのに困るからだそうであります。ちょっとステップつけて、手すりを設置しておけばそれでいいらしい。ドアの開閉はJR境線のようにボタン式で行うのですか?と聞くと、「いや、銃でぶち割って乗るので窓さえあれば問題ない」とのことでありました。ステップ、手すり、防弾や強化ではないガラスの窓。乗客の皆様の安全のため、ガラス飛散時の対策については御社で十分に討議を重ねておいてください。007が巨悪と闘う以外の些末な事故は未然に防ぐことが、ミッションコンプリートには重要であります。がんばれボンド!
ハハはこの話を聞いていたら、成田に向かうのどかな風景を見ながらマティーニを飲みたくなった。ノットステアで。

 

 

今朝はどうしても谷川俊太郎の詩、「水脈」が読みたくなった。
昨日本屋さんで詩集が三冊も文庫になって並んでいるのを見たからか、それともここ数日の心持がそれを望んだのか。谷川は超有名な詩人なので、ちゃんとネットの世界で全文がすぐに読める。この詩が収められている詩集「手紙」は1984年に出版され、今は思いっきり絶版である。なんと私が小学生のときに出版されていて、手に取ったのは高校生のとき。今でもその本は大事に本棚の奥にしまわれていて、そんな昔の本だとは思えない。

 

昨夜はバーバラ・ブレナンの本を遅くまで読んでいた。昨年、マスターマリコから靈氣を伝授され、Hさんにエネルギーワークをして頂くようになって初めてこの世界に足を踏み入れたように思って来たが、ブレナンの本を読むことで、私がYogaの世界で親しんできたものとエネルギーの世界に橋をかけてもらえたような気がした。けっきょくのところそれしかなくて、大事なものはひとつなのだから当然と言えば当然である。

 

だれもがみな子供時代に傷ついた心をもってここにいる。そして世界が見せてくれることに、過去に起因する、多くは無意識の恐怖と共に“反応”することになる。
「こわい」と思うことは悪いことじゃない。でもせっかくこの世界に生きているならば「こわくないよ」と言ってくれるひとに出会って、そっと手をにぎって欲しいと思う。私も自分に与えられた役割を通じて、そっと誰かの手をにぎりたい。ほんとうは仕事ってそういうシンプルなものなんじゃないかな。

 

「逆らえぬ感情には従うがいい」と語り、「ときとしてみつめあう」ことしかできないという。でも、心は最も深い水脈へと流れ込みいつか花となって、大気のぬくもりと溶けあうだろうと。なんという深い慰めだろう。

私はいつも自分の思うところに従ってきたから、そのせいで多くのひとを傷つけてきた。傷付いたと思う以上にひとを傷つけてきたと思う。「あなたはがまんができない」と言われて来たけれど、私にそれを言いがまんを勧める人の心身の悲惨な状態を目の当たりにして、魂を押し込めるようながまんのリスクがどれほど深いかを教えてもらった。

人間が人間の都合で勝手に決め、誰かを隷属させることで表面的なものごとをうまく回そうというルールには従いたくない。
今以上に未熟な私が傷付けてきひとたちに償いはできないかもしれないが、これから出会っていくひと、今ともに生きているひとの目のなかを覗いて、私がいまこの瞬間どうするのがいちばんいいのかを絶対者に訊ね、そのことでどんな不利益をこの世で被ってもいいと、思い定めて生きたい。

こんな私であっても、きっとそっと手を握り、目を覗いてくれるひとがいる。そういう存在をもつことはだれにでも許されていて、難しいことじゃないんだということを、だれかにそっと囁き続けるような、そんな仕事がしたい。

 

 

「水脈」  谷川俊太郎

 逆らえぬ感情には従うがいい

 それが束の間のものであろうとも

 手をとらずにいられぬときには手をとり

 目の前のひとの目の中に覗くがいい

 哀しみと呼ぶことで一層深まるひとつの謎

 生れ落ちてからこのかたの日々のしこり

 そのひとしか憶えていない黄昏の一刻の

 闇に溶けこむ暗がりにうつるあなた自身を

 一人がひとりでしかありえぬとしても

 私たちの間にはふるえる網が張りめぐらされていて

 魂はとらわれてもがく哀れな蝶

 だからときとしてみつめあうしかないのだが

 どんな行動も封じられているその瞬間に

 かえって私たちは自由ではないのか

 慰めの言葉ひとつ浮かんでこないからこそ

 心はもっとも深い水脈へと流れこみ

 いつか見知らぬ野に開く花の色に染まって

 大気のぬくもりと溶けあうだろう

 ~詩集『手紙』より

 

 

コアライトヒーリング 上: 究極の光の手

コアライトヒーリング 上: 究極の光の手

 

 

№621 すべて愛の行為

とほく聴く四声のカノンいづこよりまじりきたれる一声ありき   中山明

 

 

 

4月4日
マスターマリコから二枚の画像が送られてきた。JK剣士が写っている。
数日前にハハがJK剣士に送ったスタンプにはいまだに既読がついていない。よしよし、あっぱれである。その調子でいこう。

さて写真には、肩に白い鳥を乗せたJK剣士が写っている。ハリーポッター?いや、フクロウみたいに大きい鳥じゃないんだけど。その数時間後、メチャカッコいい髪型(ハハの脳内で浮かび上がったのはChaka Khan)をした可愛い女の子と一緒の写真が送られてきた。インコ二羽と先程の白いのはどうやらオウム? えーと、この女の子はマスターマリコのお嬢さま・Aちゃんじゃないよな…。

さすが、マスターマリコ。画像のみで他の情報は一切なしである。送り込んだこちらも「どうぞよろしくですー」という旨のLINEを二回送っただけで他は一切JK剣士任せ。JK剣士のまわりのおとなはみんなこんな感じ。そもそも一緒にいるときは接触が過剰すぎるらしいから、これくらいでちょうどいい。なにごともメリハリが大事ってことで。

 


昨日からとあるネガティブ感情が湧き上がっているので、鼻の調子がイマ一つ。このままいくと肺に症状がおりてしまうので用心しなくては。テンション低めだし一日部屋に籠ってVITAコーヒーだけ飲む断食をしようかと思っていたのだが、さすがにそれもちょっとどうなん?!と自分で自分にツッコミを入れて、品川アトレにある高級スーパーに行くことにした。もうさすがに近所のコンビニのお弁当はイヤっていうか…。昨日は仕事着(Easy Yogaの上っ張り)で泉岳寺にもおまいりしたのだがさすがにそれはちょっとな、とちゃんと着替えて行った。

いや、すごいね、トウキョウってホントに。我が家で愛用の井上醤油店(島根)の古式醤油もあるし、最近米子では手に入りにくい木次乳業のバターまである。くっそう、ないと思ったらこんなところに来ておったかと思わず買いそうになったが、「いやいや350gものバターを買ってどうする気なんだ?!」と内的葛藤の末グッと堪えた。でもここに白バラはなかった。今日はどうしても白バラ牛乳でミルクティーが飲みたかったのに、残念である。

 


参考文献は何冊も事前に送り付けてあったが(12冊)、入浴がてらや就寝前に読む本がない。どうやら出発時の荷物から抜けてしまったらしい。ヤレヤレである。仕様がないので昨晩は「正法眼蔵随聞記」とS・ヴィヴェーカナンダの「ラージャ・ヨーガ」を再読していたが、やはりこの二つの本は含むものが実に多い。いつ手にとっても新しい発見がある。しかしこの本では入浴時でも鉛筆片手、手の届くところに付箋紙を置いておかねばならないので落ち着かない。もうちょっと軽い本を入手するためにJR品川駅の書店に向かった。そこで見つけたのはバーバラ・ブレナンの本(上下巻)とエピジェネティクスに関する本である。いやどっちも娯楽本じゃないけど、これ買わなかったら後からゼッタイ後悔すると思い購入。娯楽本は悩みに悩んで多和田葉子の文庫にした。

部屋に戻り軽食を摂りながら先程入手したエピジェネティクスに関する本を読む。とても重要な情報を含んでいると思い速攻読了。すごく大事なことなのでメチャメチャかいつまんで書いてみます。

この本に紹介されている研究事例では、子育て上手なママ・ラットに愛され舐められ育てられた子は好奇心旺盛で自信のある子に育つ。このことに脳内の報酬系とかホルモンとかが関わっていて、その根幹に遺伝子が環境によって変化するという知見がある。ちなみに子育て下手で舐めてくれないママ・ラットから生まれた子も、養育が愛に溢れていれば生みの親のようにはならない。氏より育ち、遺伝子変化には環境が重要らしい。


遺伝子、って言われるとひっくり返せないような気がするがところがどっこいそんなことない。Yogaを適切に行うとエピジェネティックな変化が起こるという研究は既にあり、数年前の学会でインド人の研究者による発表があった。Yogaのセンパイ方って年齢不詳の魔女みたいな人がたくさんいるし、Yoga行者は世俗にまみれなかったら300年は生きられるっていうけれど、その秘密はこのエピジェネティクスにあるっていうことらしいよ。

うちの慧心師はもう70代だけど年々「それウソやろ」という気持ちにさせられ、毎年その思いを更新されているので「こんな単純なことの継続でそんなになるならYogaってホントに安いよな」としみじみ思う。私自身もいまの方が若いというご意見を頂くことがある。まー、リップサービスだとしてもうれしいよね。

じゃあどうしたらいいのってことですよね。手っ取り早いのは誰かと仲良くすることだと思う。インテグラル理論でも関係性やセクシャリティは大事だと言われているけれども、要するに人が生きるにあたっての健やかさに「誰かと仲良くできて、愛され、大事にされている感覚」が想像以上に関わっているということなのだろう。ところがこの、誰かに愛されるというのが実に複雑で高度な能力を要求することなので、ハナシはそうそう簡単じゃない。

では私からご提案。あなたのなかの、あなたが生きるうえでもっとも大きなちからを与えてくれるものとのつながりをとりもどして、「ああ!しあわせ!!」といつでも思えるように生体を造り変えちゃおう。すこし時間はかかるかもしれないけど、みんなやってきたから誰にでもできる。これが伝統的Yogaの道のはず。Yogaや瞑想も最終的にここにたどり付きたいのだと思う。そうじゃないと、やってるイミがない。


今日、高輪ゲートウェイ駅から宿に戻る道すがら、ネガティブな感情を感じることすらも絶対者の腕のなかで生きるにあたっては愛の行為でしかないよなと考えていた。
治癒よりもっと奥深いところに生きるということがある。私がどんなに愚かでも、ここにいていいんだよという声が心臓の鼓動となって絶え間なく聴こえてくる。この世を去るその瞬間まで聴こえてくるこの声に耳を澄まし、信じること。きっとこれが大事。

 

 

 

№620 香華を手向ける

人ひとり恋ふるかなしみならずとも夜ごとかすかにそよぐなよたけ  永井陽子

 

 

 

4月3日

JK剣士からの頼り(LINE)は、ない。
昨日午後1時、LA時刻21時半、安否確認のために、というのは真っ赤なウソで、単に文章書きの気分転換に「これを送れば反応してしまうに相違ない」と思われるYouTube動画をシェアしてみた。コケロミン・ネコが「ねこふんじゃった」を歌う動画である。

ケロミンご存知ですか?
ご存じない?ああ、そう。ならケロミンは?あらまあそれもご存じなくて? 
ケロミンはイグノーベル賞の授賞式に招待されたこともあるパペット型電子楽器。ご想像通り外見はカエルで、そこは裏切らない感じ。口の開きで音程をカエル、実のところすごくセンシティブでメチャ演奏が難しいのであろう楽器ケロミン。1匹49875円。

よんまんきゅうせんはっぴゃく… 高い。
ご安心ください、税込み、送料込みです!

ケロミンがこの価格なら「えーもうちょっと安かったらな」と思うあなたやわたしのようなひとがいるのは当然で、ちゃんとコケロミンという弟分がいる。9980円。うん、誕生日プレゼントにも最適ね。しかもコケロミンには仲間がいて、コケロミン・アマガエル(本家)、コケロミン・ピンク、コケロミン・ネコの三種類。いかにも猛毒がありそうなピンク色のカエルもいいが、世のネコ好きの心を鷲摑みするネコ型ロボット(耳あり)もいい。

いったいどのような歌声を披露してくれるのであろうか、ということで先述のYouTube動画に至るのだが…。気になる方は「コケロミン・ネコ」で検索してください、きっとすぐにヒットします。37秒ほどの動画です。見れば「うん。よし、明日もがんばろう!」という意欲が出てくるに違いありません。この動画を見ると、今この瞬間ガッ!と目の前の存在(それがなんであっても)に集中し、その語らんとすることに全身を耳にして聴き入ることができるはずです。いわゆる一種の瞑想状態と言えるでしょう。コケロミン・ネコ・マインドフルネス。


そして「これなら反応するやろ」という見立てどおりJK剣士から返事はきたが、「またヘンなの見よんな(米子弁同時通訳:また意味不明な動画を見ているのですね。ちゃんと仕事をしたらどうなのですか、母上。)」とバッサリ斬られ、その後一切音信不通。海外を経験中に親とLINEなどしてはいかん。1カ月以上先の帰国までコケロミンはおあずけ、今のところはこれで勘弁してやろうではないか。



さて今回ハハは長期滞在がらくちんな宿を、ということで泉岳寺のホテルに泊まっている。生きていて最も好きな家事が洗濯、という私にピッタリの洗濯機付きのお部屋。ほんっとに嬉しい。ま、洗濯という家事の大半は洗濯機がしてくれてるんだけどね。

昨年6月、しげにいちゃんと初めて将門の首塚に行ったときは、このすぐ隣のホテルに泊まっていた。高輪ゲートウェイ駅のすぐ近くで、浅草線泉岳寺駅はもっと近い。

長期滞在なので清掃などもこちらから日を指定して行ってもらう。それ以外はホテルスタッフが部屋にやってくることがない。「何時に掃除してもらうか、掃除のあいだどこに行くか」を悩むのは土地勘のないものにとって結構なストレスなので、とてもありがたいシステムだと思う。なので毎日、洗面所やトイレの簡単な掃除をするわけだが、こんなん家でも毎日やっとることでなんくるないサー。

今日は1階の集積所にゴミを捨てに行きがてら、周辺を散歩してみた。泉岳寺っていうくらいだからすぐそこにホントに泉岳寺があった。ここがかの有名な、あの。せっかくだからおまいりすることにした。
こちらは浅野長矩公と亜久里夫人、そして義士の墓所であるからして見学はお断り、おまいりするお心のある者のみ入ってよろしいという立札があり、ちょっとドキドキしながら伺ってみると、若いお坊さんがご丁寧にお声をかけてくださった。お線香を預けた竹の容器を手に、お殿様、奥方様、大石内蔵助さん、主税さんにまずお香を手向け、さらに45名の方の墓所ひとつひとつに香をそなえ手を合わせた。現世でのお名前と没年の年齢が刻まれている。20代の方も多いことをはじめて知った。

腹を切らねばならなかったから、吉良さんの首を斬って…というのは、私としては非暴力の教えに反することもあり同意できないが、お殿様のことを想って、自分たちが酷い目に遭うかもしれないと承知のうえで行動したっていうのはちょっとすごいなと思う。お殿様は既にお亡くなりになっておられ、インド風に考えるともう絶対者ブラフマン共に在るのだから「ただそのようである」という超越した心なのだろうが、それでも浅野公だった過去生をふりかえって個我として嬉しくなったんじゃないか。義士たちもやり切った感があっただろうな。

あまりこの事件に詳しくないが(少し本を読んで、ドラマをみたくらいのこと)、元藩士は47人しかいなかった訳ではないのだから、決行部隊に参加した者、参加しなかった人、みなそれぞれ最後まで心の中で大きなせめぎあいがあり、悩みに悩んでただそうであるように行動したのだと思う。人の心というのは決して一枚岩ではないから、強く決心したことが揺らぐこともあるだろうし、決心しておきながら何か他の要因でそのことを果たせないひともあったことと思う。

信じると決めたら他に一切耳を貸さない。私ならば。なんとなれば私は心の弱い者だから、いろんなひとのいろんな言葉を聞いたら心がぐらぐらに揺れて節を曲げてしまうかもしれないから。
そして誰を信じるかはアタマでなくハラで決める。ハラで決めてひどい目に遭ったら、それは絶対者ブラフマンの思し召しである。そして絶対者を信じられるようなハラを持ち続けられるようにYogaを行じ続ける。ここがズレていたら目も当てられない(Yoga以前は完全にズレまくっていた)。おまえをひどい目に遭わせたろうと絶対者が思うとき、それは間違いなく愛なのだから嘆く必要はない。


それでも、これは絶対者による愛なんだと確信していても、誰かにそっと抱き締められて、やさしくなぐさめてほしいと思うときはある。今日はそんな日だった。そんな日に絶対者が、私を泉岳寺に誘ってくれたと信じている。

 

 

 

№619 以心伝心

チューリップの花咲くような明るさであなた私を拉致せよ二月   俵万智

 

 

 

4月2日
本日引用した歌は「2月に使おう」と思っていたのに気付いたらもう4月になっていた。でもまだチューリップは咲いているからいいってことで。


今朝は朝3時に目が覚めた。成田からロサンゼルスまでの飛行時間はANAだと9時間50分だというから、JK剣士はまだ機上の人である。こんなふうに中途覚醒をすることは今はほとんどないので、なにかしらテレパシーがマスターマリコかJK剣士から飛んできたものと見える。しかし内容はわからない。この二人はどちらもコトバを超えたぶっとんだ存在だからね。

気を取り直してもう一度寝なおしたのだが、今度は5時40分にマジな電話が鳴った。これはヤバい。しかもマスターマリコから。いったいなにがあった?!

「出てこない」というマスターマリコ。ここでハハは重大な失策をしていたことが判明した。16歳のJK剣士がアメリカに入国するには、保護者が一筆書いた書類が必要だったんだって!場合によっては入国拒否で強制送還?アイヤー!

ポケットWi-fiを確かに成田で借りていったはずなのに、JK剣士と連絡も取れない。いつか映画で見たような光景をアレコレつなぎ合わせて、座り心地の悪いパイプ椅子に座らされてわかんない英語で責め立てられハナミズびしょびしょで泣いているJK剣士を…想像できない。まー、なんとかなるっしょと思っていたら「いた」とマスターからのLINE。

なんでもポケットWi-fiを使えるようにするための必要な操作が分かんなくてボーっとしてたら… 以下本人の語りです。

06:16  SiMの変え方がわからんくて

06:16  連絡出来んかった
06:17  声掛けてきた外人さんがSiM変えてくれた

06:17 いや、おらもSiM変えたいからピン貸してって言われて、あーーって言いながらスマホ渡したら開けてくれたっていう


本人曰く、これは以心伝心だそうです。実にいい話です。

JK剣士は英語の成績がイマ一つで、担任のエンちゃんに「海外に行きたいならもっと英語の成績あげておかないと!」とハッパをかけられてきた。三者面談のときふたりでそれをききながら「あー」とか言ってゴマかしてきたわけだが、JK剣士は英語の成績は悪くともカラオケでエド・シーランが歌えちゃうし、家でも踊りながらエドくんの歌を絶唱している。
そしてこの度もエドくんのお蔭でフツーになんとなくやりとりできちゃったらしく、「気分よかったで」と喜んでいた。エドくんはイギリスのひとなのにOKなんだね。

 

ちなみにマスターマリコのお宅にはJK剣士の妹分にあたるAちゃんがいる。JKがのんびり国際交流している間に「書類不手際で強制送還か?!」という騒ぎになっていたので、Aちゃんは「ママがそんなことだから強制送還になったんだ!」と怒り(そんなことってなんだ?)あらぬ嫌疑を受けてしまったというマスターマリコ。しかし入国審査では陰性証明書すら求められず、無事入国してただボーっとしていたというJK剣士。ほんとに申し訳ない…これからの滞在、いったいどうなることやら?!

 


JK剣士も無事目的地にたどりついたし、私も予定どおり文章を書き始めた。今、気分転換にブログを書いている。皆様ご存知のように私は元来アホなので、敬愛するお師匠方(規夫師匠、洋平センセイ、そして慧心師)のような本にはどうひっくり返っても、ならない。なのでいつものセッションで生徒さんに話しかけるような、そんな本にできればいいと思っている。

レッスンの初めには、必ず話をしてきた。今日、この日のそれぞれの様子をお伺いし、問いがあれば答え、伺った話に応じて何かしらの話をして実習に入る。ただ体操をするだけにならないように、自分で自分をなんとかできる「自分自身を見て、助け、支える智慧」を私も継承してもらったし、そのバトンを自分で止めないことを求められている。ただもっと話したいのに時間が足りないということはあるし、状況によっては直接会うことがままならない人たちがいるから、そういう方たちに向けてのラブレターみたいなものになればいい。

これまで多くの本に助けられてきたが、私にとってとても大事な3冊の本がある。
ぜんぜん難しくないのに、何年も、何度も手にとって考え続けた。それは頭での思考ではないものを要求してくれた本だった。そして、手に取るたびに違うものを受け取ることができる。

その三冊の本は以下のとおりです。
Yogaを学ぶなかで絶対者や迷妄の概念を理解するのはとても重要でありながら難しいけれども、そういう面で私の理解を助けてくれた本たち。

河合隼雄 「こころの処方箋」
デウス・ゴラス 「なまけ者のさとり方」
ディーン・リップルウッド 「バターはどこへ溶けた?」

 

 

こういう本を読んで、スートラなどの原典に触れて、そして帰ってくる。そうすると自分のなかの絶対者を理解する言葉が、優しくほどけていくような気がする。真実の理解というのは難しくない、月が水に宿るが如し、と道元禅師が仰っているのは、受け取るのに何の努力も要らないよってことだと思うんだけど、どうかな?

 

 

 

こころの処方箋(新潮文庫)

こころの処方箋(新潮文庫)

 

 

 

なまけ者のさとり方 PHP文庫

なまけ者のさとり方 PHP文庫

 

  

 

№618 Departure

音荒く雨ふる夜明け胸という一まいの野を展げていたり  杉崎恒夫




4月1日

JK剣士がいよいよ出国。昼前に成田に向けて移動を開始した。
今回もハハは「これは言っとかないとマズいよな」と思うことだけ伝達し、後は丸投げである。そうしたら空港に到着してからあれこれすったもんだした。ヤレヤレ。

 

まずはPCR検査である。たぶんなにかほかにも手があったと思うのだが、出国予定日の前日に上京し検査を受け、出国までに証明書をゲットする、というタイトなスケジュールを敢行したためにやたら費用がかかった。価格を聞いたとき思わずヘンな声が出るくらい高かったが、仕様がない。必要経費である。時間をカネで買ったんだ!

英文の証明書を催促しまくって、今朝方ようやく届いた。はーヤレヤレと一安心してANAのチェックインカウンターでそれを提示したら、お姉さんが何やら怪訝な顔をしている。検査を受けたのはいつですか?と訊ねられたので、昨日ですがと答えて示されたのは、MarchじゃなくてMayって書いてある日付の部分。JK剣士よ、渋谷から未来に行って検査を受けてきたのか…!ってそんなことあるわけないじゃないですか。速攻ハハが怒りの電話をかけたところ「今から5分以内に送ります!!!」という某クリニックのお兄さん。ちゃんとそのとおりメールは届き事なきを得た。

JK剣士はチェックインカウンターが開く前に「ここはまだ日本なんだからママはもう帰っても大丈夫」と自信満々に言っていたが、実際のところはまだ16歳だから保護者の署名がいる書類とか、事前に登録していないといけなかったのにやってなかった手続きとかいろいろあった。午後の予定をキャンセルして付き添った甲斐があったよ…。

16歳までにひとりでの海外渡航を経験させたいと思って来たけれど、今日ANAのおねえさんに「お子様のひとり旅ですので、客室乗務員の目が届くお席に変更しましょう」とお声がけ頂き、「そうか、16歳のひとり旅というのは国内線でいうところの“ジュニアパイロット”とおなじようなものなんだな」と思った。このご時世なので乗客数も非常に少なく、三人掛けの席をひとりで使えるという。いいなぁ。

今これを書いている時点で搭乗から4時間半が経過したところ。空のうえでどんな経験をしているだろうか。ここに書いたのはすったもんだのごく一部で、他にも事件はいろいろあった。今回は大いに周囲の大人の手を煩わせたが、二回目はすべてを自分で、三回目は費用も含めてひとりで何とかせいと言い渡した。
行くと決めてから今日までの約1週間で色んなネタが続出で、十日分のブログが書けそうである。しかしそんなことしたら「平常心で剣の道を歩むJK剣士の日記」になってしまうからこのネタはここまでね。

 

 

JK剣士を見送って帰る道すがら、今朝方ある方が下さったお言葉とその方の(私が伺っているかぎりのごくわずかな)来し方に思いを致し、Yogaの教えにある「困難のない人生を望むな」ということについて考えていた。

人は、いや、私はと言おう。なるべく面倒なことやイヤな目に遭わずに生きられたらと思ってきた。平穏無事にいい気分で毎日が送れたら言うことないよな、という平凡なのぞみ。

でもこれってほんとに平凡なのぞみなのか?
もしかしたら、大それた傲慢なのぞみなんじゃないのか。

先程のYogaの教えに戻る。
祈るならば(生きているとときとして祈ることしかできない)、我が人生に困難の無いことを祈ってはいけないといわれている。こんなことが起きなければいいのにとか、もっと違う状況だったらいいのにさー、ということも思うな!といわれるばかりか、そんな思いこそが病気だと言われてしまうのがYogaの世界だ。

ものごとは起こるべくして起こるべきときに起こる。絶対者のお仕事は常に緻密で水も漏らさぬ如く、偶然などひとつもない。だから愚かな私がこの困難を乗り越える力をお与えください、私に越えられぬ困難を絶対者はお与えにならないことを信じ抜く強さを授けて下さい、と祈る。

これまでJnana Yogi慧心師から数多くの瞑想のお題を与えられてきたが、私が大きな衝撃を受け今も最も好んでいるものは、「愚者は不幸を嘆く」というお題。私は愚かであるから、今、目の前にある事象が「不幸」に「見える」のだが、実際は恩寵しかない。

でも生きていると、ときにそんなことを想えなくなる瞬間があり、だからこそ転んだり泣いたりすることができる。そのあとに立ち上がり涙をぬぐいながら、また改めて与えられた言葉や教えの深い意味に思い至ることができる。

 

いま現在どんな関係性にあろうとも、なかなか出会うことができないひとも、この瞬間私の心のなかに想起するそのことをもって、心の底からありがたいと思う。

JK剣士は昨年彼女なりの地獄を見た。その結果として生じた今回の経験を存分に味わい、いついかなるときにも自分がしあわせであること、そしてそれを自分自身の深いところで忘れずにいることを、時間をかけて学んで欲しい。

 

 

 

№617 暗号

哀しみと愛しみはひとつ遠く夜の古木ま白き桜花を噴きぬ   川野里子

 

 

 

3月31日

JK剣士が米子空港から飛び立った。私もめったに乗らないJR境線の無人駅から、鬼太郎電車に乗りこんで一緒に出発。昨日食べられなかったうどんは米子空港内のお店で食べることができた。乗り込んだ機内はほぼ満席、到着した羽田空港から乗った京急線も立っている人がいるほどで、こんな光景は久々に見た。

 

品川駅で長女ぶーちーと再会し、カフェで歓談しながらチェックインの時間を待つ。久々のふたりの絡み合いを見ていると、なんともうれしい気持ちになった。チェックイン後、ぶーちーに付き添ってもらって出国前のPCR検査を受けに渋谷へと出かけて行った。

 

 

今回ハハはJK剣士がいないため長期滞在を決めたのだが、こんな日数を家以外のところで過ごすのは妊娠中の入院(×4回)と某国営企業の臨時勤務以来である。滞在先でガッカリしたことにならないように頭を絞ってなんとか準備をした。まずはコーヒーである。なにを置いてもとにかくコーヒーである。なんとミルまで事前にホテルに送った。準備した400gの豆で、次に本社に出向くまでなんとか持たせないといけない。ま、これさえあればあとはなんとかなる。

 

しかし初渡米のJK剣士と東京初長期滞在のハハは二人とも意気込んでおり、いつも出張ではギリギリまでパッキングができていなくて大慌てになるのに、今日はタクシーが来るのをいまかいまかとまつような状態だった。やればできるじゃないか!いつもこうすればいいじゃないの、ねえ。

 

 

さて昨夜も準備をしながらJK剣士とアレコレ面白いハナシをしたので、ここに書いてみようと思う。
アメリカではダンスができる男性がイケてるらしい。素敵な恋人をゲットするため必死にダンスを習う男性が登場する動画を見せられた。練習を重ね、満を期して?日本でいうところの婚活のようなパーティーにやってきて、女性にダンスを申し込み踊ったまでは良かったが、まだ今一つダンスがヘタだったゆえに速攻フラれてしまう。

そのことに関してコメント欄で「男性にそこまで求めてひどすぎる!」という意見があったそうなのだが… 
ハハの意見は「動物界はもっとキビシイでしょ」というもの。

だってクジャクのオスとか、あんなハデな有り様になったのはそもそも求愛のためだもんね?他の動物のオスも歌ったり踊ったり派手な姿になってみたり、それはそれは努力していることを先日ある過激なタイトルの書籍で知った。あまりにも涙ぐましいその行動に驚くとともに感動したのである。

それとダンスを習得するっていうのは、この人間社会で生きていく上でも決して損にならないはず。しかもボケ防止にも最適ですよ!対人関係を構築する能力が上がるだろうし、目の前のひとの様子をよく伺って導く心遣いもできるようになるだろう。男性の場合は女性をリードする必要があるので空間認識能力などもアップするのだろうと思う。実にいいことばかりなのでがんばって頂きたい。

この動画を見ながらJK剣士と二人で「日本の合コンとかよりずっといいんじゃないかな」と話していた。感性も磨かれるし、ガッツリ踊れば体幹も鍛えられそう。

 

 

今日、京急線で品川へ移動しているとき、座席の横に本が忘れられているのにJK剣士が気付いた。ブックオフの値札シールが貼られたその本をひっくり返してみてみると…
なんだったと思いますか? JK剣士は参考書だと思ったらしく、駅員さんに届けなきゃと思ったそうだ。

その本は「ゴルゴ13」だった。

なんとなく無言になるふたり。
きっとこれはなにかの暗号で、「京急線羽田空港国内線発、〇号車の進行方向からみて何番目の座席に置いたゴルゴ13の、〇ページを見よ」みたいなスパイ同士のやりとりのために置かれたものに相違ない。きっとそうだ。だからウッカリこれを元の場所から移動させちゃったりしたら、明日成田から飛び立つことが危うくなるかもしれない…
ということでもとあった場所にそっと戻して、品川駅で降りた。大事なミッションが無事コンプリートされ、誰かの安全が守られたことを祈る。

 

 

この世はとても多様な世界で、いろんなひとがいろんなこころを持ちながら生きている。先日出版された「インテグラル心理学」の帯に「すべてのものに正当な居場所を与える。」という素晴らしい言葉が書かれていたが、理解できないひとや怒りを覚えてしまうような人、会うのも怖いと感じてしまうようなひとにも、ちゃんとした居場所が必要だ。

じぶんのこころのなかで妄想を弄ぶことなく、世界の小さな顕現であるわたしのなかにもその人たちの居場所がなくてはならない。そのためには妄想で恐怖をこねくり回さないことだ。顕れている行動の奥底に、間違いなく存在しているその方のいのちそのものに、私も寄り添っていたい。どんなに悪いやつだと思われたり、バカなやつだと思われてもいいから、誰のなかにも住まいするアートマンが、確かにわたしのなかにいてくださることへの畏敬の念と、今私がする経験はすべて恩寵だという思いのなかに、日々を過ごしたい。