蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№479 全存在として


水蜜桃(すいみつ)の汁吸うように愛されて前世も我は女と思う  俵万智

 

 

 

名古屋市金山に滞在中。1999年、ここに名古屋ボストン美術館ができたときに来て以来。美術館は2018年に閉館したとのこと。
昨夜は空気が冷えていたのか、濃尾平野の夜景が潤んで見えてとても美しかった。長崎出身の私は、山の上にある学校から「鶴の港」と称される長崎港を望む夜景を見ながら高校生活を送ったせいか、夜景がたまらなく好きだ。新神戸駅のそばにもANAホテルがあるが、そこから見る神戸の夜景もとてもきれいだ。神戸と長崎の夜景は似ていると言われ、私もそう感じるので、神戸という街が好きなのかもしれない。

今日はこれから神戸に移動し、終日、御影公会堂でのレッスン。
重厚で美しいこの建物でレッスンができるのは、とてもしあわせだと思う。二間続きの広い和室は、昭和の時代には結婚式にも使われていたそうだ。「火垂るの墓」の舞台でもある。
阪急御影駅近くの香雪美術館も素晴らしいし、なによりこのあたりには美味しいものがたくさんあるらしく、どれも老舗の、もなか、コロッケ、揚げかまぼこ、食パン(2斤のブロック!)などを頂戴したことがある。とても美味しい。また、筋金入りの宝塚ファンの方が多く、伺うお話がとても興味深い。

 

 

さて先週の東京滞在中、今回で2回目となるたつのゆりこさんの施術を受けてきた。
https://www.yuriko-tatsuno.com/

女性男性問わず、この施術のことを語りまくっているので、既に予約を入れた方、これから行くと決めている方、遠方でなかなか行けないのでせめて書籍を読んだという方、セルフケアを始めた方などがおられる。残念ながらたつのさんは女性のケアしかしておられないが、男性向けのケアをなさっておられる施術者も、ちゃんと存在するとのことである。よかったですね、男性の皆様!安心しました。

私の周囲には対人支援者の方が多いわけだが、こういったケアを体験せずに女性の健康や幸せを語るなかれ!と思ってしまうほどインパクトのある施術なので、勇気?を出して一度受けてもらいたい。

中高年女性に対するケア、とあるが、正直言って今の20代、30代の女性は健康とは言い難い。現に冷えや生理痛、生理不順、不妊に悩む人は、婦人科に通うよりも、こういうところで自分のからだとの向き合い方を実践的に学ぶべきだと思う。40代後半の私は、自覚的、慢性的な症状は一切なかったが、もっと早くからこれを知っておきたかったと強く感じている。学校の保健体育の授業に取り入れればいいのに、と思う。まあ無理だろうが。

 

 

日本女性のシャドウは根深い。暗に示されている「女はこうあるべき」というイメージを払拭して自分自身の生を切り拓くのは、この国ではとても勇気がいることのように思える。

しかしいいニュースもある。しあわせに生きている女性は確かにいて、まるで隠れキリシタンのように、自分自身のアグレッシブな選択とそこから得られたポジティブな恩恵を語らずに棲息している。同時に、そこから生じる苦悩とも対峙してきているからこそ生まれる、陰影のようなものをもっておられるように見える。そういう女性は実に魅力的である。
見ようとしないと見えない世界というものが、確かに存在するのだ。これはグロスの領域にも、確かに及んでいる変化。

 

 

たつのさんの施術を初めて受けたときに聞いた、過激な発言のインパクトが大きすぎて思わず笑ってしまった。しかし、とても深い。
曰く「同じ屋根の下で、同じご飯を食べている男性とセックスできるわけがない」。

なるほど!と膝を打つか、なにを言ってるんだ!と怒るか、人はどういう反応をするものだろうか。
ちなみに私は大ウケした後、神妙な気分になった。もちろんこれも世界の部分的な見方のひとつに過ぎない。親密な家族として生活しつつ、恋人のような関係性を保っているご夫婦も(たぶん)この世には存在する(はず)。あんまり信じられないが、奇跡もある。
しかし、こういう穿った視点をまったく持てない場合、世界は牢獄のようになってしまうだろう。私自身、自覚がある。もういいかな、別にこのまま死んでも、という無感覚。

 

たつのさんご自身はまだ著作がない。監修なさった書籍はある。こちらも十分過激だが、読んだ女性は救われると思う。私のように。だから、たつのさんご自身の言葉ならばもっとインパクトを与えることは間違いがない。この社会に対して言ってやりたいことはたくさんあるが、過激すぎて受け入れられないだろうと仰る。だから今は、個に対するケアに専心しておられるのだろう。変化した個が一定数を超えれば、何かが起こるかもしれない。

 

 

ヨーガ教師として、肉体からアプローチし存在そのものに働きかけることを生業としているが、人を全存在として捉えることを常に意識し、取り組んでいかなければならないと感じる。私自身の意識から排除されているものは、決してケアできない。私自身がひとりの人間として生きることそのものが、人に対するケアに繋がっている。道浦母都子の歌のように「全存在として抱かれいたる」という関係性を公私で育めるかどうかが、自分自身の仕事の質に関わっていくような気がしてならない。


昨晩たつのさんの話で盛り上がったクライエントさんの発言が、これまたおもしろかったので書き留めておく。
「おぼこい男は危ないんだよなあ」
うん、ほんとに。私には20歳になったばかりの娘がいるが、その娘にも聴かせたい名言である。

ちなみに「おぼこい」とは、名古屋では「初な・子供っぽい」、三重県四日市では「幼い、世間ずれしていない」という意味で使われる方言である。 

 

f:id:Yoga_Lotus:20201116071917j:plain

名古屋・金山。21階から見る朝の景色。

 

№478 新しい二の腕

逢えばくるうこころ逢わなければくるうこころ 愛に友達はいない  雪舟えま

 

 

先日インテグラル仲間との会食を行った際、初めてお目にかかる女性がおられた。
話の流れで仲間のひとりが私の前職を明かしたところ、なぜか私の二の腕の話になった。ちなみにその時、ノースリーブの服にショールをかけており、腕が見えていた。
自衛官っぽい二の腕ってなに?

 

訓練で使っていた64式7.62㎜小銃(当時。今はどうか知らない。)は重量が4㎏くらいあったような気がする(あんまり覚えてない)。女性自衛官は、身長が150㎝以上なければ公式には採用されないから、169㎝ある私はその特殊な集団のなかでも大きい方。男子と混じって並んでも一番小さいグループには入らない感じ。これくらい身長があると、重量のある物品でもなんとか取り回せる。

三か月に一度ほど、30㎏で一袋と呼ばれる玄米の巨大な袋を抱えて運ばねばならないのだが、それも一応持てる。でも3㎏くらいのものを持って走り回る方がずっとつらい。身長が小さい人はほんとうに大変だと思う。

と、いうようなことが走馬灯のように頭のなかを駆け巡った。が、いやちょっと待って。

退職して今年8月1日で満12年。私の身体の細胞は相当の割合で入れ替わっているはず。筋肉の付き方も、体脂肪量も全く違っている。心身に対する知識と経験の量も多少は増え、今の自分は多少の時間をもらえさえすれば、自らの肉体部分に関しては如何様にも変えることができるという確信の下に生きている。ただしこれは厳密に体型の話であって、複数の要因が絡み合う病気という複雑な事象に関しては、分けて考えていると思って欲しい。女性の味方・O先生もいてくれるので、自分の取り組みで不足している点は補完指導してもらえるため、状態は常にアップデートされいい感じである。


なので、今、私は基本的に自分の肉体に関してほぼ何の不満もない。自己採点98点? 体脂肪が少ないことと、次女への授乳期間が長かったせいで失われた身体全面上部の肉が少ないことは、まあ良しとしようではないか。相反する方向性を同時に求めることはできないんだからさ。

 

 ヨーガは体操ではない。
先日O先生に、日本ヨーガニケタン発行の、書き込みだらけで、しかも何やらこぼしたらしくシワシワになっている「ヨーガ・スートラ 第一章」の冊子をお見せしたら、「やっぱりヨガは体操じゃないねえ」としみじみ仰っていた。だってヨーガの世界におけるこの重要文献には「ヨーガシチッタブリッティニローダハ」って書いてあるじゃないですか。ヨーガは心素の働きを止めることなんですってば。

 

 

人の苦しみも喜びも肉体に宿る。
私はヨーガ(と中野先生とウィルバー)に出会う前、自分がほんとうは何を考えているのかがわからなかった。目の前のひとが自分に何を求めているのかを推測ばかりして(しかも推測だからかなり間違っている)度々死にたくなりながら生きていた。自分の心というものがあるのなら、そこにはいったいどんなものがあるのか知りたいと思った。幸いなことにその後、人の心のその哀しいばかりの弱さや醜さ、そして愛おしさを学ぶことができて、今こうしてここにいることができる。

ヨーガ/インテグラル理論以降の私は、心というもの、そしてそこから生じる影のもつ恐ろしさを尊重して生きている。自分のなかに生じる感情の両側面を大事に掬い取って生きたいし、そのように生きなければ間違いなくしっぺ返しを食らうことを、嫌というほど知っている。それはどんなひどい人に騙されることよりも、つらい経験となる。

 

愛が大きければ、寂しくなる。喜びが大きければ切なくなる。
私が寂しさゆえに床に伏してひとり泣くとき、心の奥ではその感情を生ましめた大きな愛があることを知っていて、泣くことすらも惚気みたいなものであることを知っているのだ。寂しくない状態を知っているからこそ、寂しさに泣くことができる。それはとても贅沢なことで、人は満足を知りながら、感情の波と共に豊かに生きているんだなと改めて思う。

 

アサナで肉体と向き合うことは、自らのなかの感情の大きな力と共に在ることへの、誓いのようなものだと思っている。肉体に感情が宿り、感情の動きと共に心が立ち現れる。心の働きが悪いわけではなくて、働きの質を劣化させ、自分や周囲の人を苦しませる過去という素材そのもの、そしてとある素材への執着を克服するための、継続した取り組みがヨーガである。その取り組みの結果手にすることができる心の穏やかさや、他者への愛がヨーガである。

 

ということで、ヨーガを達成するための手段のひとつとして、できうる限り毎朝、私はカラスや杖になり、テーブルや魚になってみたりしている。頭立ちなどもやってみる。
自重を支えるこのごっこ遊びの結果、いまのような二の腕になっているが、たぶんここに64式小銃や戦闘訓練はもう関与していない。

と思うんだけどなぁ。

 

 

f:id:Yoga_Lotus:20201115154107j:plain

ヨーガ・スートラⅠ-2。療法士必須のテキストから。

 

№477 秘密の場所

「また電話しろよ」「待ってろ」いつもいつも命令形で愛を言う君  俵万智

 


出張8日目。これから名古屋に移動し、不測の事態で前回のセッションをキャンセルさせて頂いたクライエント様と、久々にお目にかかる。故人と同じ病と共に生きる彼女は、この度のことをどのようなご不安と共にお聴きになっただろうか。私の悲嘆を案じてくれているけれども、彼女のお心をこそお慰めしたいと思い、その為の時間になるようにと願っている。

東海地方に約10年暮らす間に、味噌煮込みうどん愛が高じてしまった(そして山陰では食べることができない。長崎ちゃんぽんと同じように。)ことをご存じなので、ご提案の場所が味噌煮込みの老舗・山本屋本店だった。いいのだろうか、味噌煮込み屋さんなどでダルシャナをしても。味噌が服に飛ばないようにエプロンをして? このシチュエーションは流石に初めてである。いいよね?きっと大丈夫よね…。

 

母が長く不在の留守宅では、昨日JK剣士が新人戦に出場した。
本人にも家人にもうるさく申し付けて試合の動画を送ってもらったが、1回戦は8分の延長戦(本来の試合時間は3分)の末勝利したものの、残念ながら2回戦は負け。しかも2本負け。2本も取られたよ…?

負けることは誰にでもある。が、2本は取られたくなかっただろう。団体戦で2本取られたら「いない方がまし」なんだそうである。負けるにしても1本で堪えるか、もしくはドローで終わるのが大事だと聞く(大将以外。大将は負けちゃダメ。)。初戦が延長戦でスタミナもしくは集中力が切れたか。中学生として公式戦を引退してから1年、感染症のせいで今回が高校生初の公式戦となり、試合勘はまだ養われていないだろうと思う。

なにも言わないが、昨年全国大会にまで出ている者として、この戦果は苦しいだろう。こういうとき言葉は無駄であるから、会って顔を見てハグをして、美味しいものを一緒に食べるしかない。母さんが帰るまで待っていておくれ。

 

さて昨日は都内某所(秘密の場所、と言われているところ)で、動画収録だった。
O先生とのライブセッションは常にぶっつけ本番である。「打ち合わせ」と称して頻繁にオンラインで話をしているくせに、話し合ったとおりに収録をしたことなどない。二人とも打ち合わせがどんな結論になったかすら覚えていないのである。「えーっと、どうすることにしてたんだっけ?」というやり取りが毎回繰り返され、「ま、いっか」ということになり、「とりあえずやってみるか」で本番である。

なので「今日は何分くらいの動画になりますか?」と聞かれても「わかりません」と答えるしかない。編集担当のO友くん、ご苦労おかけしてごめんなさい、またお菓子を買っていくから許してね。


生徒さんに対する私の指導も、たぶんO先生の施術も、常にライブでぶっつけ本番である。
今日この日(この天気、この気温、この場所)のあなたの顔を見る前に、教師が内容の組み立てをしているということは、例えば私が外科医だったら「よし、今日は手術の気分だ。ザクッといっとくか。」と朝コーヒーを飲みながら考えて、クライエントさんに会った瞬間に「今日は手術ですからね。もう決まってますので。」と言ってしまうようなものである、とこれは師匠が言った(私が言ったのではないが、激しく同意する。)。

動画なので、見ている人は、今はいない。いつか誰かが見てくれることを思いながらやるセッションは不思議である。Official髭男dismの名曲「宿命」の歌詞のように、「僕らの想い、届け!」と祈りながら、信じるしかない。私たちのやっていることの(今できうる限りの)質や、いつか見てくれる人が楽になった日のことを。

この秘密の場所での収録は、とてもリラックスして行える。最近気づいたのだが、私は性格上も、長じてから選択してきた学びや訓練によっても、アンテナを張りまくって生きているようだ。場を同じくする人の、痒いところに手が届くように在りたいと、無意識でいつも思っている気がする。それは教師や茶人として絶対に必要な感性なのだが、ときに私を苦しめることがあることがわかってきた。

 

先生と二人きりになるお稽古(お茶やお箏など)は、自分の技量を推し量られたりする不安や恐怖とは無縁であり、「何を目指してどのように振る舞うといいのか」が明確である。愛のある「こうしてごらんなさい」という命令が、優しい空気として漂っているのを感じる。だから存分にものを行うことができる。先生が見守って下さるなかで、好きなようにやって失敗していいし、そうしながら技量を磨いていくことが許されている。

この秘密の場所の収録は、私にとってはそんな安全な場であると感じる。誰かが優しく見てくれているなかで、存分に遊べと言われているように。

 

誰にでもこういう場があって欲しいと思い、私も誰かを見守る存在でありたいと思う。
ときに先生と呼ばれながら生きるなか、自分自身がこういう経験をしていることは貴重である。
だから私は、毎月秘密の場所に通うことと、そこで行われることを、心待ちにしている。

 

 

№476 大事にされることの大事さ

焼き肉とグラタンが好きという少女よ私はあなたのおとうさんが好き  俵万智

 

昨日は田端での打ち合わせ。約一カ月ぶりにO先生とお会いした。
先月、名古屋でご一緒して以来で、きちんとご挨拶もしないまま慌ただしく上京したので、田端駅でハグして再会を喜んだ。

先月の哀しい体験についてとことん聞いてもらう約束をしていたので、会議室で二人になった折、ハンカチを目元に当てめそめそしながら話をした。愚痴か嘆きかわからぬことをさんざん聞いて頂いたあとで体が動かしたくなり、会議室に無理やり2枚ヨガマットを敷き、ムーン・サルテーション(月の礼拝)から始まる一連のルーティンを一緒に行った。最後は、O先生ができるようになりたいと言っておられるシルシャ・アーサナ(頭立ちのポーズ)の練習をした。

O先生はベテランの理学療法士さんだが、ご自身のからだとの調和を大事にし、肉体をモノとして扱うことは決してなさらない方だという絶対的安心感があるのでアグレッシブなポーズもお教えする。
ふだん「ヨーガは体操じゃないんだよ」とうるさく言っているので、リラクゼーション中心のゆるーい体操しかやっていないと思われているようなのだが、それは大きな誤解である。

毎朝行うルーティンを私も持っているけれど、しっかり行うと30分以上はかかるポーズの選択のなかには、激しい有酸素運動も含まれているし、ヨーガ療法では絶対に指導しないハードなポーズも複数含んでいる。特に頭を下にしてからだを支えるようなポーズは、眼圧が高まることで不測の事態を生む可能性が排除できないため、一般の教室では絶対に指導しない。認定ヨーガ療法士の倫理規定にも明確な規定があり、そのような危険のあるポーズを指導した場合は資格が剥奪される。こういったことが現実的な問題としてあるので、「野良療法士(認定を保持していないヨーガ療法士)」は危険だ。

自らのからだとの調和を達成し、なおかつ効果が高い諸刃の剣のような行法の危険度を十分に理解した人に対してのみ、ヨーガ療法ではなくラージャ・ヨーガの一部としてこういったポーズをお伝えしている。

今朝も仕事の前に、ふたり一緒にそんなアサナを行って、波打つ胸の呼吸を感じながら並んでシャーバアーサナで休んだ。


さて、実を言うと昨日は母の命日だった。一周忌の法要は先月無事に済ませた。
昨年のこの日、私は神戸にいて、木次酒造の蔵元杜氏をお招きしてのイベントに参加していた。早暁、母が逝ったことを伝えられ、声を殺して泣いた。大きな心の葛藤を抱いてきた母との別れは、時が経つにつれてわたしのなかに安堵感を生み、過去のつらい思い出も関係性の苦しさも浄化されていくように感じていた。初めての命日を迎える前に大事な友人との別れがあるなどとは思いもしなかったが、昨年母が亡くなったその時間に、今年の私は旅先にありながらもひとりぼっちではなかった。物理的にも、そして何より心理的に。

家族、友人、とかく人との関係性は難しいね、とめそめそしながらO先生と話した。私たちはいつも、人にとって価値のある「第三の場」を作りたいと思って仕事をしている。家庭でも職場でもないコミュニティで、人として案じられ、話に耳を傾けてもらい、大事にしてもらっていると感じる、そのことが人を癒すと思う。

社会のなかで、褒められない関係性というものがあるだろうか。人がこの世で生きていくために、誰かの存在によって力を与えられ、その力をもって他の誰かに貢献していこうとする意欲を持ち得るなら、制度上の壁は超越されるべきかもしれない。

冒頭の俵万智の歌は、穂村弘の紹介で出会ったもの。問題作のように感じる人もあるかもしれないが、人に恋し、人を求める素直な感性が表現されていると感じ、好感を持った。

 

 

№475 お免状なるもの

君の目に見られいるとき私はこまかき水の粒子に還る   安藤美保

 

 

 

故人宅に4日間滞在させて頂いたのち、都内某処へ移動した。池のほとりに佇むカモの姿を見ながらこれを書いている。

 

昨日長女から、流儀花の稽古をさせてくれてありがとう、というメッセージが届いた。

若い頃の自分はほんとうにもの知らずで、20代後半のある仕事での出来事をきっかけに「ものを知らないことは恥ずかしい」と強く思うようになった。なんとかしたい、どうにか違った自分になりたいと思っていると、縁というものは不思議なもので、あれよあれよという間に茶の道に導かれていた。

 

お茶をしていてすごいねえ、というお褒めの言葉を頂くことがあるが、何ということはない、若い頃感じた情けない気持ちに追い立てられ、挑むように歩みを止めなかっただけで、辞めるのは負けたような気がして悔しいからというだけで、今があるように思う。風情もなにもないが、年月は当初の恥の概念にも何かしらの装飾(もしくは浄化)をしてくれたようで、振り返ると心が温かくなるような気がする。

 

流儀花の稽古をし、いちおう二つほどのお免状を頂戴したのも、「茶を嗜む者が、花のことをまったくわからないのは困る」との師からの助言によるものだった。
そもそも花をはじめとする植物全般に興味がなかったものだから、花の名前が覚えられずに苦労したし、心を病んでいた時期には、花を手にして花器の前に座ることがそもそも辛くてたまらず、華道とはなんと怖ろしい稽古だろうかと思った。

フラワー・セラピーというものがあるが、これもまた他の療法と同じく、優れた指導者の下で安全に行われなければ、美しい花に殺されるような心持ちがするに違いない。美しい草花を鋭い花鋏で決然と切って活ける華道はやはり道のひとつに違いなく、そこに平常心とか不動心とかいうものが間違いなく生まれていくのだろう。私が行ったわずかな期間の稽古では、もちろんそこまでたどり着くことはできなかった。

 

冒頭の娘の発言に戻ると、彼女も茶道を嗜むがゆえに、必須の教養として流儀花の稽古を始めたものであって、私と同じくあまり花に対する興味はなかったと思う。最低限の免状だけを頂いたのち花の稽古は休止しているが、数年その学びを寝かせたのちにこのような発言を聞くことができ、親として非常に感慨深い。

 

学ぶことは決して無駄になることはないと思う。
実践の道では、自分に合うかどうかを知るのにまず三か月試してみれば、と言う。クラスでもそのように申し上げる。だが、和の稽古の道は、初心のうちは言語による指導がほとんどなく、非常にゆっくりとしたあゆみで学びが進んでいくので、なんとかひとつお免状(もしくは級か、段位)を頂くまでやってみられては?と申し上げたい。

 

正直なことを言うと、どの道も指導者の質は色々なのであって、免状を乱発する先生もおられるとは聞く。そういう方の下での学びはもっての外だが、常識的な師の下でなんとかひとつめのお免状を頂くと、実に感慨深いものだ。
たかが紙を折りたたんだようなものに何万円(場合によっては何十万)も出すのか、という人もいると思うが、実際にお免状をもらってから仰った方がカッコいいと思う。

 

マメ知識をお伝えしておくと、茶道のお免状は「その先の稽古をしていいですよ」というお許し。筝曲や華道などでは「(ある段階のことが)できるようになったからあげましょう」という認めである。

お許しは「できるようになった」という概念がそもそもないので、奥深いと同時に難しい。認めを頂くと、痺れるほど嬉しいのだがそれは一瞬で、数年後に同じ曲を弾いた時に「あのときできたと思ったのは、いったいなんだったんだ?!」という挫折感を味わうことになる。どちらも怖い。

 

 

№474 からだがあるから

もし分離した自己感覚にたいして死のう(あるいは超えよう)と思うのなら、自己中心的、利己的な行為に対して死ぬ必要があります。自分という思いや、称賛されることを考えずに、他者に奉仕しなければなりません。ただ愛し、奉仕する。「愛に傷つくまで愛しなさい」ということです。    「グレース&グリット」 K・ウィルバー

 

 

 

故人の本棚にウィルバーの本があった。失念してしまったが、私がいつか勧めたのだろうか。この本について一緒に語り合うことがなかった失意が、物理的な衝撃となって私を打ちのめしたように感じられ、書斎の床に突っ伏して泣いた。初めてこうして泣いた。

 

私はしあわせな仕事をしている。一般的な理解とは異なるのかもしれないが、ヨーガ教師であるということはその人の真実在を覆う「私というものに対する考え」や、「過去の記憶」に共に向き合おうとするものだから、黙って寄り添うことが許されている。体操だけ教えて、その人のなかの心の働きを知らずに仕事するなんて、私にはできない気がする。

 

生きるということは、寂しいことだと思う。
人はひとりで生まれて、ひとりで死んでいくからと思い定めてきたけれども、物理的な距離や時間を超えて人を案じ、思うことは許されている。誰かのことを思うというのは、そもそも寂しいことのような気がしてならない。きっとそばにいられれば、そんなことは考えることもないだろうから。人に触れたときわかるあたたかさは、たくさんの哀しみを癒してくれる。

 

同時に、縁というものの不思議さを思う。先日「不審花開く今日の春」という禅語について書いたが、花が開くさま、季節がうつりかわること以上に、人と人との邂逅は不思議で不可解である。出会いの様子を言葉で説明すれば、なるほどそれはすごいね、という言葉になるしかないのだが、なぜそもそもそこで出会い得たのかということは説明されない。

 

ひとりの人が喪われたとき、その縁の不思議さが際立つその様を、私はここで見せられている。ほんとうに人に触れるとは、どういうことなのか考えさせられるし、それには人間の意志など関わっていないような気がするのだ(だから、あの人は冷たいね、などという批判も意味をなさない)。様々な態度や反応もすべて、ただそうすることが、そのとき何かによって許されたということでしかないのではないか。

 

生きることが寂しいと思うのは、私たちが互いに切り離されていると思っているからで、この寂しさを克服するには、悟りを開くしかないということになるのだろう。
私だって頭ではわかっている。理性的にはその考え方を採用しているからこそ、あたかもその概念の上にしっかりと立って生きているかのように、生徒さんに語る。なにも怖くない、あなたはひとりではない、大丈夫と。

 

私たちに与えられている肉体を、多くのひとはモノのように扱う。自分の言うことをきかせようと色んなことを肉体に強いて、思うどおりにならないと責めたりする。
でも、肉体があるからこそ、傍にいて触れることができる。同時に、肉体があるからこそ傍にいられないことが避けがたい哀しみとなって迫ってくる。肉体があるからこそ声が聴ける。そして声が聴けなくて、苦しくなる。

 

寂しいと思うことと、誰かに触れてしあわせを感じることは、表裏の関係にあるのかもしれない。だからみな、体をもっと大事にしなければならないし、身体をもって人に触れようとすることを諦めずに、大事にしなければならないと思う。

 

でも寂しいね。
秋は寂しいものだそうだ。肺も、次第に冷たくなる空気を受け容れることを悲しんでいるかのように。

 

 

 

№473 働きを捧げる

さみしくてあたたかかりきこの世にて会い得しことをしあわせと思ふ  河野裕子

 

  

私たちは、誰に対する仕事をしているのだろうか。
今これを書きながら、ある方のことを思い浮かべている。

 

ヨーガの道に進ませたのが何の力だったのかわからないが、そこに間違いなく憤りがあった。私たちが通常、あたりまえに利用する医療に対する憤り。

人間の不調の根っこが肉体よりももっと深いところに在ることは、今はわかっている。でも世の中のほとんどの人は肉体や精神に生じた苦しみと、存在そのものを結び付けて考えるようなことはしないし、だからこそ病院という機関に頼る他ない。

 

でも残念ながら、その場所は人をあらゆるものとつながった深遠な存在とはみない。そして私たちは、限りあるちっぽけなひとりの人としてレッテルを貼られることになる。そのレッテルにより救われることもあるのは認める。でも、救われないことの方が多い。レッテルによって、真の治癒への道が閉ざされてしまうことも多い。

 

身体的に毎日ヨーガ(厳密に言うと心身に対する行法 ~体操、調気法、瞑想)に取り組むことと、ヨーガを学ぶことはすこし違う。

ヨーガを学ぶというのは自己存在についての理解を深めること、自分のなかに確かに在るなにかおおきな力とのつながりを回復すること。その力が確かに私の中にあることの確信の上に、目の前のひとのなかにも同じ力があることを認めて、それを尊重し続ける生き方を採用すること。なにがあっても、どんなときにも、だ。


私を真剣にこの道に進ませたのは、ある医師。書籍を通じて出会った池見酉次郎先生。九州大学に日本で初めての心療内科をつくった人。私が手にしたのは「セルフコントロールの医学」という著作。

 

心療内科というものは、池見先生が創設したものとはすこし違ってきているようだ。その当時の私は、同じ心療内科で、あるレッテルを貼られていた。薬を飲めば治ると医師は言う。職場の上司もその主張を信じている。だから薬を飲めという。飲んでも泥のように眠り、目覚めれば死にたくなるばかりだ。いったいどうしたらよかったのだろう。

 

そんなときに池見先生の言葉に触れて、自分を治せるのは自分だけとわかった。同時期にウィルバーの本も読み、これはもしかして新しい知性の胚芽が生まれている過程なのであって、病気というのはモノの見方の角度によるのかもしれないと考えることに決めた。そして既存の方法論に徹底的に(隠れて)抵抗した。そして今の私がいる。

 

「なぜこんなことが許されるのか?!」と思うことは、世の中にたくさんある。人はみな異なる世界観の上に生きているから仕様がない。へんてこりんな世界観の上に生きている人がお金や権力を持たされていることで生じている、他者の苦しみも多い。

どこに心を寄せて生きるかを自ら決めることができるのか、それとも私たちはなにひとつ自分では決めていないのか。どちらでもいいけれど、今こうしている瞬間に、自分なりのレベル感でいいから何か尊いものに対して自らを捧げたいという思いを少しでも持てることを喜びとしたい。この世で生きていて得になること、安逸に生きることを求めるだけでなくて(多少はそういうことも必要だろうが)、あなたの仕事のために私という命を使いまわしてくれと、絶対者ブラフマンに向かって叫びたい。

 

今、私の心に浮かんでいるある方も、尊いものに使いまわされている。
慈悲という親方は容赦がないというから、あなたも間違いなく疲労困憊することになる。でもどうか、世界のために耐えてください。
あなたのために、毎日祈りを捧げます。