蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№285 無理をせず、考えない

こんな夢を見た。

①ゼミナールの音声ファイルで、先生からお金のことで叱られた。

②企業さまでのお仕事で、セミナー終了後にお弁当が出るという。使用済み封筒を使ったカラフルな袋に、「お弁当引き換えチケット」が入っているという。別室で引き換えを行いますよと声を掛けられ、チケットを手にワクワクしながら向かう。

…………………

何年か前のこと、札幌で学会が開催された時、今は亡き阿保徹先生が講演をして下さった。先生がお亡くなりになったのは、2016年12月6日。もう三年になるのか。

病気になったら全部捨てるつもりで養生に専念しろ、それしかないんだ、という阿保先生のお話は衝撃的だった。がんは人の生き方を変える病。こんな力を持った病気は他にはないよ、とも仰っていた。

私が不調を覚えた時、薬を飲みながら、これまでの生活を何も変えずに良くなることを期待していたが、結局そうはならなかった。病気というものが、何かの「お知らせ」であったように感じている。あの頃下した決断のいくつかは、あの当時の自分にとっては信じられないものだったけれども、今振り返るに、まあそれほど大騒ぎするほどのもんでもなかったなと思う。

ただ世間一般で”不幸”と言われる出来事を通じて、自分の器と言うか許容量みたいなものが、だんだんと大きくなったのは間違いがないと思う。
これは結果的にそうなったので、今になって「良かったなあ」と思うだけのことであって、能力開発のために不幸を選択します!などという人はいないだろうし、いたとしてもそれは全力で止める。

そんな目に合わずに、器が大きくなったり成長出来たらいいし、そういう方法を先生方は教えて下さっていると思う。

ヨーガは、不幸にして思わぬ事態に遭遇してしまった人に対して、この世に存在する者としての力を回復させてくれる力があると思う。だからこそヨーガの側も「不幸や病は最大の教師である」と言い切っているのだろう。

普段、ヨーガの体操の、世間一般での用い方について苦言を呈することの多い私だが、まったくの初心者がヨーガ・アーサナに取り組んでみたら、思わず圧倒されて雑念だらけの頭の中は一瞬真っ白になると思う。

実習開始後三カ月は、体操の効果が大いに上がると言われているが、それはあれこれ考えることも出来ない状態に置かれるからかもしれない。実習内容を工夫をして、この静かな心の状態を維持し続けることを、教師の側はよく考えて欲しい。

頭の中で、無意識のうちに雑念を弄んでしまうことで、腸の中に炎症性サイトカインが分泌されるそうだ。自分が自分を攻撃してしまうようなことになるなんて恐ろしいことだが、不調を抱えたまま無理をしてしまうことも、同じように毒だ。

自らの健康を守るために、身体はまず守るべきものであることを思い出して欲しい。車などに例えられることがある身体だが、決して機械ではない。
それはあなたの大事な一部なのだから。


№284 腹の声用の聴力

 食べるものはどんな風にして、私たちに影響を与えているのか?

今日、私はスペシャリティ・コーヒーを飲んだが、それがそのまま私の腸から血管に吸い込まれていく訳ではない。そんなことは当たり前だが、そんなスポンジ的な単純構造だったら、それはそれで面白いかもしれない。

人間同士は遺伝子の90%以上を共有しているそうだ。
それなのに、腸内微生物の遺伝子の構成は、人それぞれで全く違う。
任意の二人の間で、ほんの5%を共有するにすぎないという。

あなたと私の差は、実はお腹の中の菌の差?

そして、この菌を通じて、おばあちゃんが受けたストレスや、お母さんが受けたストレスの影響まで受け継いでいる可能性があるそうだ。

こういった「腸脳相関」の配線を変えたかったら、どうすればいいか?

前頭前皮質を使って脳神経回路の働きを覆せるらしい。
新たな行動を学ぶセラピーなら、この部分に影響を与えることができるだろう。
当然、上手に使えば、ヨーガの体操だってこの仕事ができる。

以前、ヨーガを始めてから、胃がん後に繰り返していた腸閉塞の再発が抑えられているクライエントさんがいた。それがどういうメカニズムで起こっていることなのか、この本を読んでようやく納得した。

「原因不明です」
「治りません」
「治療法はありません」
と言われて、絶望した人が、もしかしたら救われるかもしれない智慧が、あるかもしれない。その鍵を握っている(ちいさくて大勢いる)生きものと、実は、生まれてこの方一度もわかれたこともなかったなんて、まるで禅問答のようにも聞こえるではないか。

瞑想は、人それぞれが自分の「腹の声」を聴きとるのための”聴力”を上げる、取り組みなのかもしれないな。


 

№283 うちのお寺は?

皆さんは、自分のお家の宗派を知っているだろうか?

「そんなの当然でしょ?!」と言うなかれ。

今日のレッスンでお会いした若いお母さんたちは、お二方とも微妙な感じだった…。
今頃、お母上にお聞きして、「そんなことも知らんかったんかい!」叱られているかもしれない。

私が自分の宗派を意識したのは、某国営企業に就職した時が初めて。
身上調書に、宗派を書く欄があるのだ。万が一、殉職などした時のことを想定しているのだろうと思う。

母が亡くなったときは、姉の嫁ぎ先である出雲のお寺にお世話になった。こちらは浄土真宗のお寺。
「なんまいだ」と唱えるのは、人生で初めてかもしれない! 新鮮な驚き。
これって、あれですね、私の大好きな「まんが日本昔ばなし」で小僧さんが唱えるやつですね!「三枚のお札」とかで。

浄土真宗さんでは、般若心経を唱えてはならないと聞いた。これも初耳だった。知らなかったので、母のお骨を前にお唱えしちゃったよ…。姉には内緒にしておこう。

周囲で仏教ネタが多いので、お正月休みの間にほんの少し調べてみた。
ほんとうに豊かなんだな、日本の仏教文化って。ほんの少しでもしみじみ面白かった。

私は茶道を嗜むため、禅の文化と深い関りがある。
MBSR瞑想のジョン・カバットジン氏来日時に合宿したのは、曹洞宗のお寺(総持寺)だった。福井の永平寺にも参ったことがある。霊山の気に満たされた、素晴らしいところだった。
正法眼蔵随聞記」現代語訳も読んだ。
座禅は悟るためにするのではないそうだ。誤解している人も多いように感じる。
もし今、自分に何かがあったら、諸々こちらでお願いしたい。
しかしそもそも、そのような勝手が許されるのであろうか?

真言宗は別名「瑜伽宗」ともいうそうだ。
ヨーガとはご縁が深いよと、阿闍梨様が仰っていた。確かに、毎年行うアグニホトラ(火祭りの儀式)は、護摩炊きとほとんど一緒である。それにしても、ご真言といいたくさんの神様といい、とても絢爛豪華だ。

娘が仏教系の大学に進むことになった。ここは日蓮宗の大学だという。
日蓮宗…。まったくわからないのでWikiで調べてみた。
法華経」を根本経典とする。身延山久遠寺が総本山。龍の天井絵が有名。
「南無妙法蓮華経」とお唱えする訳ですね。これも「まんが日本昔ばなし」で聞いたことがあるなあ。

ほんの付け焼刃で調べてみても面白かったので、今後もアンテナを立てて色々と読んだりして見ようと思う。

早速「法華経」現代語訳を手に取ってみた。
法華経は、正式には「白蓮華のように最も優れた正しい教え」saddarma-pundarika-sutra というそうだ。名訳を今に残してくださった、鳩摩羅什さまに感謝したい。

まんが日本昔ばなし」に、お寺・お坊さん・尼さん・小僧さんの登場する率は高い。
無宗教などと言いながら、当たり前のように「なんまいだ・なむみょうほうれんげきょう」という語を知っている環境や文化が、育んでくれたものを改めて考えてみたい。

サンスクリット版縮訳 法華経 現代語訳 (角川ソフィア文庫)

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  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2018/07/24
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№282 風邪を引いたら【対処法】

こんな夢を見た。

大きくて白い、豊かな乳房から搾乳をしている。
ある一部分から上手に絞れない、と思っていると「そこから絞る方法は、〇〇会社の〇〇さんに聞くといいよ」と、人から教えられる。

この〇〇の部分は聴きとれなかったのだが、象徴的な意味のことを考えると、あの人のことかなあと、思い浮かぶ。

…………………

風邪はほとんど回復した。

ただ、鼻を0時・背骨を18時として、副鼻腔内の20時の方向に炎症の名残りがあり、特に寝入りばなに咳が起こる。また、粘膜も完全な状態ではないらしく、ちょっとした刺激に影響を受ける。

さて、大晦日に風邪の経過を事細かに書いて、我ながら「アホか」と思わないでもなかったが、生徒さんのお一人が「からだって、自分で治せるんだと思った」と言って下さったので、書いた甲斐があったというものだ。

以下に、風邪を引いた際の対処法について書いておくので、参考にして欲しい。


【風邪予防】

*心と肉体は表裏一体。クヨクヨしない ~瞑想や集中法の活用

*消化力が高まり食べ物がおいしい季節だが、過食は厳禁。

*甘いものを食べると、食後数時間は免疫力が下がる。
 スイーツを食べた後に人込みを歩いたりしない。

*お正月の暴飲暴食に対する浄化として、肉体は風邪を選択するかもしれない。
 その場合は、”諦めて、体を風邪に捧げること”。
 重大な病気は、こういう小さいことを無視した先に訪れるお客様のようなものであ
 る。風邪は万病の元なり!

*風邪は首の後ろから入る。平素からショールなどを巻き、首を冷やさないこと。

*喉などに違和感を覚えた場合は、カイロをタオルなどにくるんで首の後ろを温めるとよい。風邪の引き初めに大変よく効く。ただし、予防としていつもこれをやっていると、効かなくなる。

*毎日入浴で血流を回復させる。シャワーなどで済ますのはご法度。

*高熱を発していない風邪なら、アーサナを行った方が回復が早い。鎮静化のポーズを中心にチョイスすること。


【引いてしまったら】

*「寝る」。目も、頭も、口も使わない。

*発熱時はものを食べない。消化力を治癒へ回すイメージ。

*水分は十分に摂取すること。白湯が良い。

*朝の起床時は、舌を清めてから水を飲むこと。

★大事! 
 体は、粘膜で菌を絡め取って、体外へ排出しようと必死の努力をしてくれている。
 痰や鼻水は絶対に飲んだりしないこと! とことん、出す・出す・出す!

*塩水を入れた温水で、鼻を洗ってみよう。特に朝が良い。夜はやってはいけない。

*何か食べる場合、乳製品と肉は避ける。暖かい消化の良いものを食べる。
 野菜はヘルシーなイメージがあるが、繊維が多く消化に重いものもある。
 体調不良時に、ダイエットのことを考えてはいけない。

*しょうがの搾り汁+レモン汁+非加熱のはちみつ = 浄化ドリンク
 適量ずつ混ぜて飲むだけ。

*いったん調子を崩した肉体が、完全に本来の状態に戻るのに、約1カ月はかかると心しておいた方が良い。よく自分の身体と対話をしながら、養生を続けること。

*「病は偉大な教師である」
 風邪を通じて何を学んだのか、改めて内省をする。


皆様、どうぞお大事に!

№281 急がせない、儲けようとしない

元旦の朝の初夢

家に何者かが襲撃してくるようだとのことで、皆が警戒している。
家の中にはたくさん人がいるが、皆それぞれ武装している。
裏口から侵入しようとしている男を見ると、何やらどこかで見たような顔である。
この家の中にいる人の兄弟であった。
すべて“悪ノリ“のおふざけであった、というオチ。
その場にいる皆で、腹を抱えて大笑いした。

…………………

さて、12月22日に、東京のとある会社が、米子にて勉強会を開かれた。
その際、現社長が書いた書籍をプレゼントして下さったので年末から読み始めていた。小説仕立てのもので、創業者であるお父上についてご子息が書かれたもの。

そのなかの文章に、非常に心惹かれた。

***
お前が美しいと思うことに集中すれば良いんだよ。
人の意見に左右されても面白くないだろ。

儲けちゃいけないんだ、
儲けは計算するものではないんだ。

まずは皆様に喜んで頂く。社会を豊かにするお手伝いをする。
そうしたら、頑張って、と皆に応援される。
儲けるんじゃない。儲かるんだよ。
本当に皆様が必要としてくれるなら勝手に儲かるんだ。
*** 

今日はチーム内でこの言葉をシェアした。
すると、経営学を学んでおられたチームメイトが、これまで「どうすれば儲かるか?」ばかり考えさせられてきたが、それがすべて嘘だと分かってしまったのだという話をしてくれた。
これからチームとして活動をしていく上で、上記のような「儲けたらいけない」という正気を保っていることは、実に大切なことなのではないかと思う。

 

津軽三味線奏者の吉田兄弟は、まだ幼い頃から、一流の師のもとで、一流の楽器を用いて稽古をしていたという。相当な費用が掛かったはずである。しかも二人分。

お父上は、二人の天分を見込んだのか、その為の費用を捻出し続けたわけだ。
吉田兄弟の家はあっと驚くような襤褸家で、同級生たちに馬鹿にされていたということだ。

私はこの話が大好きである。
腹の底から、熱いものがこみ上げてくるような気がする。
生活よりも芸を優先するこの生き方に、無理があるのはわかっている(普通はみんなやらない)。それでも、素晴らしいと私は思う。

芸は自分の心身に沁み込み、
どんなことがあっても決して奪われず、心を滋養する。
また、表現された芸は、会ったことも無い誰かの心を動かすかもしれない。
もしかしたら、後に続く人を生むかもしれない。
この国の文化というものに対して、少しでも貢献できるかもしれない。

自分の芸道に関しても、経済的な面と、指導の面で支えてくれた数名の方の存在無くしては、絶対にここまでは来れなかったという思いがある。
今、皆さんがご覧になる誰かの優れた妙技や芸も、どこかの誰かが、胸の中の理想を持ち続けて困難を乗り越えてきてくれたからこそ、目にできるもののはず。

先程の話には後日談があるそうで、海外にも凱旋講演をするようになった吉田兄弟は、ボロボロだった自宅を立て替えてお父さんにプレゼントしたそうだ。

お父上は、子供だった頃の吉田兄弟が演奏するのを見るのも聴くのも、大好きだったんじゃないかと思う。
いつか何かになるための稽古をさせていたのだとしたら、家を建て替えたりはしなかったんじゃないかな。絶対に急がず、「いいねえ、いいねえ」と言って目を細めながら、のんびりと成長を見ておられた結果なのだろう。

№280 新年

年越しに何をしようかという話を娘としていて、二つ案が浮かんだ。

①年越し「越後獅子」演奏
②年越しブログ更新

ということで②となった。
越後獅子演奏は、日が昇ってから改めて。

さて、今年。
まずゼミナール。2回目を風邪により断念したので、残りの会で悔いの無いように取り組みたい。

そして、大切なのは某企業さまとのお仕事。
継続させて頂けるに足る価値を提供していきたい。しかし焦らずに。じっくりと、”何か”を育てるための土壌を作るような取り組みができればと思う。

また、1月から新しい取り組みが動き始める。

11月から動き始めたのに、僅かな期間の、僅かな機会を最大限に用いて、関わる三者の互いに対する信頼感が育まれていったことが凄いと思う。
この方たちとの協働ならば、自分にできることをしっかりやっていきさえすれば、人を笑顔にする貢献ができるはずだと確信できる。これまで孤軍奮闘してきたからこそ、この協働の有難味がわかる。本当に嬉しい。

しかももう一人の専門家は、仏様のような手を持つ人だった(水掻きがある!)。
多くの人を、その”手”で救う方なんだと思う。
この方との協働作業を通じて、私のヨーガ指導にも変容が起きる気がしている。

また、上京の機会を捉えて、ゼミナールで出会った仲間の方の心身の健康に寄与できれば嬉しい。
各地での自主勉強会も、継続していけるよう努力しよう。

これまでお世話になってきた講座のクライアントの皆様。
より楽しくて気付きに繋がるような内容を提供して、「人生にヨガという選択肢があって良かったな」ともっと思って頂けるように、枠に捕らわれずにどんどん色んなテーマを取り上げていきたい。

そして、普通の体操のクラスの皆様。
ここがやはり私のとっての、最も大事な基礎の部分。
肉体を通じて、今より”少しだけ”楽になることの繰り返しを通じて、その先にある新しい光景を一緒に見て頂きたい。



昨秋からの1年間、挫折を味わったこともあって、これまでの自分なら決してやらなかったようなことを色々と経験したと思う。涙すること、悔しいこと、不安なことがたくさんあったが、お蔭で自分の既存の器にヒビが入ったかもしれない。

これまで探し物をしながら、寄り道・迷い道で来たように思うけれども、この後の人生は、既に持っているものを如何に磨き上げるかということと、如何に表現するかについて考えたい。
そして、他分野を専門とする方と、力を合わせていくこと。

既に昨年のこととなった数日前に風邪で寝込んだわけだが、アーユルヴェーダでは「風邪は浄化」という。過剰に溜まったものを、体外に排出するための作用。
なんだかさっぱりした気分。

ヨガでもヨーガでも、何でもいいじゃないか。
茶は美味しければいい、という境地に、この分野でも近付いていきたい。
細かいことはいいから、まずは一服! ですよね。

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№279 大晦日に

仕事を納めた途端に風邪を引き、三日間寝込んだ。

病状としては全く大したことないのだが、普段との落差に対して敏感なのでこういうことになる。いや、あえて即座にこういう行動を取る。

ちなみに原因は、ある”心労”による。考えすぎた。

まず気管支に違和感を覚えたのが27日。その日の夕方、痰が出るようになる。

翌朝、違和感は上気道と呼ばれる部分へも広がっているのを感じる。
だるさと悪寒もある。ひたすら横になって、排出される痰などを絶対に飲み込まないようにする。食事はほとんどとらない。白湯は出来るだけ飲む。

寝込んで2日目、悪寒と体の痛みはピークになっている。違和感は副鼻腔の特に右側にも広がっている。息を吸うと鼻の粘膜が刺さるように痛い。ごま油を鼻腔に塗って対処する。
眼を開けると痛むので、なるべく目も開けない。
この日は年末最後のゼミナールだったのだが、頭も全く働かない上、声もまともに出ないのでお休みした。

三日目。最初に違和感を覚えた気管支の辺りに、「かゆみ」のような感覚を覚える。これは、私の感覚では治癒傾向にあることを示す。数回、寝汗をかき、体を吹いて着替え、家族に助けて貰って寝具を交換する。

四日目(今日)。
朝、再度寝汗で目を覚ます。体を起こしていることができる。多少の違和感は残っているが、炎症は引いたと分かる。さすがに年末にし残した用があるので、午後から数時間外出をし、活動する中で少しずつ調子を取り戻す。食欲は多少戻る。

懸念だった襖の修繕(娘と猫が穴をあけた部分)をし、正月前の買い物をした。年明けから雪が降るかもしれないとのことだったので、3日間は一歩も外に出なくともいいように準備をした。
これで何とか年越しを迎えられそうだ。

という訳で、ヨーガの先生は敏感であるがゆえにめんどくさいという話。
お蔭で回復が早い。

昨日、ゼミナール仲間のO石さんとZOOMミーティングをしていたのだが、実は多くの人が鈍感さを発揮して、体調があまり良くない中で、無理をすることをスタンダードとして生きているんじゃないのいうという話になった。
健康に物差しがあるとすれば、それが随分とぼんやりとした目盛りになっているような?

1月に、田端のS堂さんのクリニックで、コラボ・セッションをさせて頂けることに決まったのだが、最終目標は「みんなの健康スケールの目盛りには、もっと先があると気付いてもらうこと」であると思う。
質の高い健康の先にあるのが、”まだ見ぬ自分に出会う”という意味での発達なんじゃないかなと、私は思う。

しかも都合のいいことに、質の高い健康に取り組むということを通じて、自分が何やら変容していた、ということも起こり得る。
ヨーガでは、「病は教師である」と言うからだ。


風邪ぐらいで三日も寝込めんよ、と仰る方もおられると思うが、すべての不調に伝染病レベルの休養を取る覚悟で「養生」を行えば、三日も寝込むことは数年に一度あるかないかの話になるはずだ。その為には、肉体だけではない、心の鍛錬がいるわけで、この度の私のようなのは修行不足の証拠のようなもの。

とは言え、人間ってそんなに長く悩んだりしておられないもんですね。
これが、基本的に元気だということなのかと思う。

来年が皆様にとって、良い年になりますように。
大きな自己と小さな「名前のある我」が、より調和して生きられますように。
生きとし生けるものが、苦しみを克服できますように。