蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№239 加藤先生

昨日6日ぶりに帰宅。
昨日と今日は実家に出向いた。留守中に行われた行事を、なにからなにまで取り仕切ってくれた姉にお礼を伝えた。これまでに色んなことがあったが、そのたびにこの姉には助けて貰ってきた。

先日伺わせて頂いた企業様では、「親孝行」を非常に大事にしておられるとのことで、それを伺って、7泊8日の内観研修に入ったときに「母にして頂いたこと、ご迷惑をお掛けしたこと、お返ししたこと」について、繰り返し考えたことを思い出した。

世の中には、子の純粋な感謝に値しないような親が実際にいる。
「消えたい」という本をぜひ読んで欲しい。
DARC(薬物依存等回復センター)に行くとリアルにわかる。子は、親がこうであるのは「自分が悪いせいだ」と思っている。とても冷静になんて考えられないのだ。

それでも、たとえどんな親であっても、自分自身がいま此処にいるのは親のお蔭だ。
ただ「生んでくれたこと」に感謝をするためには、親のことを客観視できる心の力が必要。とても難しいことだけれども、不可能ではない。
そしてこれができれば、多くの心の苦しみから解放される。生き方が変わる。感動的なほどに。
丁寧なサポートを含んだ親孝行への取り組みが、この世に広がって欲しい。

さてこの度、ゼミナールの大同窓会が開催された。
オンラインでのゼミナールで顔を見知っているのに、「初めまして」とご挨拶するのは、不思議な照れくさい気分だった。
過去にゼミナールで何度かご一緒した方もおられたが、対面してお話するのは初めてだったり。さすが誰もモジモジせずに、すぐに盛り上がってしまうのも面白かった。

加藤先生にこの光景を見せたいよね、との声が上がり、でる。でも先生はメールも見ておられないみたいだと。ならば、YouTubeチャンネルとかブログで上げようよ、ということになった。それで私もこうして書いてみている。

これまでのゼミナールとは、違う展開が生まれてきている。
 一人では出来ないことも、仲間と協働すればできるはず。
これまで諦めてきた人が、諦めなくていい世界に少しずつなっていって欲しい。
まずは医療分野から何かやりたい。困っている人がいるから、諦めないで必ずやる。


先生。このような会にヨガ教師がいるなんて、本当に不思議です。皆さんのお話を伺っているとつくづくそう思います。ゼミナールで学び続けることで、私は学歴コンプレックスを克服してしまいました。今は、腹の底で感じることに従えること、自らの身体を通じて得る智慧に誇りを持っています。私にとってインテグラルであるとは、それぞれのひとの中に確かにある胚芽を大事にすることです。自分なりに、その胚芽の健全な芽生えと育成に関われればと思います。
今、井筒俊彦さんの「意識と本質」を読んでます。すごく感動します。この本を読まれた時の先生の気持ちを、追体験している気分です。
心よりの感謝を捧げます。

 

 

No.238

6日ぶりに帰宅。
母の遺骨を前に手を合わせる。
般若心経を唱えた。

自分のシャドウを改めて意識した五日間だった。
浮かび上がるもの、過去の記憶をどのように扱うか。

怒りや恨みのような情動は既に無いが、今、このようにしたいという、内にわき上がるものは確かにあり、人の心はなかなかスマートにはいかない。

何が良いのかということについても、それぞれの見方で違ってくる。
人を攻めることをしないのならば、自分を責めることもしたくない。

誰になんと言われても、今ここにわき上がるものを大切にしたいと感じた。
例え10年後に「あのときの自分はバカだったなぁ」と思うことになるとしても。

この世は迷妄の世界、現し身を離れれば絶対者ブラフマンのもとに還る、と信じていることで、誰かを傷つけることもある。
それが世界の多様性なのかな。

今は少し混乱しているが、この事がまた私の糧となっていくだろう。

№237 自分にしかできない

昨日は府中でのセミナーを開講した。
クラスは少人数の方が、ご参加者の皆様の満足度が高いことを申し上げていたので、こじんまりしたアットホームな雰囲気の中で行わせて頂いた。

ヨーガを何度かやったことがある、と仰る方もおられたが、やはり私のスタイルとは全く異なるものだったようだ。
初めての実習には戸惑う方が多いのだが、実習後のディスカッションを伺うと、皆様が驚くほど「自己の客観視」を行っておられたように思う。

反省点の1は、ご参加者の中に妊婦さんがおられて、彼女に十分に手を掛けて差し上げられなかったこと。
妊婦さんのヨーガの目的は、「(その方にとって)良いお産をすること」なので、プログラムもまったく異なるし、安全性の面からも特別な配慮が必要だ。
今になって、全員にマタニティ・ヨーガをして頂けばよかったと思っている。
まあでも、お産の前に瞑想や呼吸法を体験して頂いたことで、お産の展開がよい方向に向かってくださる事もあるので、ご安産を心からお祈りしている。

反省点の2は、やはり寒さを感じられる方がおいでになったことだ。
東京でのレッスンは常にこの点に苦心する。
横たわって行うのに、エアコンだと床近くが温まらないことが多い。
ヨーガ・マットは収納に場所を取るが、使用すると実習の質が全く異なる。

自分の愛用のマット(6mm厚)を持って出張に行きたい…といつも思うが、
約173m×61cm×6mm、重さ1.3kgのマットを抱えて都内を動き回るのは、さすがに躊躇してしまう。64式小銃より全然軽いけど…

やはりヨーガの良さは、継続することで体感される。
昨日初めて出会った皆様と、近いうちに再会できること、お悩みの症状などの改善に貢献できることを祈る。

余談だが、「壺井のヨーガの最大の特徴はなに?」と、敬愛するノリオ先生に聞かれた。
それは、求める目的のために、ヨーガが「道具」として、最大限にクライエント様に役立つことに真剣にコミットしていることだ。(みんなそうなのだと思ってきたのだが…。どうやら違うらしい。)

なぜヨーガ教室に通って、例えば腰痛に何年も悩み続けるなどということが起きるのだろうか?
ヨーガはセルフ・コントロール力を高める技法。
あなたが自分を癒す以上のことを、この世の誰も出来はしない。

№236 府中、初上陸

今日と明日、鳥取にて大事な会がある。
残念ながら出席できないが、娘たちが私の代わりに尽くしてくれるよう、お願いしておいた。

今晩予定を変更して帰宅しようと思ったのだが、飛行機も列車(サンライズ出雲)もバスもすべて満席だった。
「なんで今日に限ってこうなんだ!」と涙が出たが、半日悩んで諦めた。
その会にしても、「なんで今なんだ!」と思う。でも、
チベット旅行記」の川口慧海先生も、こういう状況では「仏さまがそう望んでおられるから仕様が無い」と仰るかもしれないと思って、自分を慰めている。

さて、今日はこれから府中に向かう。
今夏、ゼミナールでご一緒した方に初めてお目に掛かる。
メディテーションセミナーの講師としてお招き頂いたのだ。
このセミナーのためにも、また他のことでも、たくさんやり取りをさせて頂いてきたので、まだお一度もお会いしていないなんて信じられない。

ゼミナールのご縁がこのように発展したことを先生が知ったら、すごく喜んでくれるはず。先生はメールもほとんど読まれないが、ブログは読んで下さっているそうなので、ここでご報告しておきたい。
「加藤先生。ゼミナールの仲間同士で協働してがんばります!」

今日の場でも、それぞれの人が、それぞれの場で健やかに生きられるようにお手伝いできればと思う。
ゼミナールでご一緒した仲間もお二人来てくださるので、それも楽しみ。

今夜はインテグラル・コミュニティのお二人と会う。
これもとても楽しみ。

こんな時に出張しているのだから、多くのものを吸収して帰りたい。
そして、それをまた指導に昇華していきたい。
留守を守ってくれている、姉を始めとする家族に心からの感謝を。

№235 上野へ行ってきた

昨日、哀しいことがあってしょんぼりしている私を、友人が慰めてくれた。
しかも美味しいご飯まで食べさせてくれた。

閉じこもっておらずに出掛けなさいと言われたので、今日は上野へ行ってきた。
(せっかく来てても、他に思いつかないなあ…)

本当は、国立博物館正倉院展にも行きたかったのだが、まず朝の時点で国博のHPを見て引いた。ほんの10日ほどで、入場者が10万人増えている…。そんなに集まるとは!
(注:私の住む米子市の人口は、147861人です。たったの。)

そして上野駅についたら、平日なのにすごい人。
これ、東京の方からしたら当たり前なんでしょうね。
チケット売り場に行列。山陰では絶対ない。
近くにいるおじさんが、「みんな正倉院展だよ~」と言っているのを聞いて即座に諦めた。

西洋美術館はごくごく普通の人出で助かった。
サラッと見て回り、お目当ての絵を目指す。
出版物などでよく目にする絵ばかりだが、実物は違う。

私が絵画に目覚めたのは、上村松園の「序の舞」を見たことがきっかけだった。
2000年に岐阜県美術館で開催された「東京芸大美術館名品展 近代日本美術―不朽の名作」でのこと。
当時長女がお腹にいたのだが、ずいぶん長い時間、絵を見ていた。そこから動けなかった。
あんな衝撃を探して、美術館に足を運んでいる。

調べてみると、出産直前に展覧会に行っていることが分かった。なんだか感慨深い。

さて、展覧会を見て図録を買って…今日はそれだけだった。
今日の展覧会の余韻を、図録を読みながら味わおうかな。

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No.234

これは11月12日分として。

12日、朝5時頃、母が亡くなった。
出張に出ており、看取ることはできなかったが、父や姉に見守られて穏やかな最後だったという。
病で苦しんできたので、苦しまずに逝って本当に良かったと思う。

暫く前から覚悟していたことでもあり、先週末には娘と共に顔を見に行き、手を握って、できれば出張から帰るまで待っていて欲しいと念じていた。

不在の私に代わって、娘たちが駆けつけてくれた。
「おばあちゃんのお顔見てきたよ。とってもきれいだったよ」と長女が伝えてきてくれた。

こういう仕事をしていれば、親の死に目に遭えないことはあり得るとかねがね聞いていたが、残念ながらそうなってしまった。

心の葛藤の大きい母であった。
幼い頃の思い出など、ほとんど聞いたことがない。
きっと辛いことがたくさんあったのだろう。

その性格に苦しめられいると思って育ってきたが、今ふりかえるに、この上ない教育を授けてもらったことがわかる。

あの母なくば、私はこの道に入っていない。
今の師匠方にも出会っていないと思う。
子供たちの子育ても、今のようにはなっていなかっただろう。

今になってようやく言えることだが、母に感謝している。なにより、自分のこの粗雑体(肉体)を生み出し育ててくれたのは母なのだから。

親に対する葛藤を解消したときに、別れはやってくるのかと思った。
現し身を離れれば、時間や場所に縛られることもないだろう。母の個我は、まだこの辺りにいるような気がしてならない。

もし母が、次に生まれて来ることがあるならば、幸せなこども時代を送れたと思える生を、生きて欲しいと思う。

No.233

友人に、お酒を造っている方がいる。
http://www.kisukisyuzou.com/

その方と、神戸の大好きな鉄板焼き屋さんをお繋ぎして、初のイベントが本日実現した。

思わぬご縁で出会った方が、こうして友人と繋がるのは不思議でもあり嬉しくもある。

まこと人の生は図れぬもので、すべてをなにか大きなものに委ねるのが正解かな、と思わされる、そんな夜だった。

有り難し、という言葉の相応しい1日。