蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№232 今どこにおられるのかな

以前読んだ小説を再読中。
ある夫婦の話。
これは読みごたえのある小説です。おススメです。

今日は、お師匠さまのご主人様の一周忌にあたる。
ちょうど兵庫県伊丹市での定期演奏会に出演のため、山陰支部の方々が集って出かけていた時のことだった。

控室で着替えをしていると、先生の携帯がひっきりなしに鳴る。
先生はその時、楽屋で三絃の調弦をしておられた。

長閑に「先生、電話鳴ってますよ~」とお知らせに行ったものの、ご療養中のご主人様のこととは思いもしなかった。
容体が急変なさって、初めのお電話から間もなく、ご逝去の報が届いた。

先生、早くご出発なさって下さい、と申し上げる皆に対し、
「これまでの間十分に尽くして、もうなんの悔いもない。今日、ここに演奏を聴きに来たくて体を離れたのだろう。私は演奏して帰るよ」と(いうようなことを)仰った。
私はとても感動した。
ご主人様に、先生がどれほどお尽くしになっておられるかを、お傍で拝見させて頂いてきたからだ。

ご主人様をお亡くしになって悲しまれる間もなく、私共が準師範の試験を受験するためにお付き合いくださって、本当に有難く思っている。
ご主人様の魂は今、どこにおられるのかな。
芸に造詣の深い方でらした。
演奏に苦笑いされないように、精進しなくては…。
 

運命と復讐 (新潮クレスト・ブックス)

運命と復讐 (新潮クレスト・ブックス)

 

 

 

№231 浄化のすすめ

今日は、姉弟子の社中「夢弦の会」さまの応援演奏に出向いた。
鳥取県西伯郡南部町の天津地区というところ。
これは南部町のゆるキャラ、「なんぶカッキーズ」のフーちゃんとユーくん。
特産品の富有柿をモチーフにしているとか。

 

なんぶカッキーズ

 

集落の方々がたくさんお店を出しておられて、おでんやうどん、おにぎり、つきたてのお餅、みかん、名人が打ったという蕎麦まである。
土地の方々による、土地の方々のための収穫祭。

演奏の観客ももちろん、この土地の方。私たちは町外からやってきた応援なので知り合いもほとんどいない。他のお社中の先生もおられない。気分的に非常に気楽である。当地の社中の皆様は、お知り合いの方ばかりに見つめられて緊張なさるだろうが、取り組んでいる活動を見て知って頂くのはとても良いことだと思う。筝曲を嗜んでいる方は少ないので、尚更。

さて、最近「ガンドゥ―シャ」が巷でも流行ってきているらしい。
これはインド伝承医学・アーユルヴェーダの浄化法のひとつで、「オイル(ごま油)で行ううがい」のことだ。

ヨーガとアーユルヴェーダは車の両輪と言われる。
ヨーガ教師は、アーユルヴェーダの知識を有していることが望ましい。

ヨーガにもアーユルヴェーダにも様々な浄化法がある。
勢いをつけてすばやく呼吸をすることもそのひとつ。ネティといって、鼻を洗うことや、起床時に舌を掃除すること、朝の一杯の白湯もそう。

白湯を飲むようになったという方も多い。そして近頃のオイルうがい(ガンドゥーシャ)。次は鼻うがい(ネティ)でしょう!

鼻に水を入れるなんて!という方は、生理食塩水を温めてやってみると良いです。
やりだすと、この爽快感は癖になって止められない。
鼻に湯を注ぐとき、頭を傾け過ぎないように注意して欲しい。夜はやってはいけない。

旅行・出張の際に、舌掃除の道具と、ネティ・ポットと塩、オイル(うがいとマッサージ用)を絶対に忘れないようにしなくてはならない。
万が一の時には、舌掃除はカレー用のスプーンで行える。
ネティ・ポットではなく、コップから直接、鼻で塩水を吸い込むこともできる(過激だが効果絶大)。うがいとマッサージはオリーブオイルでもなんとかなる。

ちなみに瞑想は「心の掃除」。
グルグル思考はストップしないと、体に毒ですよ。本当に。





No.230 同じものがなかにある

本日は米子での講座だった。
改めてヨーガを学ぶ、ということで、指導者にとっては当たり前のことを、改めて共有する時間となった。

ヨーガに学理があると思っていない人が多い。
一度、オウム心理教かと思った、と言われたことがある(この発言で世代がわかるなぁ)。

インドには6つの哲学の学派があって、そのうちのふたつ、サーンキヤ哲学とヨーガ学派というものが、ヨーガの理論の部分。
日本でインド哲学というとき、このふたつを指す。

サーンキヤは二元論。
プルシャとプラクリティがこの世を形作っている。

ヨーガ学派は不二一元論。
宇宙に遍在する絶対者ブラーフマンが、この世界のすべてを支えている。

私の心は不二一元論を信じてる。

今日、母がもう長くはないようだと聞かされた。
この母との間に、たくさんの葛藤があった。
死ぬほど嫌いだと思いながら、その愛を狂おしいまでに求めていたということが、今になってわかる。

母との関係性がこんな風でなかったら、私は今のような道を歩んでいない。
ここに至るまでに多くの人と出会い、大切にしてもらったし、育ててもらった。
それは母流の子育てであったのかもしれない。

母の中にも絶対者ブラーフマンが内在する。
同じ生命原理が私のなかにもある。
それだけで充分かな。

明日、演奏を終えたら、顔を見てこよう。
もう私のことも、わからないけれど。

№229 好みの問題

数年前の映画をようやく見た。
表千家を始めとした三千家が皆協力なさった,「利休にたずねよ」。
教授者講習の折にも、お家元所蔵のお道具が使われるのでぜひ、と勧められていたが、その当時は叶わなかった。

色んな見方や意見はあると思うが、海老蔵さんや中谷さんの所作も美しく、見ていて気持ちが良かった。

冒頭で、信長に道具を見せるシーンがあるのだが、他の人々は「モノを売ろう」としているのに、利休は「その瞬間の美を切り取って見せる」ということをした。
これぞ利休さまの茶の神髄なのかな、と感じたのは確かだ。

弟子の山内宗二が、秀吉の命で殺されてしまうシーンで、宗二は「自分の好みを人に愚弄されるくらいなら、死んだほうがマシだ」というようなことを言う。

自分の感じたこと、考えたことを口にする(言語化)を躊躇う人は多い。
かつて私もそうであった。
でも、自分が感じていることは宗二が言うように「好み」なのだから、誰かにどうこう言われることなど気にせずに口に出したらいいのだ。

あなたと私の好むところが違っても、全く問題ない。
お茶の世界で楽しませてもらうようになって随分時が経ったが、確かに、何かを拝見した時に申し上げる感想や、人との会話は上手くなったように思う。

例えば、ある季節のあるお軸(掛物)の様子を表現するのに、「これは、夏に相応しい涼やかな表装ですね、私はここの部分のお色が特に好きです。」などと申し上げて、揶揄されるなどということは絶対にない。

お道具を見ながら「どれが好き?」ということは聴き合うけれど、それぞれが相手のお好みを尊重し合う。「~だからダメ」というような評もしなくて済む。「好みじゃないなあ」というだけだから。

お茶を通じて、随分と救われていることに気付かされる。
そんな映画だった。

「人生七十 力囲希咄 吾這寳剣 祖佛共殺 
堤る我得具足の一太刀 今此時ぞ天に抛」
という辞世を遺し、自ら腹を掻っ切った利休さまの迫力は、描き切れててないんじゃないかな、と思ったけれど。
そこは好みの問題かな。







№228 それは酷すぎる

時代劇評論家の春日太一さんが好きだ。
まったく飾らない様子で、素のまま生きて、好きでたまらないことをやっておられるようにお見上げする。
NHKラジオで「春日太一の金曜映画劇場」というものをやっておられて、そこでの語りに惚れた。

さて、彼が絶賛している書籍がある。2018年1月、元陸上自衛官伊藤薫さんが上梓された「八甲田山 消された真実」である。

以前、書店で手に取ってみたことはあったものの、購入にまでは至らなかった。
なぜかと言うと、20代(現役自衛官当時)から、新田次郎の本も隅から隅まで読んできたし、その本を原作にした映画、渡辺徹朗読のCDなども繰り返し視聴してきたので、今更感があったから。

ご存じない方のために軽く説明をすると、明治35年八甲田山における雪中行軍で200名近い大量遭難があった。近代登山史における、世界最大級の山岳遭難事故だという。

初めてこの事件のことを知ったのは、20数年前。
当時の上司が、幹部候補生学校でこの事件について考察を行ったことを話してくれたのだ。それで新田次郎の本を手に取って、映画を見、「大隊長三國連太郎)最低! 神田大尉(北大路欣也)可哀そう! 徳島大尉(高倉健)カッコイイ!」などという安直な感想を抱いていたのだが、よく考えると、新田次郎の本は小説であってノンフィクションではないのだった。

自衛隊には、「バカな上官、敵より怖い」という言葉があった。
下士官から見ると、上官の器って一目瞭然だったりする。演習時などに指揮官としての能力が露呈する。何かの時には、まずあいつを背後から撃って、それから行動に移らないとこっちが死ぬ目に遭わされる…というような冗談を口にしていた。

まあ、私は航空自衛隊だったので、戦闘行動は訓練でしかやったことがないのだが、普段”のほほん”としている人が、野外行動訓練の際に優れた指揮能力を発揮し、分隊員の尊敬を集めるというということは経験した。逆もまたあって、「普段えらそうなこと言ってるくせに全然ダメじゃん」という人もいた。これは教育隊での限定的な経験なので、実際は適材適所でそれぞれの能力を活かして仕事をしていると思う(たぶん)。

さて、春日太一さん絶賛の本を昨日入手して、神戸から戻る特急列車のなかで夢中になって読んだ。
これはひどい、酷すぎる…。この怖さ、元自衛官じゃないと分からない部分があるかもしれない。

自衛官には5つの義務というのがある。そのうちの一つが「上官の命令に服従する義務」というもの。まあ、当たり前のことですが…
今、私は民間人なので、「あー、こりゃマズイわ」と思えば、「私は止めときます」と言って行動を選択することができる。でも、兵士ならそれは出来ないのだ。

この恐ろしい訓練の時にも、いたと思いますよ。兵卒で「こりゃ絶対ヤバい。こいつらの言うこと聞いてたら命が危ないかも」と確信していた人が。でも、まともな軍人なら「止めときますわ」とは言わない。絶対に言えない。

自衛隊を退職した理由のひとつに、当時の隊長に対して「この上司の下では死ねない」と思ったということがある。
『隊員が国民のために命かけますって誓ってる(自衛官の服務の宣誓 http://konishi-hiroyuki.jp/wp-content/uploads/sp7.pdf )のに、お前は上司にゴマすりか?!』と思った。そういう人はこの世にごまんといると思われるが、私はそんな人の下では働けない。
(実際には隊長がどんな人でも、幕僚などがフォローできればそれで良い。この話を始めると長くなるのでまた別の機会に。)
 
これは本当に怖い本です…
個々の経験や知識の差で生存率にまで差が出たというところも、軍隊という組織で起きた事件であると思えば、もうホラーである。

リーダーなら読むべき本です。読書会したい。

 

八甲田山 消された真実

八甲田山 消された真実

 

 

№227 変化への伴走

本日は神戸でのレッスンだった。普段は宿泊して帰ってくるのだが、来週から長めの出張があるため、本日は日帰りとした。

皆それぞれ、自らの悩みを通じて、物事と真剣に向き合い、教えに出会っていく。
自分も通ってきた道であり、先達も同じようにしてこられたんだろうなと思う。

神戸のレッスンでは、皆様と出会うのは月に一度なので、メッセージを強く打ち出して少しでも記憶にとどめておいて欲しいと思い、ボードに文字を書いたり絵を描いたりして簡単な講義をする。

今日のトピックは「デフォルトモード・ネットワーク(DMN)」について。
主に内側前頭前皮質(mPFC)と後帯状皮質(PCC)にまたがる領域のことで、ここが活性化している時、心はあちこちに彷徨い、自分を中心とする思考や感情(主に不快なもの)を何度も繰り返し反芻している。
こんなことを無意識にやっていると、体にも当然影響が出る。

ヨーガの哲学でいうと、心素(チッタ)と我執(アハンカーラ)の働きを意識化して、離欲(ヴァイラーギヤ)に至らねば、という表現になるのだろうが、「いったいなんのこっちゃ」ということになるので、上記のような表現(言葉)を使わせて頂いて、PCCとかDLPFCというのは、脳の部位で、肉でいうとモモとかヒレとかいうようなもんだと思って下さい、聴いてすぐに忘れてもいいですからね、という感じでお話をしている。

とにかく、また来月お会いするまで、少しでも雑念を押さえて、何か(呼吸とか)に集中する時間を1分でも多く作って欲しい。そして免疫力を保って、具合の悪い人は元気に、元気な人はもっと元気になっていて欲しい。

今、あまり多くの人に指導せずに、お一人お一人と深く関わらせて頂いている。
転院のご相談に乗り、詳しい相談に乗ってくれる医師にお繋ぎし、子供さんの結婚式にまつわるエピソードについて対話をする。
知り合いの医師によると私は厳しいそうだが、何となく指導をし続けるのは嫌である。本当は「変わりたい」と思っている人は多い。何とかお役に立ちたい。

№226 帰国

次女が修学旅行から戻った。
生まれて初めての海外旅行を経験し、興奮気味。
開口一番、「お寿司食べたい!」。
いつもいる子が家にいないと、随分寂しいものだ。
嬉しそうに旅の思い出を語る様子が、愛らしくてならない。

さて、今日は急に冷え込んで、朝は7℃だったとのこと。
もう暖房が必要になった。

なんだか今日は随分と疲れている。
昨日、「八甲田雪中行軍遭難事件」について色々と読んでしまったからだろうか。
三連休に事務仕事をやり過ぎたせいだろうか。

ともあれ今日は頭が働かない。
明日は早朝から神戸に出張。