蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№857 強がりをやめて

今日はお休みです。2週間の講習のなかでたった1日だけお休みがあります。だからってどこかに行ったりしないで完全休養日にします。

 

静かな家のなか、自分の部屋で朝日の強烈な光を浴びながらこれを書いてます。朝日がもっと高く上がって私の部屋から見えなくなったら、裏のテラスに移動してAsanaをしようと思います。

 

日本の秋みたいな気候だよといわれてやってきましたが、想像以上に過ごしやすいです。
そして服装が自由! やや肌寒いのでセーターを着ている人もいるし、寒く感じない人はすごく薄着をしている。自分の感覚で伸びやかに決定していて、とても自由だと思いました。日本だと「そんなカッコだと見てるだけで寒い!セーター着なさい」と子供に言ってしまいそうです。

 


今日がお休みってすごいスケジュール管理だなと、感動しています。

昨日までの数日間かなり重めのセッションが続き、私自身は「マジでー」と思わず唸ってしまうほどの体験が噴出したからです。

 

身体的に疲労感があるわけではありません。でも存在的には深い疲労感があります。中身を整理整頓してくれているのかもしれませんね。

今回気づいた「そのこと」は、ウキウキワクワクしながらじゃ思い出せなかったし、これまでずっと「別にもうなんとも思ってないもんね!」と強がってきました。そういうものを、プラクティショナーとの共同作業によって、自分自身のの奥底から見せてもらい、これって実はギフトだったんだ(とこの部分の文章を書きながら鳥肌が立った)と気付く作業の繰り返しです。

 

私はここに辿り着くまでにマスターマリコとのセッションを幾度も繰り返してきたからこそ、今日今ここでこのことを取り扱えたんだな、と思えることに幾つも出会いました。自分のなかにずっとあったのにね不思議だね。マスターマリコに改めて深い感謝を捧げます。


今回出てきたBIGなネタは、私は怒っていたということです。ずっとです。


怒りの原因にもいくつものバージョンがありました。本来の自分であることを許されていなかった、おまえはこんなんだよねと決めつけられていた、それを跳ね返せなかった、どうせできないといわれたことが刺さって抜けずにいた、などなどです。

 

Yogaをずっと指導してきて(体操じゃないよ?)あらゆる悩みはみんなの悩みで、個人的な悩みなどこの世にはないと感じてきました。こういうことをとっても、人はひとりではなくすべてと繋がっている存在としてここにあるのだということがわかります。

 

だから、私が気づいたことと近似したバージョンとして、多くの人も同じような感情を内に秘めているはずです。そのことで自分自身と戦ったり、人に何かを投影したりする必要は本当はないのだということです(これがシャドウワーク)。

 

この数年をかけて、私は本来の自分にかなり近いところまで戻ることができた、存在を修正できたと感じています。ここまでのプロセスで顕在的なものが抵抗して、一瞬アレルギー症状が出たのですが、それもまた訳がわかりました。今は腰の一部分だけがなぜか痒い。このことの訳も明日以降で明らかになるでしょう。

 

私がこの世で一番怖いことは、今この瞬間の本来の自分に嘘をつくことです(成長したら変わっていくことも多いので「今の」という言葉を付け加えたいと思います)。


これまでにも書いた通り、私の、そしてあなたの深層の意識には発語器官がありませんので、イメージや体験でぶつけてきます。できればイメージや軽い症状のうちに気づいておきたいものですが、そういうわけにはいかなかった経験が私にも山ほどあります。それが当時の私にとってはあまりにも苦しく過酷だったので、ある日私はひれ伏して誓いました。

 

「もう私に嘘をつきません」と。

 

でも嘘をついてずっと長いこと適応して生きてきたので、根深いクセが残っているんだよなあ。しかも無意識でそれをやってきている。それを今回かなり修正できたと感じているし、日本に帰ったらご希望に応じ皆様の修正のお手伝いをしようと思っています。

 

ちなみにこの2年でプロセスはかなり進んでいて、本来の私がかけて欲しかった言葉をたくさんかけてもらっていたことがわかりました。気付いていなかったけれど。そしてここまで悩んできた時間も経験も、すべて必要であったこともまた今回理解しました。未だ完全ではないと思いますが、今後も絶対者の緻密にして完璧なお仕事に、息を呑むことになるでしょう。

温かい言葉をかけてくださったみなさんに心からの愛を送ります。そして、私の過酷なプロセスに関わってくださった方々にも深い感謝を。

ありがとう。