蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№589 ションボリホルモン

火から火がうまれるときの静かさであなたにわたす小さなコップ  笹井宏之



3月3日
皆さんお元気ですか?私は元気ないですけどね。ワケ?そうだなあ、昨日「日本沈没」2006Ver.をYouTubeで見て、その後も主題歌「Keep Holding U」をループ再生でずっと聴いてたからかな。

ニッポンを救うためにわが身を擲つと決めいよいよ出発だというそのとき、彼女がバイクでガーっとやってきてふたりは駆け寄って抱き合う。その時この曲が流れる。我が身を犠牲に、というところで「塩狩峠」を思い出しちゃうのは私がオトナだからでしょうか?

しかもこの映画のこと、私まったく知らなかった。2006年でしょ?人生ドンゾコだと思っていた頃ですね。深く沈降していて外界の事象に全く触れていない感じで、記憶がほとんどない。ところがどっこい!そこはまだ全然底じゃなかったことを今の私は知っているので、2006年当時の自分に「沈没するぞー!」と大きな声で言ってやりたい。でも絶対者の仕事はいつも申し上げるとおり緻密にして完璧なので、今の私からの警告は風に吹きすさんで消えてしまう。がんばれ2006年の私。

いやしかし、
最期かもしれなかったりつらく孤独だと思う瞬間に、

“誰かが、間違いなく、自分を思ってくれている”

と確信できることはひとにどれほどの勇気をもたらすものだろうか。

それは言葉などでは決して表現できない感情だと思う。熱いハグを交わす草薙君と柴咲さんを思いながらジーンとしてしまう。頼むから帰ってきて、彼女を抱き締めてあげてほしい…ああ。今日の私は脳内の、推測するに報酬系の隣からションボリホルモン略してSHが分泌されているので、なにを見てもきいてもションボリするんである。

 

 

さて、JK剣士は母のブログなどは決して、絶対に、読まないが、気には懸けてくれている。
「今日はなに書いただ(*米子弁同時通訳=本日のブログには如何なる文章を載せたのであるか)」と聞いてくれるので、カクカクシカジカでありますと答えると鼻でフッと笑われ、

「おもんな(=それは大層陳腐でつまらなく、お読みになる方がお気の毒ですね)」
と言われるのである。

そして、
「こんなん書きない(=せっかく世に自分の文章をご披露するならば、これくらいのものを書いては如何か)」とJKの古文の教科書を渡された。はて?

「これがおもろい(=これは実に面白いので参考にするがよろしいでしょう)」と言って示されたのは「土佐日記」だった。

紀貫之…元祖ブログ? 
いや、別にいいです。すみません、たぶん路線違います。

 

 

ところで最近、内的なものの変化が生じている。これに関してはマスター・マリコがお詳しそうなので先程LINEで狼煙を上げておいた。今晩にでもお返事が頂けるだろう。

廊下を歩いてて何かにぶつかったら痛いですよね。筋肉痛もすぐわかりますよね。あれと同じ感じで心の動き・反応が物的に明確な感じとしてわかるのである。わかってもらえるとうれしいんだけどなあ。

昨日は「日本沈没」を見ていたではないですか?映画の場面でいろいろあってすべてが哀しいわけではないですよね?そうするとその場面場面で心がカタチをもったものみたいに鮮やかに動く。
昨日は写真の整理もしていたのだが、ひとつひとつの写真にはその当時の思い出や今に到るまでに遷り変わったことに対する感情があるが、もうそれがドッタンバッタン!という感じで動くのである。


たぶんそれで疲れて、心的エネルギーがダウンしているのだろう。だからションボリホルモンSHが出るんですよ。そうだ、きっとそうだ。肉体を持つ我々は陰陽双方の力を内在させているから、嬉しかったり寂しかったりは表裏であってすべて同じこと。べつにいいんだって、しょんぼりしてても。

なんだかさー、パソコンの調子も悪いし家のなかのものもどんどん減っていくし(私が棄ててるんだけど)節目感がいっぱい。これまでに書いてきた文章の加筆修正と、また新しく文章を書くことに没入しようとしているのだが、その前に何かが起きつつある予感。春だしね。

 

今日はひなまつり。目白にいるぶーちーにも雛あられとコーヒーを送った。今夜はJK剣士のために肉を焼くことになっている。雛祭りっていえば肉だよね、うん。


 

たとえ遠く 離れても
抱きしめている ずっと
めぐり逢えた 命は
時も越えて 響きあう

”Keep Holding U” 久保田利伸