蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

No.718 好きな作家 

夏草になつ暮れてゆく前奏はひかりのなかの鷺のはばたき   筒井裕之

 

 

 

7月19日

新幹線は岡山駅を出たところ。今回は一週間の滞在でJK剣士の懇談など大事な所用を済ませた。

旅行に出かけるときにすごく悩むのは、どの本をもって出かけようかということ。
今回もひとしきりそのことに悩み(出る直前まで悩んだ)、ウィリアム・トレヴァーの最新長編を準備していたのだが… 

何人か大好きな作家がいるが、トレヴァーは確実にそのひとり。昨年初めて長編を手にとって心を鷲掴みにされた。そこで当然Amazonで彼の長編を隈なく探したのだが、なにしろ短編の名手と呼ばれる人だけあって長編の作数が少ない。今、入手できる長編はすべて手に入れ我が家に積読されているのだが、悩むべくは「いつ読むか」。

初読の楽しみは生きていてたったの一度きり。再読は何度でもすることになろうが、初めて読んだときの揺さぶられ感はたった一度きりなので積読しながら読みたくても読まない。最初のページをチラ見しながら「いやいやいや、まだ時じゃない!」と思い直して積読に戻すことを繰り返している。

この人が私の夫になる人なのね!
と思ったら、違った。
花婿の友人が出迎えに現れただけだったのだが、この友人が花婿よりもあらゆる点で彼女の理想だったため人生を狂わせてしまった女の物語が初めて読んだトレヴァー作品。読み終えたそばから二度再読した。

ときどきこういう作品に巡り逢える。こういう機会のために読書をしているんだと思う。
歳を前よりも積み重ねて、たくさんの本を読み、好みも明確になってきて気難しくなっているのかもしれないが、それでもときどきはこんなものに出会えるのが嬉しい。そして私は本を読んだ時の内的な感覚は記憶しているが、タイトルすら忘れていることがある。そしてこの小説のタイトルも忘れてしまっているのだが、読了した本が収めてある書棚のどこにあるかはわかっているし、この物語世界に触れたときの体感はいつまでも鮮やかに私の中にちゃんとある。