蓮は泥中より発す

心身一如に生きるヨーガ教師の日記

№555 凄い男の活用、そして世界の可逆性

君が行く道の長手を繰り畳ね焼き滅ぼさむ天の火もがも   狭野弟上娘子

 

 

  

1月28日

昨晩は日本橋で秘密の会談だった。まあただの女子会ではある。しかしお相手が色んな意味でタダモノではない。
三つのお店を提示され選ばせて頂いたのだが、その三つのなかにズバリ蕎麦屋が入っていた。女子会の会場に蕎麦屋を入れてくるあたりがまずタダモノでない…やはり私の睨んだ通りである。蕎麦屋で日本酒って憧れる。一回やってみたいとかねがね思っていたところであるがなぜバレたのだろうか。やはり霊力をお持ちなのだろうか。一杯やる前からすでに脱帽、ここは迷わず蕎麦屋で決まりである。

 

ところでいったん話が代官山に飛ぶ。
まず忘れないうちに書いておきたいのだが、渋谷から代官山駅に向かって行って、降りたとき階段の登り口にある日本腎臓財団のポスター。アレ、ちょっとどうかな? 

ご存じない方に説明しよう。
けっこう大きなポスターで、バカボンのご近所に住んで掃除ばっかりしているあのおじさんがいつもどおりのあの感じで「アレレのレー?慢性腎臓病、ご存じないんですか?」と言っている、そんなポスターである。

レレレのおじさんはたとえどんなにまじめにキリっと澄ましていたとしても、常々あんな感じであるからして実は超シリアスな心情なのかもしれない。百歩譲っておじさんの顔に罪はないとしても、しかし。
「ちょっとその箒を貸してみい!!」と奪い取って、「どげなりょうけんでこげなポスターに出ることに決めたもんか、その根性をここで叩き直してやろうやないかぁ!」と秘儀・卓袱台返しの箒版をしてやりたくなった。自らのキャラの潜在的破壊力を理解していないに違いない。


最近、自分の素晴らしさをイマイチ理解しきれていないモジモジした凄い男を、如何に励まして日本人に対する貢献に尽力させるかを考えているので、レレレにも自分がもっとも輝いて人から称賛される場面を求めよ、もしくはもっとちゃんとしたマネージャーを雇って仕事は選べ!と説教してやりたい。ちょっとあなたそこにお座りなさい、もちろん正坐に決まってます、他の座り方があると思ってるのかしら?という感じである。
代官山の駅のホームでほんとに足が震えたんだから。怒りで。


腎臓というのは、人間のからだのなかで水分の代謝を担う非常に重要な臓器である。東洋的な視点でいうと、人体における腎臓を中心とした働きをもっと大きな枠組みで捉えて「腎」と呼ぶ。腎は生命力が宿るところ。
西洋医学では「臓器」というのはなんだか取り換え可能なものみたいに思われている。でもヒトのからだのなかの働きというものは、すべてが緻密に結びついていて、どこかでなにかが起こると影響は全身に及ぶ。そしてほんとのこというとこういう働きはからだの外にまで及んでいて、この世で緻密に絡み合っていないことなんてひとつもない。まあでもそのことを言い出すとちょっと話が壮大になり過ぎるから、今日は腎臓のことだけで勘弁しておこうか。

人間のからだのなかでもっとも多い分子は水。基本的に6割くらいが水。赤ちゃんは多めでピチピチしていて、老化により色んな要因でカラカラになっていく。年齢は関係なくてライフスタイルの問題である。ほら加齢は病気じゃないから、病気なのは老化だけだからね。ここ大事だから忘れないように。

水は循環しないと腐るから、その循環の要になっているのが腎臓。この大事な臓器が傷むと、全身に色んな不都合が生じるのは容易に想像できると思う。そういう病態があり、そこに苦しんでいる人がおり、そこを皆が知って予防したりより適切な治療を受けられるように関係各位は頑張っておられることと思う。たぶん。そう信じている。信じたい。そういう思いから「ポスター作ろうや!作って代官山に貼ろうや!」ということになったんだろう。

で、なんでレレレなの? なんなのその感性。なんだかズレてないかな。
基本的に西洋医学の病気観は不可逆性に基づいていると思うので「一回悪くなったら治りませんよ?」みたいな脅しを平気で無責任に、言う。Yogaの世界観では違う。あの天風さんだって西洋医学的には「あんたはもう死ぬしかないねえ」と言われてしまった大病を、「自分のからだくらい自分で何とかせい」と師(Yoga行者)に言われて治してしまったじゃないですか。天風さんのすごいのは諦めなかったところ。

私は可逆だと思います。たくさんのいろんなことが。

病も症状も、今の状態から良かった状態へ戻すことができる!という強い信念を持ってのレレレなら許そう。でもその顔、ほんとにそんな気持ちあるのか?!男なら(思いついたのは男じゃないかもしれんが)もっと何か違う表現で行け!痛いくらいの強い愛に打たれて、思わず代官山駅のホームにひれ伏して人生が変わってしまうような。

 

で、代官山の駅を出たあとの話に移る。
おしゃれなイメージのある代官山の、かなり有名らしいYoga関連ショップで接客をしてくれたおねえさんがこれまたタダモノでなかった。ウェアを買いに行っただけなのに保有資格(ヨガの資格ってほんとに魔界みたいにワケわかんないことになってるから)や何所から来たか(鳥取発五反田経由)まで開示してしまい、名刺交換までしてしまった。私も負けずに、彼女の病歴やヨガ関連資格の保有状況まで聞いちゃったよ。


そこで、ポリヴェーガル理論のセミナーが今人気なんでよかったらチラシどうぞ、と声掛けられたんだけども、なんでYoga業界で今そんなにポリヴェーガル理論が人気なのかなということについて二人で語り合った。そのエグイ話の内容は各処に喧嘩売ることになりそうだから、O先生にだけ話すことにしてここには書かない。

 

そしてこの話が日本橋蕎麦屋に着地するのである。
日本におけるインテグラル理論の普及に尽力して来られたこの方は、かなり長いYoga歴をお持ちである。そしてYogaに触れてきた側面が私とまったく真逆。いわゆるフィットネス系とかアメリカンスタイルと私が表現するところのものをとことんやってきたのが彼女。なぜかはわからないが(まあ絶対者ブラフマンの仕事なんだけど)はじめっからラージャ・ヨーガの一本道・けものみち以外知らない純粋培養なのが私。

 

フィットネスの王道を歩んできた彼女が、長年の経験と自分の心身との対話で辿り着いたのが、私が当たり前として受け取ってきたスタイルだったという。

なんで、Yogaで目を開けといていいのかがさっぱりわからない私。目を開けたまま動作をしたり、人(先生)に体を触られたり外界の環境を操作(ホットにしたり)することで、最も大事ななにかは失われるように思う。
要するになんで目は閉じられないといけないのか、なぜ指導者は生徒のからだに触れたらダメなのか、Yoga指導の最も大事なキモはなんなのか、そのエッセンスを理解したり解説するためにポリヴェーガル理論は便利なのだと思う。

でもこの理論はずっと前からコーク博士たちがトラウマ治療に用いており、すでに一定の成果を挙げている。そのこともちゃんと和書で読むことができるし、ヨーガにかなり長い一章も割いてある。ボストン・トラウマセンターでYogaを教えているエマーソン君も、来日してワークショップしてくれたよ?ハッキリ言ってあれはただのヨーガ療法だった。アメリカにおけるヨーガ療法普及は絶望的なのかな。

 

インテグラル理論もそうだけれども、理論だけ勉強しても仕様がない。
Yoga教師の前には生徒がいる。あなたの心身の状況に精緻に耳を傾けて、単に優れた道具としてのYogaを二人の人間のあいだに機能させ、いま困っている何かを変えるためには資格や理論を超えたものが必要である。

 

 

あ、なんだかまた燃えてきて長くなっちゃった。このことについては別のところで書くことにする。

K原さん、昨夜は本当にありがとうございました。惚れました。
次はイモを食べながら日本酒呑みましょう。繊維が多くてのどに詰まるから、どんどん酒を呑むしかないイモの山を築いておいてください。私は焼いて食すのが好きです。ドキドキしながら待ってます。