蓮は泥中より発す

心身一如に生きるヨーガ教師の日記

№556 慎重に言葉を

雪まみれの頭をふってきみはもう絶対泣かない機械となりぬ   飯田有子

 

 

 

1月29日

留守宅は積雪らしい。昨日、東京も雪が降っているんでしょと長女が案じてくれたが、降っていることにも気付かなかった。積もらない雪は降ってるんじゃなくて舞ってるだけだよね?母さんは無事だから安心してください。

 

 

代官山のレレレには重大な後日談があった。
レレレさんが「ご存じない?」と言っていたのは「慢性腎臓病」。これがなななんと暗い裏話があるようなのだ。

たぶん今この世で一番私のレッスン(体操の)を受講しているK山さんは、毎年の検診前に騒ぎ、検診後にも騒いでいる。K山さんは明るくておおらかなそのご性質に似通った貫禄ある体型をしておいでなのだが、そうなるとメタボに狙われてしまうのである。

糖尿病情報センターのHPの情報に基づいて、めんどくさがりな私のためにメタボを解説しよう。
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まず腹回りがヤバいくらいおおきいこと。おへそまわりをグルっとはかって男子なら85、女子なら90(㎝ね)以上あることが1番大事な条件。こうなっていると、あなたの脂肪はハラ(皮下)だけじゃなくって内臓にもついてますよ!ということ。
そのボディに「血圧高い、コレステロール高い、血糖値高い」という3つのうち2つがヒットすると「ザ・メタボ」と認定される。

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「メタボである」という「診断」を受けると、太ってて血糖値とか血圧とかが高いという「状態」が「病気」ということになって「治療の対象」になる。

こうなったらまあふつうのひとは定期的に病院に行って薬飲んだり、病院で栄養指導受けてダイエットに励んだりするのであろう。こうやって、メタボ検診は新しい患者さんを生み出すことができる。ここがこの話のキモであり、新しい病気の提唱の裏にある裏話である。

 

同じように「慢性腎臓病」という概念があり、国民の8人に1人が腎臓病予備軍=慢性腎臓病(CKD)であるとレレレのおじさんを採用した日本腎臓財団のHPにはある。
以下HPの内容をざっくり私にもわかるように要約すると、

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はじめのうち自分ではわかんないんだけど、貧血とか、疲れが取れないとか、なんだか足がむくむなあなどの症状がでてきたときにはすでにCKDっていう慢性腎臓病が進んじゃってることがあるんだって! じわじわだけどこの病気が進んでいったら、もう自然に治ることはないらしい。さいごには透析療法とか腎移植とかを受けないといけないくらい腎機能が落ちちゃって「末期腎不全」というのになってしまう。原因は色々だけど、糖尿病、高血圧、肥満などの生活習慣病からなることが多いらしいよ…

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怖い。これはヤバいよ。
だって疲労感とかむくみとかが出ていたら、もう病気が進行してて自然に治ることはないかもしれんのだよ?!はやく病院に行って自分がCKDでないかどうか調べてもらわなくっちゃ!この病気にも一応定義があって、3か月尿にたんぱくが出てたらあなたは慢性腎臓病(CKD)の患者である。そうしたら、生きてる間はずっと治療を続けないといけないってこと?

 

ふーん…
明日、秘境田端の秘密の場所で月1回のミーティングがある。いつもは収録だけど今回は中間のふりかえり作業。だからいつもよりたくさんおしゃべりができるはず。ほら、秘境田端は透析の聖地だから、明日私は絶対にこのレレレネタを出して吠える。
もうすでに昨日リーダー相手に吠えちゃったんだけど、リーダーは「俺、代官山行ってそのポスター剥がしてこようかな」と呟いた。その真剣な顔を見たとき、性格が猫みたいな私が、こいぬになってこの人のうしろを走ってついて行ってもいいと思ったね。

 

何で私がそんなに怒ってるのか、聴きたい?

お医者さんてさ、病気の専門家なんです。その知識を私だってリスペクトしています、いやほんとに。何度も助けてもらった。でも健康の専門家じゃない。これは私が言ったんじゃないよ。Jnana Yogi 慧心師がいつもいつも何度でも言っておられる。「基本形がわからんでいったいどこに戻すのであろうか?」とも言われている。

 

Yogaはバカみたいに体操ばっかりしてるわけじゃなくって、色んな聖典をしっかり読み込んでいく。「聖典読誦」っていうむずかしい言葉がこの聖典を読む行為につけられているけれど、それはただ読んだだけで容易に理解できるようなものではないから。

聖典読誦して考えてみる。わからないからAsana(体操)とPranayama(調気法)して自分のこと観察して考える。やっぱりわからないからまたAsanaする。また聖典読誦して更に混乱して瞑想してみる……
この永遠のループにはまり込んで、輪廻からのアガリがくるまでこれやるしかないかな、と諦めるのがYogaの道を歩むってことなのかもしれない。

 

で、聖典でなにがわかるかというと「人間の基本形・健やか形」がわかる。徹底的にそこを書いてある。基本形を理解したとき初めて「人が病む・壊れる」ということへの理解が生まれる。そもそもYogaは人間存在を肉体以上のものと思っているから、一面的に肉体に病があるから病気、なんてことは思ってない。

 

なんだかこの社会は、患者をたくさん生みたい・作りたいみたい。人を見てるのか患者さん見たいのか。それがほんとうに「患者」さんである「人」をHappy/Sukka(楽)にするためじゃないみたいに見える。もちろん素晴らしいお医者さんもちゃんといることはわかってる。
この先はここには書かないでおく。嫌な話だから。明日きっと田端ではこの先の話も出る。

 

人間の機能のアレコレが上手くいかなくなる理由が、単に腎臓にだけあるとか太ってることにあるとか、言えないんじゃないかな? そもそも栄養の吸収や代謝にも色んな要因が関わっているし、人って本当に複雑な存在だから「すでに病気が進行している場合があり、ある程度進行すると自然に治ることはありません」とか言われちゃってそれを信じてしまったら、物(肉体)なんて簡単に影響を受けてしまうよ。

言葉は思考を作り、思考は信念を作る。そして信念は生き方を作り、肉体を作る。
言葉もメッセージも、慎重に選んで、希望を与えるように気をつけようよ。
諸刃の剣は相手の手を握って、瞳を見つめながら「先生」と呼ばれる自分と差し違える覚悟の上で使おうよ。

愛のない概念だけを垂れ流すのはやめようよ。