蓮は泥中より発す

心身一如に生きるヨーガ教師の日記

№505 その道

おごそかに隔つるもののあるをおぼゆ愛すといへど恋ひすといへど  前田夕暮




助産師のたつのゆりこさんの施術を受けた。今回で3回目となる。

心身に取り組む一領域の専門家として、他領域の方に身を委ねるのはとても重要な体験であると感じる。施術のなかでシュラブアーサナ(バッタのポーズ)のように足を高くもちあげて下さったのだが、自分の筋力でここまで上げることは絶対にできない。シビれる心地良さである。「人にやってもらえるといいよね」とたつのさんも仰る。

単に外形としてのからだだけでなく、他との緻密な関連で、こういう動作を用いてくださることがわかるのもおもしろい。鼻のマッサージを行いながら股関節を動かしてもらうと、明らかに可動域が広がるのも興味深い体験だった。
人のからだは、すべてがここまで深く繋がっているのだと改めて教えられ、感動する。

たつのさんはアーユルヴェーダをよく理解しておられる方なので、ヨーガを専門として人に向きあうわたしのことも、よくわかって下さるように思う。なにしろヨーガとアーユルヴェーダは、分かちがたく結びついたきょうだいなのだから。ほんとうは私も、アーユルヴェーダの施術側の経験をもっと積むことが必要なのかもしれない。

前二回の施術では、それぞれ取り組むべき課題を明確にご指示頂いた。次に伺った際に課題が解決されていることが、とても面白く感じるし、実践家としての自信にもつながる。また肉体的な問題を解消していくにつれ、施術自体から感じる心地良さが倍増した。体験を受けとめる側の許容範囲が、心身の調和具合に左右されているということ。



ある領域を専門として活動しようとするとき、当初どうしても視野が狭まり近視眼的になる。そこで起こるのは自らのアプローチに対する誤った全能感であり、これさえあればすべて大丈夫のような気がして、人にもそれを強要してしまうことが起こりがちである。

たぶんどの世界にもそういったことはあると思うのだが、私もかつてヨーガの世界で「自分の弟子になれ」という誘いを受けた経験がある。一番初めに通った教室の主宰者であり、ヨーガ療法という今に到る資格取得の、そもそものきっかけを作ってくださった方でもあった。

YIC(ヨーガ療法士養成講座前期課程)を約10カ月間で修了すると、「インド中央政府認定ヨーガ教師」の資格が付与される。これは後年私が取得したQCI認定Yoga Professionals とは異なり、マジメに講座に出席し課題をこなせば取得できる資格である。

余談になるが、正直に思うところを述べると、こうやって「受講―卒業―資格付与」ということをやってしまうので、後々「ヨーガ指導者の水準を揃える」ためにQCI認定の制度のようなものを発動させないといけないのではないかと思うのだが。ちなみに日本でQCI認定Yoga Professionalsの資格を取得するには、ヨーガ療法学会の認定制度のなかに身を置いておく必要がある。私の知る限り、ヨーガ指導者に対してここまで厳しく卒業後の履修を制度化している団体はないので、少しずつヨーガ療法士の他資格との差異化は行われ、信頼度は上がっているように思う。
しかしそもそも、ヨーガ教師の”合格“などどの点をもって言えるのかわからない。私も何度か試験管を務めさせて頂いたが、そもそもヨーガの懐の深さと資格制度というものがあまり調和しないのかもしれない。愛と結婚制度のように。複数の認定をもらった今、改めてそう思う。

さて、話を戻すと、講座にご紹介下さった張本人の先生が、後期課程に進みヨーガ療法士としての学びを始めた私に「課程を辞めて、自分のやり方に従え」と仰る。要するにこの方は、認定を取らせて指導資格を得させたのち、自分の弟子を増やしたいという意図をお持ちだったようなのだ。

曰く、60分の録音を聞き、インストラクションを丸暗記して、自分とまったく同じように指導せよと。確かに私は、講座出たての卵である。しかしいくら先生がベテランと言えど、その主張には問題がある。人の指導をオウムのように口移しで伝えたその先に、意識化、客観視、観察者としての視点の確立、囚われからの解放というヨーガが本来目指すものはもたらされるか。
先生へのご恩義があったとしても、そのやりようのなかにヨーガは存在しない。10数年指導をさせて頂いた今だからこそ、私はそのことをはっきり申し上げたいと思う。

 

ヨーガですべてのことができるような発言も、耳にすることがある。しかし、やはり間違っている。部分的であるから。同じことは他の領域でも起こっているだろう。
「とにかくいま、このことに専心没入」という時期は確かにあるし、必要である。そのときには疑いを抱かずに没頭をするべきであるし、専門性を持つということは、その道に絶対的に惚れ込んでいるということでもあるから、他の道を許容しつつ、我が道をひとり行く強さは必要であると思う。ご縁あってここで生きよと示された世界で我が道を行っているが、他領域に関して常に寛大でありつつ、広い興味を保っていたい。そして時には別の専門家にこの身を委ね、自らを癒し、新しい発見をしたい。

 

 

先日、故人の奥さまと、思い出のビストロで食事をした。
数日後に四十九日の節目を迎えるにあたり、お気に入りのお店での会食にお招き頂いた。哀しくてとてもひとりでは行けないから、一緒に行って欲しいとのことだった。
故人はこのお店が大好きで、私も何度もご相伴させてもらった。奥さんや日本舞踊家の博美さんとご一緒したことも、何度もある。

いつもいつも、その店に行こうとして道に迷った。ぐるぐる飯田橋界隈をさすらい、泣きそうになりながら辿り着いたこともある。昨日は奥さんが詳細に解説して下さったお蔭もあって、何の苦もなく辿り着くことができた。しかし、ここでもう二度と、おにいちゃんと一緒に食事をすることはないのだ。

 

年明けには、奥様は思い出深い家を出て新しい場所での生活を始められる。まだお別れして間もないのに、引っ越し準備のために整理を始めざるを得ないお心を思うとたまらく苦しくなる。
ご準備の過程で、愛用のものをいくつも私たち親子にお譲りくださった。愛用のバッグを日替わりで背負って、JK剣士は学校に行っている。たくさん本を読むからと、いくつものブックカバーも頂戴した。私はスーツケースを形見分けとして所望し、寛大にもお許しを頂いた。これからも奥さまの元にお邪魔する際、このスーツケースを手に「ただいま」と言って“帰る”だろう。

今お住まいの家に、娘たちもそれぞれ何度もお世話になった。
長女は受験の際にも長くお世話になり、ほんとうに東京の父・母のように手厚くお世話頂いた。実の母が一緒にいるより良かったはずだ(ママはこんな人だからね…)。
4年ほど前の夏、長女が防衛大学校への推薦入学を検討していた際、ご夫婦が付き添いで小原台まで行って下さったこともある。

それぞれの子に思い出と、思い入れがある。
だから私たち母子は、今年の暮れと新しい年の朝を、奥様と一緒に迎えることに決めた。ひとつの年がゆき、新しい年がやってくるその瞬間に、あなたにひとりでいて欲しくないから。そうしてやってくれと、どこかから声が聴こえるような気がするから。

 

ここにこうして生かされている以上、どんなに哀しくても、毎朝目覚めねばならないから。せめて。