蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№506 後天的親子関係

冬のひかりに覆われていく陸橋よ だれかのてのひらへ帰りたし  内山晶太

 

 

12月10日は、恩師・菊洋晶子師匠のご誕辰である。
めでたく80代半ばの歳を迎えられた。

茶道、華道、筝曲(箏・三絃)のすべてで教えを受け、人生の折節でたまらなく苦しかったときにも、このうえなく嬉しかったときにも、すべてをそばで見守っていてくださる方である。
芸の上とはいえ、お免状をご相伝いただいた上は親子。何事があっても、私にできうる限りお尽くし申し上げたい。

ちなみに仏教の思想では、親子よりも師弟関係の方がご縁が深いと考えると聞く。
「親子一世、夫婦は二世」、そして師弟は「七生の縁」。これまでの生で七回もご一緒し、深いご縁があるというのだ。師弟は永世とする考えもあるし、この世で最も美しいのは師弟関係だとも言うらしい。確かにそうかもしれない。多くの師、そして生徒さんとご縁を頂いているが、この度の私の生は、仏教的な世界観から見ると、過去の関係性の豊かさの恩恵を存分に受けているのだなと思える。

蛙に恐怖心を抱く私の前世は蠅かなにか(ペロッと飲まれてしまった記憶が、蛙への恐怖を生んでいる?)と思って来たが、今回に関しては違うものの影響を受けているのかもしれない。有難いことである。

さて、菊洋先生の下では、我が子たちもそれぞれ乳児の時からお稽古場への出入りさせて頂き、茶室の空気をあたりまえのものとして育った。お蔭で未知の場に出てもたじろぐことがあまりないようだ。贅沢な話である。今は、それぞれが志す道で各個に教えを授かっていることも有難い。
不在の私に代わり、娘たちが直々にお祝いを申し上げた。
これからも末永くお健やかに、未熟な私たちをお導き下さい。

 

 

さて、昨日は白金の静かな場所で、お二人の方と会食させて頂いた。
故人は私に、実に多くのひとを紹介してくれたが、生涯で最後に繋いでくれたのがこの方だった。ちょうど1年前、12月のことだった。

相続に関わるお仕事をされておいでの方で、僭越ながらそのお仕事のなさりように哲学と愛があると感じさせられる。故人もその点を愛し、長く付き合ってきたことと思う。

今年2月に来鳥なさった際、出雲大社等の観光にお連れするよう仰せつかった。
お酒はあまり嗜まれず、甘党でらっしゃる。初めての会食時にも山陰の和菓子をいくつかご紹介申し上げたところ、すべてをお買い上げになられたと伺った記憶がある。

茶道が盛んな山陰は優れた和菓子がたくさんあり、不昧公お好みの茶趣溢れる菓子なども多く伝わっている。代表的なものに日本三銘菓の一といわれる銘菓・山川、春の野を思わせる若草、独特の餡をもちいた朝汐を始め、菜種の里、姫小袖など。他にもいろいろあるのだが、お茶(薄茶)がなくとも美味しく頂けるようなものを、いくつかご案内したように思う。たぶん彩雲堂さんの柚子衣、桂月堂さんの薄小倉などだったかと。

 

大社さんにお詣りし、松江市に移動して、寺町の彩雲堂本店で求肥上生菓子を召し上がって頂いた。求肥とは、繊細な餅のようなものと思って頂くと良い。彩雲堂さんは、この求肥を用いたお菓子が絶品である。

遅めの昼食にこの地方特有の割子蕎麦をご一緒する頃には、幼少時のことや親との関係、お互いの仕事の理念にまで話は深まり何とも言えない親和感を感じた。ああ、この方は、私がヨーガを通じてやろうとしているのと同じことを、ご自身のお仕事を通じてなさろうとしておられるのだと。

 

故人が亡くなった際、私とも繋がっている皆様に積極的にご連絡申し上げたわけではない。でも、この方には直接ご連絡をさせて頂いた。そうせねばならないような気がした。

今日久々にお目にかかったが、私に会うのが怖かったと仰る。
もうこの世にはいないとは信じられぬまま、まだどこかに生きているように思える。私に会って言葉を交わせば、死を現実のものとして受け容れねばならない。聞きたくはないことをもたらす、不幸の手紙のように感じられたのだろう。気持ちは痛いほどわかる。故人について触れた私の文章を読むのも、怖かったのだと。

 

相続に関連するお仕事をなさっておられると、これは想像に過ぎないのだが、たぶん、家族というものの醜い有様も目になさることがおありと思う。そのせいなのか、それとも職業には関係ないこれまでの来し方がそうさせるのか、私よりも随分とお若いのに、老成した印象がおありで、豊かな対話をさせて頂けると、いつも感じさせて下さる。
繋いでくれた人は現世から去ってしまったが、さらに交流を深めたいと思う方である。鳥取にある名店・寿司処せいじさんに、ご一緒するお約束をした。
このご縁を繋いでいけば、きっとお兄ちゃんも喜んでくれるだろう。



インテグラル理論の学びを通じても、今回のことでも、そして私自身の経験でも、家族というものが抱える病理がひしひしと感じられた。この関係性をどのように意識的に生きるかということは、人の成長発達(自発的に起こってしまうもの)や他者支援にとって、非常に重要であると思える。

現在の婚姻制度は、120年程度の歴史しかないと聞く。すでに色々と不具合が生じているにもかかわらず、いったん制度化されてしまったものは簡単にひっくり返せず、これからも当分この形は維持されるのだろう。せめてインテグラル理論に触れた私たちだけでも、こういったものを意識化し、語り合うことから逃げてはならないと思う。

 

現在、私が考え続けている重要なテーマである、女性性の問題もある。
ある方から「15年我慢すると、女は胸か子宮を失う」という説を伺った。現在の社会構造のなかで女性が活躍するために、男性の行動原理や、男性が作った社会制度に、女性性を持つ自らを無理やり適合させていく必要がある。そこで何らかの抑圧が、必ず生じるだろう。

ストレスや過労の結果以上のものが、そこに感じられてならない。即ち、女性自身が、女性たることを不利益なものとして無意識に考えていることの結果として、自らの性別と肉体の象徴であるものを捨てんとすることが起きているのではないだかと。女であることは受け容れてもよいが、この部分は邪魔だとばかりに。

妊娠出産を通じて、突然の事故に遭ったように、社会的な自分と片割れの性をもって生きる自分というものを意識させられたが、ヨーガの道に入ったが故にそのことをそれ以上意識する必要に迫られなかった。伝統的なヨーガでは一般的に、性はブラフマチャリヤという戒律をもって視野から外され、抑圧されているからだ。

もしずっと自衛隊と言う世界にいたら、私もどちらかを喪ったのかもしれない。女性や母であることを嫌だと思ったことはないが、この仕事においては損だと強く思ってきたし、悔しい思いをしたことはイヤと言うほどある。そもそも私が、人生のあの経験でここまで大きく道を狂わせた一つの理由は、「なぜ、私が生まねばならないのか」という狂うほど強い怒りがあったからだろうと思う。もし、男女がセックスを通じて、ジャンケンのように運の悪い(もしくは運のいい)どちらかが妊娠するという構造体だったら、自分は絶対に妊娠しなかったのではないかと思ったりするのだ。

胸や子宮を喪わなかったのは良かったが、伝統的ヨーガの道に入ったことで性そのものの抑圧が始まってしまった。インテグラル理論を10年学んできて、そのことの病理について考えざるを得なくなった。そこから目を反らすなと、師匠からも促されたその頃、年齢的にも女性特有の身体的な悩みに直面した。

家庭や家族、性差や年齢。こういったものがもたらす具体的な心身の不調に、仕事を通じて向き合っている。こういう問題を放置すると、個人を超えて世代間で継承されるから実に恐ろしい。どこかで留めて、後の世代に苦しみを先送りしないよう努めたい。
せめて、ほんの少数の人たちとだけでいいから、「なぜ、どうして」と自らに問い、自分自身の幸福、身近な人の幸福にどのように責任を持っていくのか、自分なりに考えていかれればと、思う。


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恩師のお誕生日。いつまでもおそばにいさせてもらえますように。