蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№482 素敵な年上の人と

人はみな馴れぬ齢を生きているユリカモメ飛ぶまるき曇天   永田紅

 

 

 

無事帰宅。玄関の花と、デッキの鉢植えが渇きに苦しんでいる。
なぜ君たちは(流儀花を学んでいながら)この苦しみを見て見ぬふりができるのか、教えておくれ。

 

若い頃から飄々としてものに構わぬ性質であるとか、大概のことには動じないように見えると言われてきた。本人は至極繊細なつもりでいるので、そういうことを言われるとムッとする。とは言え、我が娘よりは倍以上でも、茶の師匠からすると半分ほどにしか過ぎない来し方を振り返りつつ人の話に耳を傾けるとき、あまりビックリすることがないのは確かかもしれない。

ヨーガ教師はネタ満載の過去を持っていることが大事だと、西宮の古市先生がヘルシンキの町で教えてくれた。ヨーガ教師として長く生息している面々は、誰もかれも濃いエピソードを持つ一筋縄ではいかない連中ばかりである(先生方、ごめんなさい)。そしてそのエピソードがオープンであって、集中修行会で師匠からネタにされる。そのような先輩方のなかではものの数に入らぬはずの私だが、確かにネタにされたことがあるな。しかも全国配信されていたっけな。

 

 

思えば10代の初めから親に絶望していた可愛げのない娘だった。
育ててもらった恩はあるが、人として尊敬はできないなと思う小学5年生。
自分が子を持ったとき、子供とは親のことをそんな風に見る残酷な生きものだと知っていたから、残念ながらあなた方の親は救い難いバカであること、世のなかにはもっとましな大人がいるので絶望する必要はないことを学ばせるのが私の役割だと思ってきた。Yogaを始めて少し智慧がついてからは、無条件にただ愛することもミッションに加わった。

 

なので、うちの娘たちは、ふたりとも生まれて数か月で茶室デビューをした。
それぞれ別の土地で、別の先生のご厚意の下に、乳飲み子ながら皆様と共に稽古場に入ることをお許し頂いたわけだが、今自分の茶歴が20年にもなって改めて、この先生方の豪気さに思い至り、改めて驚く。

 

私に決してお聞かせにはならないご苦労があったことと思う。様々な人が稽古に上がられるのだから、子供が苦手な人もおられたと思うのだ。乳飲み子だから煩いし、当時の若い私は今よりもっと弁えがなく無礼であっただろうし、でもそんななかで「諦めてはいけない」ということをはっきり言われ、なにより師ご自身の態度をもってそれを叩きこまれた。
「誰になにを言われても、一切気にするな」と。

 

 

親は親なりに必死に私を育ててくれたとわかっている。あの人たちがいなければ、私はこの肉のからだをもって現し世に存在していない。毎日のYogaも行じられなかったし、子供を持つこともできなかった。この手で猫の柔らかい被毛を撫でることもできなかったし、大好きな人の逞しい上腕二頭筋に触れることもできなかった。だから恩義がある。そのことを思うと自然に頭が垂れる。有難い、と。

 

私の内面を滋養してくれたのは親以外の人たちだった。それでいいと思う。そういう役割分担と決めてこの世界に来たのだから、どちらもなにも間違っていない。私たちのチームワークは完璧だった。これまでも、今も。

 

 

人と関係性を深めることに面倒さを感じ、「もういいかな」と思う癖がある。私のことは放っておいてくれないかな、あなただけ先に行ってもらえませんか、という思いが湧き上がる。もしくは絶対に自分の本音を気取られないように楽しげに振る舞う。これは親子関係に由来するシャドウであって、まっすぐそこに向かいたいと心が渇望するものを諦め、本心を隠すことが生き抜くために必要だったかつての自分を、客観視し続けていかねばと思う。いつか解放される日が来ると信じて。

「諦めるな!」と最初に怒ってくれたのは、高校で日本史を教えてくれた猿渡先生。次がお茶の高橋先生。あなたが絶対にあきらめないとき、必ず支えてくれる人が現れる、という言葉を私は茶の湯修行のこととして聞いたが、あれは人生すべてにおけることだったんだな。私はようやく、そういうことがわかる年齢になれたんだな。

Yogaが教えるとおり、加齢は救いだと思う。

だから今、娘たちが枯れた花を放置することもまあいいかと思う。君たちは若すぎるんだよ。若さという重荷を負っているのだから仕様があるまい。がんばって生きろ。
あなたたちは、生まれたときから稽古場に入れることが許されていた。そんな贅沢な人生ってたぶんそんなにない。だからゆっくりと育っていって、そんな経験をしたことをどんな風に世界にお返しすればいいのか、考え続けて欲しい。

 

 

でも年を取るだけでは救われないよね。救いになるような加齢を求めろということか。

素敵な年上の人のそばで時を過ごし、理想の姿を思い描いていかなくては。
洋平先生も「人生は65歳から」と仰っていたから、はじまりはまだまだ先だな。

もし、長く生きることが許されているのであれば。