蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№701 ご加護があるから

一様に屈折をする声、言葉、ひかり わたしはゆめをみるみず  笹井宏之

 

 

 

 

 

6月24日
JK剣士が17歳になった。自分が17歳の頃のことを想うと、毎日が私なりに地獄だった。環境がどうとかいうことじゃなく、自分の本心は誰にも理解されないと思っている地獄。今、私は毎日JK剣士から「声がデカい」と注意を受けているが、あの頃一切の声を発せないような気がしていた。物影に隠れて黙って物を壊していた。誰かがこうして欲しいと思うとおりに生きる地獄。そこから抜け出す力を持てていないという地獄。自分が思うように自由に、人になんと言われても、という生き方を選び抜けるようになるまでにはそこから更に十数年を待たねばならなかった。

そう。
JK剣士が私のもとにやってきたとき、闇のなかにまっすぐ強い光がさしたと思った。

 

期末試験中のJK剣士はお昼には帰宅するので、午前中に「タルトがいい」というリクエストを受けてケーキを買い、「1」と「7」のロウソクも買い、帰宅を待った。おひるごはんをサッと済ませて歌を歌い、ろうそくの火を吹き消した。もしかして私の勘違いかもしれないが、娘たちは「ねえねえ、ママ」と言って大事な話をしてくれているように感じている。悩んでいるときに相談してくれているように思うし、道が開けないと思うときに助けを求めてきてくれているように思える。ふたりのお父さんは国に仕え国民に奉仕するひとなので、真っ当にふつうの人生を送りふつうの人がつらいと思うことをツラいと思い、ふつうの人が喜ぶことを喜ぶ。ところが私は自分の30代前半までのように人の意に添うように生きるくらいなら、死んだがマシと思っているイキモノなので、家のなかはいつもしっちゃかめっちゃかである。

 

この我が家のことをJK剣士が「うちがおらんくなったらこの家は解散だ」と評したが、マジでそんな感じになるのかもしれない。私は家庭も家族もどうでもいい。残念ながらまったく価値を見いだしていない。価値ある結びつきも信頼関係も、いざというとき身を擲って助けてくれるのも、親密な関係性構築に成功した他人である。私はそうであった。ただ子供は可愛いし、できることはなんでもしてやりたいし、現状でできんと思うことも「なんでできんとか決めつけるだ?!」と考え、やらせてしまいたいと思う。なんとかなるんだって。諦め委縮する姿を子供たちに見せたくないし、この世には怖気づいた自分以外に怖いものなんてないと教えてやりたい。いや、もう彼女たちは知っているかもしれない。ふたりとも実に立派に育った(当社比)。当時の母と比べてなんと素晴らしいことか。その調子でどんどんイケー!という感じ。

 

 

さて本日久々にお茶の師に出会うことができた。先生はご健康上の理由から、主治医にワクチン接種を止められたそうである。私としては良かったなあと思う。ご高齢でもあられるので、県外に出た者は後ひと月経たないと稽古場への出入りをお許しになっていないとのことである。当然、私はずっとお休みさせて頂いている。

本日まず、先生からお電話を頂戴した。先日JK剣士が米子帰還後2週間が経ったタイミングでご挨拶に上がり、7月から稽古(お花)復帰のお願いをしてきた。そのとき、かの名店・空也さんの当代さんが始められたという「空色」というお店のお菓子を持たせたのだが、あれが実に美味しかった、やはり老舗はさすがである、あなたのもってくるお菓子は素晴らしいとお褒めの言葉に預かったのである。てへ!うれしい~

そしてSちゃんが送ってくれた桃を少しお分けしようと伺い、私は東京から戻ってまだ1週間ほどしか経っていないのでお玄関に置いて帰ります、と申し上げていたものを、先生が出ておいでになってどうしても稽古場に上がんなさいと仰る。当地では病原菌のような私だが師がそこまで言ってくださるのでほんとうに久々に上がらせて頂いた。

稽古場にあったのは弥勒菩薩像だった。
なんとお道具類をお納めの場所からひょっこり現れたそうである。

そうか、こんなものがあったのかと先生も驚かれたとか。手にとってご覧、と言って頂いたが茶道具のように扱えるものでもないので、像のおみ足にそっと手を触れ、しばし見つめていた。「ご加護があるから安心なさい」という先生のお言葉を頂き、7月の稽古に備えての広間のしつらえを拝見し(蓮月さんの短冊!)、ほっこりした気持ちで帰路に就いた。

 

 

昨日このブログが700回となった。嬉しいかと言われるとそうでもなく、自分の日常を切り売りするように書くことが辛いと思えて、書きたくなくなったりもする。それでもこうして書き始めるとあっという間に2,000字近くの分量になってしまい、これが700日書き連ねたことのまずは成果かと思ったりした。こうやってこのことを書きながら、加藤先生のことを考えている。先生は変わらずお元気にしておいでかなあ。