蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№428 いつまでも

「生類が監視者(ブラフマン)であることは、それだけで確定したことであって、監視者と異なるかに見えるのは無明に由来するのである。それゆえにその監視者との別異性は『君は有である』という言葉によって除去される。」ウパデーシャ・サーハスリーⅠ 11-1

 

 

師匠と二人で食事をしながら、ここ2週間ほど考え続けたことについて聞いて頂いた。

 

女性には閉経がある。
45~60歳頃に起こるのが一般的とされ、それよりも早く40歳以前に閉経してしまうことを早発閉経と呼ぶようだ。

閉経の前後から更年期障害という病態が見られる。
閉経すれば必ず更年期障害で苦しむ、と思い込んでいる方が実はかなりいるのだが、そんなことはない。

ヨーガ療法士の講座で婦人科関連疾患について学んだ際に、「空の巣症候群」という概念を教えられた。
子を産み、その子たちが成長し家を出る時期に、時を同じくして閉経期が来る。子供が無事巣立っていくと、お母さんとしてのアイデンティティを構築し、その役割を全うしてきた女性の心にはぽっかり穴が開いたようになることがあり、そういう空虚感をうまく処理できない人が更年期障害の症状に苦しむことになるので、年齢や役割、家族の動向に左右されない、個としての確固たる幸せを構築する努力をしないといけない、という話の展開になったように記憶している。

当時の自分は30代前半で、子供も幼く空虚どころではなかったので、こういう話を聴いてもまったく共感ができなかった。今、我が家の娘たちはいつ家を出ても何の不思議もない年齢、そして状況になるのだが、私自身は子供が幼いときから、子育てと別建てで個としての活動を貫いてきたのでやはり、「子供がこの家からいなくなったらどうしよう」という空虚感は感じたことがないのだった。これを当時のヨーガ療法教育のお蔭と思ったものかどうかわからないが、閉経期にありながら更年期障害について考えることは確かにないのだ。

更年期障害以外にも、閉経に伴い女性の生活は激変する。
様々な健康問題も次第に現れてくる時期である。

私は先日、久々に婦人科で検診を受けたのだが、そこで散々「病気」の匂いを嗅いで帰ってきた。
閉経の時期のこと。閉経後におきる肉体のネガティブな変化。女性ホルモンの枯渇に伴って起こるあれやこれや。出なくなったものを補うためにホルモン剤を飲むこと、などなど。

 

加齢は病気ではない。老化は病気である。
思うに、40歳以降の老化の程度は人により千差万別で、それが70代くらいになるまでに怖いくらいの差が露呈することになる。
その差を生むのはなにか、ということになると、それは個々の思考であり信念である、と私は答える。

 

では、いつまでも若々しく、老化には抵抗して華やかに加齢を経験するために、きっともっとできることがあるはずなのだ。
ここしばらく、そういう観点から何冊かの資料を手にしていろいろと考えてきたそのことを、赤ワイン片手にピザを食べながら師匠に聴いてもらったのだった。

誰かに話すと物事はわずかに動き始めるもので、来月はこのネタをある女性に聴いて頂くことになった。

40代以降も、女性は成熟した美しさをもちながら、健やかに生きることができる。
何かできることがあるならば、やりたいではないか。
婦人科で聴いたネガティブな事々を、すべて吹っ飛ばすようなことを。