蓮は泥中より発す

心身一如に生きるヨーガ教師の日記

№480 応えてくれるから


「はなびら」と点字をなぞる ああ、これは桜の可能性が大きい  笹井宏之

 

 

 

昨晩は、神戸・二宮の定宿兼鉄板焼き屋で夕食。ちょっとやけ酒。
ジュンク堂で入手した笹井宏之の歌集を読みながらビールを飲んでいたら、常連のオバちゃんが「何読んどるの」と訊ねてくれた。「短歌です」と答えると、「ほお」と普通に応じてくれて(きっと「ミステリーです」と答えたとしても同じ反応)、愛を感じた。

定宿のオーナー善さんが経営する店は桜尽くしである。
看板に“さくらデザイン事務所”とある“さくらバー”(バーの看板はない)。鉄板焼き屋さんは“ちえり”、これはCherryの意でやっぱりさくら。
どうしてあなたはそんなに桜が好きなんだろう。私も桜が大好きだけど。

 

 

昨日は、神戸・御影公会堂での一カ月ぶりのレッスンだった。
10年以上レッスンをさせて頂いているが、近頃、出会うクライエントさんが変わってきている。その方の目指す状態があり、それに対して行法を提供すると、日々ご自身で取り組んで下さるので変化が生じる。何かを変えられるかもしれない希望としてのヨーガ活用は、お互いをしあわせにし、ヨーガ(の神様?)も喜んでいると感じる。

御影でのレッスンは、これまで長いこと行ってきたものと同じ。風が吹きすさぶなかで大声で叫ぶような(こっちに来ないと迷子になるぞー!)。声はもしかしたら届いていないのかもしれない。私のやっていることは役に立っていないのかもしれない。
皆様、私のことは大好きでいて下さる。それはひしひしと感じる。でも私は頓服薬だ。会ったときだけ楽になれるクスリ。ちょっと麻薬っぽくて、依存性もある。でも合法。

ヨーガの行法はどんなに素晴らしくても、身体的にはせいぜい24時間の効果しかない。ヨーガをやった日だけ眠れるという人も多い。「この人は痛みがあるらしいから、さっきやったポーズを教えてあげて」と言われて、教えたとしても続けてやらないから効果が持続しない。「痛みはどう?」「痛いです」「教えたことやってる?」「やってません」というやり取りは不毛で、ドッと疲れて御影を後にした。
 

私を救えるのは私だけ。人はみな、自分自身の幸福に責任を持たねばならない。
だから「しあわせになるぞ」という決意が必要。「しあわせになれるんだ!」と思えることも大事。

 

自分はこんなふうだから、という決めごとを持っている人が多い。体に対してそういう誤った思い込みを持っている人も多い。そんなことはできないよ、という前にやってみるといい。あなたがやり方にさえこだわらなければ、からだはきっと応えてくれる。
だからみんな、身体からアプローチするといい。たかがカラダ、と思っている人が多いけれど、からだがどれほどの叡智を内在させているのかわかっているのだろうか。

こんなにも変わることができる、という変容の種を、からだは内包している。そのことに気付きたかったら実際に動いてみるしかない。目を閉じて、わたしのなかに耳を澄ませていくしかない。

 

あなたの表情や、言葉や、ため息も、からだから生まれている。でも、ひとりでやらなくていい。どうしていいのかわからないのは、悪いことではない。誰かと一緒にやることでわかることがたくさんあるし、声をかけられることで見えてくるものがたくさんある。
ほんとうは誰かを好きになって、そして誰かに愛されて、その人の目にうつる自分自身と出会っていければもっといいのかもしれない。

 

あなたはもっと楽になることができるし、楽にならなくてはならない。そのとき、じぶんがどれだけしあわせだったかを思い出し、深く愛されてもいいのだと気付く。
だから、まずあなたのからだを楽にしてあげて。

 

 

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神戸・二宮、さくらバー。外観とコースター。