蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№336 からだはなにを言っているか?

多くの人は「自動操縦」で生きている。

エマージェンシーが起こったら、すぐに自分で操縦桿を握り直してオートパイロットを解除し、状況に対処しなければならないのだがそれができない。

 

自動操縦状態に陥ると、私たちは非常に大事なものを見失ったり、無視したりして、それを制御できなくなってしまう。

この大事なものというのが、自分のからだのこと。

 

ほんとうは、からだはいつもサインを発して色んなことを教えてくれているから、そのサインを受け取って対応してあげればよいのだが、自動操縦状態だとこのサインを聴きとるのが難しい。

多くの人は、「自分のからだがどう感じているか」についてほとんど意識していない。
その結果、からだが、環境や自分の行動や、思い込み、感情などにどれだけ影響をうけているのかがわからなくなっている。

そしてからだが悲鳴を上げた時、その悲鳴を聞かずに押し殺そうとしてしまう。

からだが冷えていたり、むくんだり、肩や腰が痛いという段階で、あたかも命にかかわることのように重大に受け止めて、からだの立場に立って対策してあげていれば、それがもっと奥にまで影響を与えて病気が発症したりすることは、かなりの割合で避けられるはずだ。

ほんらいからだとこころはひとつのものとして、私の「生きる」という活動を支えてくれている。

こころの動きを受け容れ、鎮める方法を学び、からだの声に耳を傾けて、日々生じる小さな変動を乗りこなしていく工夫を学ぶことで、わたしたちはそれぞれの心身とひとつになることができる。

自分のこころやからだとの繋がりを失い、自分を見失っている人が多いなかで、自分を確かに感じ、乗りこなして生きていると、人のことがよく見え、理解できるようになると言われている。

ヨーガの体操を行うとき、慣れていないひとは「やることがたくさんあり過ぎて忙しい」と言う。
いつも自動操縦で物事を行う癖が付いてしまっているからだと思う。

「ながら運動でもいいですか?」と尋ねられたら、ごく初心者の人になら「なにもやらないよりも、ながら運動の方がいいですよ」と申し上げるが、なにか目的があってヨーガに取り組む場合は「いけません」と伝える。

テレビを見ながら体操を行う時、あなたは何を見るだろう?もちろんテレビだ。
では、あなたはいったい何時、自分という最も大事なものを見つめる時間を持つのか。

ポーズを取ってみる。なんでもいい。
胡坐で座ることも「安楽座」というポーズだ。
ただ形を真似るだけではなく、外から見る自分を想像して完璧さを要求するのでもなく、目を閉じて自分の内側を見ると、

息は止まっているかもしれない。
歯を食いしばっているかもしれない。
眉間に深いしわが刻まれているかもしれない。

そして、ポーズの最中に肉体に生じていることは、普段の生活でも起きていること。
ポーズを取る、ということは即ち、あなたのからだやこころが普段無意識にどんな反応をしているかを知ること。

肩凝りの人は、歯を食いしばっている人が多い。
なので、ひどい場合は顎関節症になる。噛みしめていることに意識的になることができれば、この病気はすぐにでも治るだろう。

食いしばっていれば、頭皮まで固くなる。血流が悪くなる。
自分の頭を触って、頭皮が柔らかく動くか確かめて欲しい。

こういった小さなことを一つひとつ見ていくことで、あなたは自分自身とほんとうに仲良くなれる。

周囲をよく見て、安全に、もちろんマニュアル運転で毎日を過ごして欲しい。
これが、心身一如への道。