蓮は泥中より発す

心身一如に生きるヨーガ教師の日記

№335 心ここに在らず、から始める

 

以前、10カ月間のワークを行った時、よく言われたのが「正気に戻れ」ということだった。

多くの人は「自分というもの」と心の働きが同化してしまっている。
折々に生じてくる印象や、自分にまつわる考え、過去の記憶などが混然となって次から次に意識に上ってくることが、当たり前のことと思っている。

瞑想やその要素を含んだ実践を一定期間継続した人だけが理解できる、心が鎮まった状態というのがある。

大昔から心というのは厄介なものだと思われてきたらしく、心の働きを止められないのかなと考えてきた人たちがいる。この、心の働きを止める、できれば滅することを目指してきた人たちのことをヨーガ行者という。

 

当然私は行者さんの足元にも及ばないが、行者さん方がさまざまなアプローチ法を伝えてくれたおかげで、私もなんとか心の働きを制御できるようになった。

当然私も体操からはじめたわけだが、はやい段階で運良くラージャ・ヨーガの指導者にたどりついたため、「私という思い(自我意識=アハンカーラ)」や「過去の記憶」を自分にとって楽なものに捉えなおすことができた。

こんな風に書くと、私はあまり身体的なヨーガに興味がないのではと思うひともいるかもしれないが、制御できるものを放置しておくとそこに苦悩が生じるので、食や肉体にも十分に注意を払っている。

 

肉体から入る道が無かったら、挫折していたかもしれない。
しかし無事今に至っている。
ヨーガにおける主要な道は4つと言われるが、ひとそれぞれ得意分野が違うということを先人たちはよくわかっていたのだと思う。

心の働きを制御できたらどんなことが起こるかというと、あたまのなかのおしゃべりが止まる

こういう状態を、平素から何の訓練もなく保てているひとはいるのだろうか。
私は、ヨーガと茶道の訓練を通して、ようやくこの状態に至れた。

 

頭のなかのおしゃべりは、今ではデフォルトモード・ネットワークとして知られている。
雑念
これが浮かんでくる状態とはどういうものなのかを、脳画像などで説明してくれるので便利な時代になったなと思う。

とは言え、自分の脳の中を三カ月おきに確認するようなことは、恵まれた研究者さんしかできないことだと思うので、やはり自分で感じていくのが庶民のやり方だ。

感じる、ということが人は下手くそになっているので、ヨーガを勉強していただくときにはまずここから始める。
多くのひとが「自分を見失った状態」にあるからだ。

我に返って、観る者たる自分の立ち位置を固めていく。

自分をわかっていない、ということを理解するところから、始めなくてはならない。