蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№306 自分が好きですか

成長には上昇と下降の未知があるということについて、前回書いた。
下降の道は愛の道である。自分を許容し愛せるがゆえに、人のことも受け容れられるようになる。これは「頑張る」ことで到達できるところではなくて、脱力や挫折を通じて辿り着ける世界だ。

人には器というものがあるため、器に応じて様々な経験をする。
人を愛する器の大きさというものもあると思うが、それは自分を愛する容量と同じではないか。

自分を厳しく責めているときは、たぶん他者のことも受け容れ難い。他者のことが受け入れ難いという事実をもって、「あー、自分は今、自分にも厳しいのかも」とふりかえりをすることができると良いと思う。大事なシャドウワークになるだろう。

 

肉体を通じて世界を感じるということを、多くの方にもっと学んで欲しい。
今日恩師と共に、東京藝術大学奏楽堂という素晴らしいホールで、若い演奏家の力みなぎる演奏を聴いた。私は音楽を五感で聴き、感動を背筋で感じる。普段とは違うエネルギーの流れが生まれているのを感じる。
しかし、恩師曰く、ほとんどの人が音楽を頭で聴いているという。

音楽を聴いた感想を身体的な感覚で語れるだろうか?

では愛されている感覚はどうだろうか?
人に理解されて胸の奥が熱くなったり、憧れの人と過ごした時間の余韻を身体感覚で感じ自分の言葉で表現できるだろうか? 
それをぜひ、やってみて欲しいのだ。

リラックスには身体感覚がある。
その感覚をどこであってもイメージして、できる限りその状態を再現すると、脳の働きも変化し、呼吸や心拍数、血圧なども変わる。
嘘みたいだが、練習すればできるようになる。

辛い思いを味わったことが思い出される時、過去のその瞬間と同じ感覚を、あなたは肉体にも感じている。だから癒しは体から始めなければいけない。

自分のことが好きだと本当に思えた時、それを腹の底から感じるだろう。お腹は温かくなり、血が全身を巡るだろう。まるで自家発電のように。

自家発電ができるようになれば人にも分けてあげられる。
東洋の伝統では、自分の悟りを人に伝えることが重視されている。いつかもっと深い悟りを得られる日を待っていてはいけない。今の小さな悟りの時からそれをしていかなくてはならない。

はじめは小さな発電所で、すぐに運転停止してしまったりすることもあるだろう。
再運転のスイッチは感覚にある。頭で考える必要はない(考えるとうまくいかない)。
愛され、充たされた、体が震えるような感覚を思い出せばよい。

忘れないで欲しいのは、「愛する」という自家発電は、あなたが「こんなことは褒められない」と思い込んでいる経験から生まれるということ。
大丈夫。きっとどこかに、愚かだと思う自分のまま、受け容れてくれるひとがいる。
「ダメだ」と言わないひとが、必ずいる。そういう人に出会って欲しい。