蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№305 自分のなかの信念②

「底の知れない沼のように、人間の意識は不気味なものだ。それは奇怪なものたちの生息する世界。」 井筒俊彦 

ヨーガという言葉で想起されるものが、あまりよろしくない印象がある。
スタイルの良い半裸状態の人たちに取り囲まれて「フフッ、あなたって体がカタい上に、スタイルが今一つね」と嘲られた挙句、自分としてはありえないような姿勢を取らされて「もっと足を上げないとダメなのよ!」と叱責され、結果的に心身共に痛めつけられる、という感じだ。

人は、今の自分から変容したいという望みを持って何かに新しく挑戦しようとする。
その変容のことを「成長」ということが多い。小さな芽が芽吹き、天に向かって成長し花開くイメージだろうか。視線は上に向いていて、伸びよう伸びようとするエネルギーが満ちている。

成長のためにはいくつかの要素を押さえた取り組みが必要だ。
その要素とは、Body(肉体) Mind(心) Spirit(魂) Shadow(心の影)の4つ
で、このうちの3つまではやっている人もいるかもしれないが、影の領域はほとんど扱われていない。
しかし、この影の領域は怖しいほどの力を持っていると、体験的に感じている。

なので、私は絶対に自分の腹の声に従う
これを無視すると、とんでもないしっぺ返しに遭うからである。このしっぺ返しは、人に悪口を言われたり意地悪をされたりするようなレベルとは比較にもならず、人生がひっくり返って地獄に落ちたような気にさせられた上、現実の方も壊れてしまうという恐ろしいおまけがついているのだ!(あくまでも私の主観として)

腹の声を聴くためには、幼少期から植え付けられてきた「常識」を意識的かつ客観的に捉え直す必要がある。自分が信じていると思っていることが、実は誰かが思う「良きこと」であったりするからだ。

自分自身の腹の声と、誰かが植え付けた信念の間にズレがあると、ネガティブなものごとに耐えられないような気がする。そして心が狭くなる。
誰かに対して愛の気持ちで向かい合えない時は、自分のシャドウが動いていることが多い。そういう時には黙って自分と向き合って、自分以外の他者や、自分には関係ないと思っている何かに投影していたものを引き戻した方が、豊かに生きられる。この豊かさは、心や人間関係だけでなく、経済や社会的な関係性にも関連していると思う。

こういった作業を一人で行うのはなかなか難しいので、信頼できる誰かに助けて貰いながら、時間をかけて取り組んでほしい。

シャドウ領域を自分に引き受けて生きている人は、心が広い。そして優しい。
私にももちろん、そういう師や仲間がいる。どんなにバカなことをしても、決して私を見捨てたりしない、厳しく叱責したりもせずに待ってくれる人たちだ。
そういう存在が自分の周囲に増えてきてくれるにつれ、その愛情に支えられて自分もだんだんと心の影と向き合えるようになってきたと感じている。

上に伸びようとするエネルギーと待ってもらえる余裕、そして愛。
成長には上昇と下降の双方が重要で、このふたつ要件を備えていることで、たとえどんな困難があっても後悔しない学びになるだろう。