蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№204 対話

昨日2回も家を飛び出した娘は、体の中に詰まっていた思いを吐き出せたようで、今は落ち着いている。

今日は部活も休んで、朝から一緒にカフェへ行ってみた。
家よりも、そこの方が落ち着いて話ができるような気がしたからだ。

昨晩も、朝も、私も感じていることを言った。
穏やかな調子ではなく。

死ぬとか、軽々しく言って欲しくないということ、
取り組んできたことを辞めたい、学校辞めたい、死にたい、って言うなら、まず自分の持ってるものを全部捨ててみろと言って、彼女の大事にしている全国大会の記念Tシャツや鞄、竹刀袋をゴミ袋に詰めた。

そうしたら、「止めてよ!」といって彼女は泣いた。

人は皆完璧な存在でない、ということを、私はここ数か月しみじみと受け容れられるようになってきた。いいお母さん、などということではなく、大事だと信じていることについて、心の底から話ができる自分でいたい。

それでも今回の件で、自分が頑張りたいと思うのは、娘たちあってこそなんだとしみじみ思った。「もっと」の先には、娘や大事な友人、生徒さん、師匠の笑顔がある。
それがなければ、今やっていることを単に淡々とやっているだけで十分なんだ。

人は自分のためには頑張れない。
歓喜鞘で他の存在と繋がっているのを、存在の奥底では知っているからかな。

娘とは今日1日かけていろんな話をした。
聞きたくて聞けなかったことも尋ねた(全国の後で「自分はダメだ」と思ったのは何故だったのか)。

「生きていてくれるだけでいい」と言ってきたが、「笑顔でいて欲しい」という望みも付け加えたい。
生まれてきてくれて本当にありがとう。
生きていることは辛いことの連続だけど、本当はここにこうしているだけで幸せだということを、思い出していこうね。