蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№144 昨日の言葉について考える

昨日のゼミナールでの発言について、つらつらと考えて夜半に目が冴えてしまった。
なんだかわかりにくい、伝わりにくい表現になるのは、私自身が、まだインテグラル理論を理解できていないから。

何を伝えたかったのか。

開業以来セラピストとして仕事をしてきて、目の前のクライエントさんと向き合ってきたけれど、目の前にいるその方の内面を思い、私との関係性の中でなにかが変化することを期待してきた。

私が見ていたのはクライエントさんの象限の一部に過ぎないということ、でもその一部にお互いが向き合って取り組むことで、クライエントさんのその他の象限に間違いなく影響を与えているということ。

ヨーガ療法でできることは、内面領域に関することだとしか思ってこなかったのに、その領域への取り組みを通じて、クライエントさんの外面領域にも変化を引き起こすことができる可能性にあらためて気づいて、興奮したのだと思う。
(そんなことは初めから自明の理であって、ガッツリ活用されているOさんの言葉に刺激を受けて)

セラピーと、その方が身を置かれているビジネスの世界は、分かち難く重なっている。
確かに現在お付き合いされているクライエントさまは、私とのセッションをご自身のお仕事に活用され、そう言われれば、私もまたそうしてきたはずなのに、自分の中でそのことが意識化も言語化も出来ていなかったのだ。

昨日の私のつたない発言は、子供が初めて声を発するような、意味不明のものであったと思うけれど、私にとって大事な意味のある不明音であった。

セラピーの世界に身を置き続けるなかで、行く先を見失い、猶予を求めるつもりで今の道に飛び込んでみたが、師匠が仰って下さったように、きっとまるで畑違いに見えるこの場所に身を置くことが、私のヨーガを深めてくれる。
一度、ヨーガの淵を離れて俯瞰することで、よりよく分かってくるものがあるのに違いない。

昨日私は確かに、これまで気付くことも出来なかったものを感じたのだ。
学ぶって楽しい。
力量のある方々と言葉を交わすことができて、本当に幸せだ。
こんな機会を与えて下さった加藤先生に、心からの感謝を。