蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№145 全中剣道の記憶 その折り目正しさ

今朝、幼少時から剣道に取り組む娘が、下関で開催される中国大会に出発した。
全国大会に出場する、という夢を自力で叶え、今どんな気分なのか。
「忙しくなるよ」との先輩母のお言葉通り、この中国大会と、都道府県大会への出場も許された。

全中 

実は3年ほど前まで、この言葉も知らなかった。
このようなものがあると、知りもしない学生生活を送ってきた。
我が子にとっては、「全国中学校剣道大会」のこと。もちろん、他の競技でも同様であろうと思う。剣道に関しては、1971年に第1回大会が開催され、今年は49回目となる。

たぶん娘にとっても、小学生の頃はリアルな言葉ではなかったと思うが、縁あって現在の学校に招かれた年に、先輩方に連れられて、あれよあれよと出場してしまったのだ。

佐賀県で開催された第47回大会に応援に行き、子供の憧れる場の空気を私も吸った。
地方大会と大きく異なるのは、参加する選手たちの立ち居振る舞いだ。

娘の所属する学校も、何年も連続して全中出場者を輩出しているだけあって、県大会等での礼儀や姿勢は折り目正しく、他校とは一種違った雰囲気を醸し出していると贔屓目もあって思ってきたのだが、全中に行くとそれはスタンダード。できて当然なのだ。

今も記憶に残る、佐賀全中の二つのエピソードがある。

まずひとつめ。
2日目の昼、高揚した気分の中でついうっかり(だと思うが)、昼食のお弁当のゴミをそのままにしてしまった学生がいたらしい。

午後の競技の始まる前、ざわつく会場内に、静粛にするようにと静かな声でアナウンスが入る。数回の声掛けに、出場者のみならず、観覧席の応援者までもが沈黙する。

「ごみを放置しておくような者が、この全中という神聖な場にあることは、まことに許しがたいことである」
という旨の言葉が、静かな怒りと共に発せられ、選手たちはより一層、勝たねばならない勝負の場において、勝つだけではいけないということを肝に銘じたのだろうと思う。

少なくとも私は、このような厳しい礼を求められる場に、10代の若いうちに身を置いたことはなかった。
礼儀作法に優れた学校に対する表彰もあると聞くし、剣道に取り組む方々の矜持の高さに、リアルに触れさせてもらった体験だった。

ふたつめ。
個人戦で敗退してしまった女子が、一般用の通路で大きな声を上げて泣き叫んでいる。

選手のためのエリアには、許可を受けた者しか入ることができない。
その子は、戦いのための空間では泣かないと決めていたかのように思えた。
たくさんの人がひっきりなしに通り過ぎるその場所で、二度とないその夏を悔やむように大声で泣き叫ぶ。彼女はきっと、こんな嘆き方ができるほどの努力をしてきたのだ。

娘が、生まれて初めてのフロー体験をして、チームの勝利に貢献した夏。
勝つことに貪欲であっていいと、初めて知ったのだろうあの夏。
負けてしまう自分が嫌だと、強く感じ、苦しんだのだろうあの夏。
思い出すと今でも涙腺が緩んでしまう。

勝利も負けも、すべて自分の滋養として歩んでいって欲しい。
頑張れ、若き剣士たち。