蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№70 マントラも色々

昨夜はすっかり夢見モードで夢を見ていました。(夢を見ているという意識がありませんでした)
何やら車に乗り移動していたようですが、ふと言葉が雷のように落ちてきました。

①「これで万事解決だ!」などど言って、ある一つの方法を提示するような輩に騙されてはならない。
②物事は変化変転し、真実は見る人の数だけある。
③一つの見方を絶対視するのは危険である。

などなど… 
夢見の意識の中ではもう2つほど項目があったような気がするのですが、その後ハッと目が覚めてしまい、夢と共に消えて行ってしまいました。
夜中1時頃のことで、その後何やかやと考え事をしていました。
最後は「こんな時はマントラだね」と思い、ガーヤトリ―マントラを唱えつつ再び眠りにつきました。

ヨーガを自己流でやっている頃は、本で読んだ「so'haM(彼は我なり)」「Tat tvam asi(汝はそれなり)」などを用いて瞑想をしていたこともありますが、昨年、瞑想会の際に木村慧心師が「こういうマントラを好む人はエゴが強いんだよ」と仰ったのを聴き、衝撃を受けました。それからは、慧心師やアーユルヴェーダの師・バット先生から面受で教わった瞑想だけを唱えています。

私はマントラを面受で教わることが出来ましたが、特にそれを特別な事とも思わずにやってきてしまいました。先日の講義でマントラについてお話したのですが、1回聴いて覚えられるようなものでもないので、「覚えたい方はYouTubeでもご覧になってみて下さい」などと雑なことを申し上げたのですが、講座生のお一人から「基本的に、面受で覚えるものでしょ」というツッコミが入り、猛省したものです。

どうやら私は、既に自分が体得したものの価値を過小評価する嫌いがあります。
今年はその点をよく意識化し克服したいものです。
また、自分が現時点で採用している考えを絶対視せずに、より真・善・美に近づいていくためにはどうしたら良いのか、絶えず考えていたいと思います。

それともう一つ、幼少期の心の反応の仕方が、未だに自分を縛っています。
ここはシャドウワークをしっかり行うことで、意識化、行動変容に繋げていきたい。
まずは、しっかり夢を覚えておけるよう訓練しなくては。