蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№906 ただ体験するだけ

12月29日

またもやあっという間に時間が経っていて、もう年末になってしまいました。
12月から新しい活動が加わって、人生初の体験を満喫中です。

初めは身体がしんどくて、今は息が苦しいです。

歩行している時間が長くなったので、ずっとPCの前に座って作業していたときにあったしつこい右手親指の痛みは解消しましたが、骨盤上部と右中臀筋の筋肉疲労が発生しています。

ただし1日休めば回復し(痛みは消え)、全体的な動作のキレが増しているので、「動く」ということは実に偉大な活動だとしみじみ感じます。

息が苦しいというのは、今になってマスク生活を体験しているからです。

 

マスクってこんなに苦しいの。これはヤバいですね。
眠くもないのに意識が飛びそうになる。

 

その話をしたら、コロナ真っ最中にマスクとフェイスガードをつけて剣道をしていた剣士が、「マスクしてる時って寝てる時と同じ呼吸量らしいよ」と教えてくれました。

筋肉活動増えてるのに、呼吸量減ってるってどんな拷問なの?!

今日からは、マスク着用中に適宜プラーナーヤーマを実施して血中酸素濃度を上昇させることを必須の活動として位置付けたいと思います。

 

 

さて、2023年も終わろうとしています。
苦しい年だったなあ。

 

しかし苦しみは即ち浄化、多少は自分の中のこびりついた汚れが多少は落ちたかもしれない。少しだけ物事を、以前より超越した視点から見つめられるようになってきたかもしれない。

こんな体験を共にしてくださった方に、感謝を。
いつかどこかで私たちは、こういう体験を一緒にやろうねと約束して、そのために分かれて存在することにしたんだろうなあ。でもきっとそれは、この世界で出会っているみんながそうなんだろうね。

 

でも分かれて見えるのは、そう見えるだけですものね。生命の根本原理は決して分割できませんものね。

 

体験から逃げない。つらくても真っ直ぐに向き合う。

違和感や不快感というギフトを、痛くても受け取って、味わい尽くす。

今もまだ痛くてつらいけれど、その感覚と共に在れるようになっています。

 


体験を味わうと、短歌が読みたくなります(詠む、ではなく)。「もののあはれ」が少しだけわかるような気になってくるからです。気のせいかもしれないけれど。

だから自分へのクリスマスプレゼントに、歌集を2冊買いました。

歌集を紐解いていると涙が出てくるような気がするのですが、これもまた浄化なんだろうと思います。

 

 



きみという雪原をゆく足跡はぼくが最後でありますように   木下龍也