蓮は泥中より発す

心身一如に生きるヨーガ教師の日記

№536 リアルに触れたい

ここにいてここにはいない読書家をここに連行するためのキス   木下龍也

 

 

 

1月8日

朝方雪が止んでいたので、猛烈に外に出たくなった。
我が家はお師匠様のお宅に非常に近いが、壺井家御用達の今井書店にも近い。そして米子市の飲み屋街・朝日町(ここが舞台の「ヒマチの嬢王」というマンガがあるらしい。)にも近い。米子市内でも最高の立地である。

体も気も弱く、おまけに酒にも滅法弱い私だが、某国営企業時代の訓練の賜物によりひとりで呑むときは泥酔しない(はずだ)。例えまっすぐ道を歩めなかったとしても、深夜の朝日町で千鳥の舞を舞っていたとしても、必ず家に辿りつける。それがこの町の魅力である。

 

ということで、この積雪のなか、長靴を履いて、歩いてどこかに行きたくなった。
Bodyの専門家として粗雑体メンテナンスの手を抜かない私なので、ラージャ・ヨーガの先輩にケアをしてもらいに行くことにした。ま、思いつきですけどね…   愛用の長靴に、無印良品の斜め掛けバッグ(サイクリング用)を持ち、徒歩で治療院へ。雪を踏む自分の足にこどものように心が浮き立つ。 自分で心身を調整できないなんてヨーガを行じる者としてダメだと叱られるので、「腕と首にグリグリがあるんですけど、原因は甘えです。」とちゃんと言い訳をしてから施術してもらう。でも先輩には、私がちゃんと毎日Yoga(体操だけじゃないよ?)に取り組んでいることは伝わっていると思う。

それでも人の手を必要として生きることが許されることを、今私は学びつつある。自力だけで頑張らなくていい。甘えていい、頼っていい。そして甘えられていい、頼られていい。それでいいみたい、だいじょうぶらしい。

 

 

朝方見た夢は、三人の女性と一緒にダンスの練習をしているというものだった。上半身はブラトップだけで、胸が大きくなっていて収まりがつかない、そういう夢。乳が小さすぎるコンプレックスからこんな夢を? いえ、たぶん違うと思います、負け惜しみじゃなくて。

 

この二日、インテグラル仲間の女性お二人から続けてブログを褒められた。「からだも気も弱い」という点には双方から鋭いツッコミが入った。おかしいなあ?
おひとりからはこんなお言葉を。お許しを頂いてご紹介させて頂きます。

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最近の壺井さんのブログ、すごくいいですね。壺井さんのハートやユーモア、そして知性が満載で、魅力的なブログに感じます。

以前も勉強になりましたが、もう少し、剣士のようでした。なにかご心境の変化かしら…お兄ちゃんのおかげかしら…

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今日、ふと気付いたことがある。

昨年の冬、ある場所で突然耳がおかしくなった。
すごくうるさい場所だったのに、自分の耳が集音機のようになって特定の音だけを拾うという経験。これってもしかして、JK剣士が言ってたのと同じなんじゃないかと、今日初めて思った。突然周囲の音が聴こえなくなって静かになった、というゾーン状態。JK剣士はあのあと喜びと地獄を両方体験して、すこし大きい器を得たのだった。

 

私はたぶんそのときまで、生きている人間の声をちゃんと聴けていなかったのかもしれない。自らの苦しみから逃れたいばかりに、内的な存在との結びつきを切に求めてきた。今、確かにその存在との結びつきが常にあって、自分の命そのものに愛し愛されていると思える。それはいついかなる時にも奪われない至福だ。

 

でも、世界は私の外側にもある。肉体の眼で見る世界のなかにも間違いなく「存在」が宿っている。この世界が例え夢だったとしても、誰がそれを私に見せているのか。もし私に世俗の道を断つことが期待されていたら、道はそのように拓けただろう。しかしどうやらそういう展開にはならないようだ。

そして耳が聴こえ、人の声にも耳を澄ませよと言われているように思う。その象徴のように、収まりがつかなくなるくらい胸が大きくなる夢を見たんじゃないかと思ったのだ。胸って、いきものを滋養するための器官だものね?

 

 

私の表現が変わったのは、おにいちゃんのお蔭かもしれないし、それだけではないかもしれない。師匠も生徒さんも、友達も子供も、皆それに関わってくれていると思う。読む本や、楽器を弾くこと、歌を歌うこと、短歌に心奪われて一時期読書を放棄したこともかかわりがあるだろう。昨年の8月から呆けたように生きたことや、この2年で怖れを少し手放したこともまた影響を与えているはずだ。

 

あのとき、秋葉原の病院で他にできることがなくておにいちゃんの手を握り続けたこと。おにいちゃんが亡くなった直後に、オランダから戻られていた洋平先生を無理やりハグしたこと。大晦日駒込で、規夫師匠に「今年もお世話になりました」と言われて心が大きく跳ねたこと(私がお世話することなんてないよ?!)。他にも、色々。

 

100年後、私はここにいない、と思ってきたがそれはほんとうだろうか?

こうして「リアルに」肌に触れ、眼で見て、耳で聴き、言葉を交わすことができるあなたのことを、私はちゃんと見つめていたい。わたしたちのどちらのなかにも、100年後にも1000年後にも残っているなにかがある。自分のなかだけで精妙な至福の存在と交歓するのはなくて、Yogaが超越しろと教えるノンリアルな感覚器官の世界で、粗雑な身体をもってあなたと愛し合いたい。たとえそれが夢であっても。

あなたの手を強く握って、瞳を見て、その何かをわかちあいたいと思う。
今、強く、そういう衝動を感じている。

 

  

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我が家の猫・あんこちゃんが隠れている。わかるかな?