蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№209 場の力

今日はお茶のお稽古日だった。
文化センターでのお稽古のお手伝いをさせて頂くのだが、3カ月ほどお休みさせて頂いて、先週復帰したところだ。

新しい土地で先生に出会おうとする時、NHKや新聞社などが運営している文化センター(カルチャースクール)は、伝統的な芸事に関してはその土地で一番の先生を配されていることが多い。
健康教室などはそうでもないと思う。何しろ私も駆け出しのころから教室を持っていたくらいだから(推薦は頂いたが)。

私もこの土地にやってきて、この文化センターで先生に出会った。
すぐにご自宅での稽古をお許し頂いたので、在籍期間は短かったけれど、不明な点が多いうちは非常に便利だ。娘も、小学5年生のときから、ここで正式なお稽古を始めた。

ということで、思い入れも大変深いし、ご自宅でのお稽古とは違って、準備や片付けまでさせて頂ける(水屋仕事、という)。
これがとても良い勉強になるのだ。

ところが最近、在籍人数が少ない。以前は人がひしめくようだったのに、とても残念なことだ。
皆さんもある程度の歴になると、順次ご自宅でのお稽古に移っていかれるので、仲間が減った訳ではないのだが、文化センターでは出来ることに限りがあるので、仕様が無い面もある。

今は子供たちが頑張ってお稽古をしている。
1年生の女の子が二人、もう釜の前に座って、美味しいお茶を点ててくれる。

でも、2時間のお稽古のあいだ、1年生の子たちがずっと集中しておられるわけもなく、約3カ月ぶりに伺うと、なんだか無法地帯のようになっていたのだった。

こういう時、師匠が厳しくされると、子供たちは辛くなって辞めてしまう。
なので、師匠は絶対に厳しいことを仰らず、「待ち」の姿勢で時間をかけて育てて下さる。

自分も後から振り返ると、赤面するような恥ずかしいことがたくさんあるが、焦らずのんびりと育てて頂いたからこそ、「お茶大好き!」と言えるようになった。たぶん今の自分の事も、後々振り返ると赤面すると思う。

こういう時に大事なのが、「場の力」だと思う。
はっきり口で注意されたりする訳でないが、雰囲気で「あ、今のはやっちゃいけないことだったんだな」とか「ああ、そんな風にするといいんだな」「ああいう動きはカッコいいな」など、人の振る舞いや様子から無言の教えを受ける、それが場の力かなと思う。

今の文化センターのお稽古では、大人の人口が子供の数より少ないがために、この場の力が発揮できていない状態になっていた。
数か月休ませて頂いたことを、本当に申し訳なく思う。

なので、先週から気を取り直して、子供たちに対して「先生ではない大人」から気を発して、あれこれ話しかけたりしている。
様々な世代の皆が、うまく調和し合ってお稽古させて頂けるといいなあと思う。
「北風と太陽」の太陽のような、先生のご教授に心から感服しつつ、皆で「喫茶去」だなあ。