蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№853 こりす再生

Integrated Healing講習、2日間の基礎クラスが無事終了しました。
わずか数名の親密な空間、そして参加者それぞれが内在させているものを信頼し、力づける空気感が実に素晴らしい。

 

当然ながら自分自身を使って、受講している仲間と共にガシガシ実習を行なっていきます。
安心・快適な空間に守られて自己開示が進むわけですが、なにしろこのために来たんだからさ、モジモジしてる場合じゃないですよ。

 

初日から泣いちゃった私。心が揺さぶられているけど、どうしてなの?自分でわかる?と講師のいずみさんに尋ねられ、思っていることを素直に話したら、わーっ!と涙があふれてきました。

 

それはつらかったね〜と慰めてもらいつつ、自分のなかに「ある」ものを見つめていく大事な過程にあることを自覚しました。ようやく浮かんできたんだからすべて出し切りたい。生きてきたら誰だって色々ある、当然です。

 

基礎コースで得た最も大きな気付きは、自分のパワーを人に明け渡してはいけないということ。あなたのなかにも私のなかにも、ちゃんとパワーがある。それを信頼すること。

 

だから心配とか無用なのです。
大丈夫!という言葉を不安な時に繰り返す、ということをしている方ももしかしたらおられるかもしれませんが、大丈夫!としつこくいうことも「大丈夫じゃない」と思ってるということなのですよ。だって本当に大丈夫だったら「大丈夫!」って繰り返したりしないですよね。「うん、大丈夫やな」それでOK、はい終わり、なんですよね。


もしそこに不安があるんだったら、不安を押し隠さないで「今私は不安だと思ってる!」としっかり感じ切らなければ、それを自分に隠し続けるためにものすごく大きなエネルギーを注がないといけなくなる。爆発しそうな圧力鍋を抑えるとか、怖くてたまらんですよね。でもそれと同じ。

火を止めて、圧を抜いて、中を見た方がいい。怖いような気がするけれど、開けてちゃんと見てみたら本当はそんな怖いものではないのです。「そうだったんだ〜、よう頑張ったな!」と一緒に泣いてやりたくなるようなものです。そういう取り組みを「あなたならきっとできるよ!」と励ましつつ、しっかりそばにいてあげるのが私たちの本来の仕事なのでした。

 

依存させない。力づける。
それがこのIHでやることなんだよ、という講師のいずみさんの言葉はとっても素晴らしいと思いました。

 

そしてふと思った。私はこれまで、出会ったみんなの力を奪ってはいなかったか。その人本来の力を回復させるように接してこれたのだろうか?
これはこれからずっと、心に置いていなければならない問いです。

 

みなさん、こりすのこれまでの性癖をよくご存知だと思うのですが、某国営企業で働き、伝統文化の中に長く身を置いてきた私は、「目上の人」にとても弱い。Yogaの文化でもGuru(師)のことをこの上なく尊敬しますし、Guruのおかげをもって我々は解脱に至れるのだということを言います。

 

でもこの解釈が、きっと間違っていた。聖典がまちがってるんじゃない、Guruが間違っているのでもない、私の解釈がおかしかった。少なくとも私は完全に間違っていたけど、たぶん世の中の多くの人も大多数が間違っている。

 

修行会で瞑想の前に、Guruが私たちに掌をかざし、アジュナチャクラを見なさいと言う。その行為を、私は「Guruがパワーをくれてる」と思っていたんです。でも違うんだよ!絶対に。だってそうでないと「Guruにパワーもらわないとやってけない自分」にYes出すことになるじゃないですか。

 

人間存在ってそんなんじゃないんだって!
だって、あなたのなかにも私のなかにも、Atman(真我)がいるんだよ?


Guruは「すべての人の中に絶対者のエネルギーが確かにあることを思い出せよ、忘れんなよ」っていうことを、あの動きで示してくれてるだけだったんだよ。

 

ゴールデンシャドウという言葉があるけれども、誰かやなにかに対する強い憧れは、人の持つ本来の力を隠してしまう。そのことを私は全然!肚の底ではわかってなかった。

 

尊い存在(絶対者=生命そのものの根源的エネルギー)や優れたひとの中に私が見るもの、感じるものは、間違いなく私のなかにも、ある。だから健やかな人は、それを私に教えてくれようとしていたとようやくわかりました。

 

無理して結構頑張ってきたつもり(そんなことないだろって思う人も、この世にいるのはわかっているけれど)。でもいいんだー、私はもうこのままでOK。「なにか足りない」なんていう思い込みは捨てて「私にはできる」というところに生きる。しかもリラックスした、かわいいこりすとして。

 

講習が終了して元いたところに戻った時、私は生まれたままのこりすとなって「だってこりすだもん」と主張するのです。素のまま生きる。それができる気がするし、みんながそうなって欲しいと願うのです。

 

あと十数日間学びは続きますが、一体なにが起こるのか予測不能で怖いくらい。でもそれはきっととても楽しくて、素晴らしいことだと思います。間違いない。

おみやげはセッションですから、みんな楽しみにしていてね。