蓮は泥中より発す

心身一如に生きるヨーガ教師の日記

№815 パスに愛を込める

 

南の島のJK戦士から、新たなニュースが届きました。

 

フィジーという国はラグビーがとても強い。日本チームの前キャプテンのお母さんは、フィジー出身の人だよね? フィジーにおけるラグビーというのはとっても大事な位置付けで、学校の部活動でラグビーをできるのもとっても名誉なことらしい。

 

で、そのチームに声をかけてもらったんだって。

自分にやれるかなーと思って悩んでいたらしいけど、チャレンジすることに決めたそうです。そして少しずつ練習に励んでいる様子なのですが、筋力の方向性も剣士時代とは異なるようで、もっと筋力つけようや、というアドバイスをもらったそうです。

 

パスに、パワーと愛を込めるために。

愛。

愛がないと、わかっちゃうらしいよ。愛を込めるためには筋力つけないといけないらしい。なんだかとってもいい話だなと思った。

 


今日は余談ね。あ、このブログはいつも余談か。

 

人がよりよく生きるための取り組みは、感謝か反省しかないんだって。


とあるサイキックな先生が言っておられたことなんだけど、シンプルでとってもいいよね。心からのありがとうがたくさん言えること、心でどんなに思っていても上手にできなくて、それでもごめんねと言えれば救われるということ。どちらも、とってもいい教えだと思う。

 

「よかれかし」と祈ってその人のことを想う。
心配はしない。心配っていうのはネガティブなことが起こりうると考えていることの裏返しだから、そういうのはNG。

 

完全な存在であることを信じていること。たくさん嬉しいことがあって、よろこびと共にその人が生きていることを決して疑わないこと。

 

だって私たちは歓喜そのものだものね。自分の心臓の中にはアートマン(真我)が住まいしている。一度たりともBrahmanから離れたことがない。

 

夢を見ているんだよ。

激しい夢でも穏やかな夢でもどちらでもいい。お好みのままだと思う、ほんとは。

 

だから心配しない。その人の問題を見ない。すべての人は健やかでハッピーな、完全な存在である、あってほしいと強く願う。あなたは完全な存在だと強烈に信じていることで、ものいわずともそれが伝わって、誰かが今感じている苦痛を克服する力になれたらいい。

 

先生と呼ばれる人の仕事はただひとつ、それに尽きると思う。