蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

No.736 肉体機能を「見える化」

9月2日

雨が降っていて、寒い。なので今日は建物から一歩も外に出ないことにした。

ずっと室内にいるのでいつも手元に水(もしくは炭酸水)があり、たくさん水分摂取をしている。人にはそれぞれからだが不調をきたしたときの症状の現れ方があるが、私のそれは発汗の異常である。様々な要因で消化の問題が起こると掌や蹠に汗が滲む。「局所多汗症」と呼ばれる症状だが、子供の頃からどれほどこの症状に苦しめられてきたかわからない。20代の頃は真剣に手術を考えたことがある。しかしこの手術もやはり対症療法であって、掌に汗をかかなくなる代わりに下半身に大汗をかくことになると知ったので、「なんの解決にもならないじゃないかあ!」と思ってやらなかった。

素晴らしい鍼灸の先生に出会えたのは引っ越しがきっかけで、かれこれ8年ものお付き合いになるが、この方が汗の異常の原因と解決策(治療法)を示してくださった。なので今の自分は本当に蒸し暑いときと、消化器が弱っているときしか汗が滲まない。以前は滴るほどに汗が流れていたことを思うと、奇跡ともいえる変化である。

目に見える症状は同じでも、その原因は違う。東洋的な伝承医学では、人は一人ひとり全く違う存在だと見る。インド伝承医学Ayurvedaでも当然それは同じで、「この世に一人として同じ人間はいないのだから、そう思って患者さんに向き合うように」ということを徹底的に叩き込まれた。肉体や一個の人間存在として目に見える部分は完全に異なっているとして個別性を尊重せよと教えるAyurvedaと、存在すべてが大元では繋がっているんだよと教えるYogaとが兄弟関係にあるというのは、実に素敵だなと思う。

 

ちなみに私の局所的な汗の原因は「脾」にあった。西洋医学で言うところの脾臓ではなくて、膵臓や胃の働きを示す。脾は「考えること」と密接な関連を持っていて、頭で色々考えすぎると脾が弱る。わかりやすいのは消化不良や胃もたれの症状だが、そもそも症状というのは多彩な現れ方をするから「この症状はこの臓器に原因があるな」などという紋切り型の見立てをするのは素人の証拠のようである。

当初確かに胃腸症状だったものを8年かけて治療してもらい、最近ほとんどこの脾の虚した(弱った)症状が出なくなった。と、いうことは。汗がよけいなところから出ないのである。これって、わかる人にはわかる至福!

代わりに、摂取した水分はきちんと尿として排泄されていると感じる。これがこの夏最大の発見、そして感動体験。帰ったら鍼の先生に報告したい。早く報告したくてたまらない。

水は飲んだほうがいいのか、あんまり飲まなくてもいいのか、悩んでいる人がいる。
でもそれってすべて「あなたがどういう状態にあるか」で初めて決められるのであって、外側の何かでは決して決められない。紋切り型アドバイスはある種の暴力である。
コラム執筆のお仕事をもらっている聖地田端で、透析患者さんのためのアプリが開発されて先日紹介された。患者さんの「あなたがどういう状態にあるか」を「見える化」したのは、ものすごく画期的なことだと思う。

Yogaだとこの「見える化」は「意識化・客観視」で行っていくわけだけれども、これが結構難しいことをよくわかっているからこのアプリはすごいなあとほんとに感動した。糖尿病患者さんの、たとえばHbA1cの「見える化」などは行われていないのだろうか?そういうのがあるのをご存知の方がいたら教えてください。生徒さんに紹介したいなあ。

最後に汗の話に戻ると、汗が出て困ってきたが、汗が出ないほうがもっと体には悪い。やっぱり出るべきものがきちんと出せるのは、ものすごく大事なことだね。