蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№678 スイカで悟った

もうそろそろ私が屋根であることに気づいて傘をたたんでほしい  笹井宏之

 

 

 

 

6月1日
皆様こんにちは、今日も元気にフラフラしてますか?私は週末の(私的には異常な)忙しさから脱して、無事にフラフラモードに戻ることができた。ふー、ヤレヤレ。元来ナマケモノなんで働きすぎるとどうもいけませんわ。

今朝、夜明け前に起きたら少し肌寒かった。暖をとるため、足元でノビノビしていたういろ(猫)をむりやりつかまえて二度寝に入ったら変な夢を見てしまい、次にJK剣士の目覚ましで目が強制的に覚まされた時にはカラダがガチガチに固くなっていた。


なんだか大きな商業施設で飲み会をしている。来ていると思っていた大好きなヒトが来てなくて、「もういいもん、ぐすん」とかいいながらワイングラス片手に帰ろうとエスカレーターに乗っていたら、ふと気付くと全然知らない女性の車の後部座席に座っている。あれ?「あなた誰ですか」と聞かれてもそれ私が訊きたいんだけど。ともあれ駅近くで降ろすからそこから宿に行きなよと言われ、降りたはいいが「スーツケースがない!」と騒ぎになる。そもそもの初めからワイングラスしか持ってなかったのであって、スーツケースなんて無いはずなのに泣きの涙。諦めて一歩を踏み出そうとしたら、後ろからJK剣士がやってきて(いったいどこから?)「ねえねえバドミントンしたい」という。訳もわかんない場所にきて、スーツケースもないのにそんなことできません!と言っているのに「バドミントン、バドミントン!」と騒ぐ、

という支離滅裂な夢だった。ああ疲れた。シャワーを浴びてさっぱりしてきたJK剣士に「バドミントン、バドミントンってうるさいよ」というと、「バドミントンいいよな。やりたい」と何も聞かずに返してきた。さてはおぬし、ほんとにハハの夢に入り込んでいたのでは…

 

 

昨日「パワーかフォースか 改訂版」を読了し、「ギーターサール」をざっと読み返して、なんやわからんがとってもしあわせな気持ちになった。「あー、このこと前から知ってた」というそんな心持ちである。「このことってなに」と聞き返されたらもぐもぐと口ごもって逃げてしまうかも。

昼食後にスイカ(小玉)を食べながら動画でも見ようとYouTubeを渉猟していたら、目に飛び込んできたのは道元禅師の伝記映画だった。スイカボリビア産の岩塩をかけて食しながら、「わしは阿育王山広利寺の飯炊き(典座)じゃ」という老師と若き道元禅師のやりとりを見ていた。老師が難しい顔をして考え込む道元禅師の眉間のしわを笑いながら指でひらき、「弁道とは“徧界かつて蔵(かく)さず”。この世のありとあらゆるできごとは昔からそのままの姿で何も隠すところがないではないか」と語るシーンの、「昔からそのままの姿で」というコトバになんや知らんがもうめちゃめちゃジーンときたのである。


今日、米子ナンチャッテ高島屋の隣にある高橋商店にスイカなどなど野菜果物を求めに行ったとき、「べつにYogaじゃなくていいんだよね」と強く思った。でも私はYogaが大好きである。ナマケモノなのでなるべく効率よく最大限の効果をゲットしたい場合、目的にズバリ寄り添うのがいちばん早道。

その点伝統的ヨーガは文字による資料(Veda 聖典ほか)がいっぱいことあるので、アホな私に変わってアルジュナくんがクリシュナ神に叱られたりしてくれていて、「そうかそうか、そういうロジックで思考展開して、そういう発言したらクリシュナ神に叱られちゃうわけや」と知ることができる。こういうのを伝統的なYogaではシュラバナ・マナナという。要するにあるネタに触れて、ふんふんと考えるというただそれだけのことなのであるが、これがあるとないとでは大違いですよね?!

Yogaの目指すところは「とらわれのない開放的な状態、すなわち平安と至福の境地」、ここに至るためには「お前の心の働きを止めちゃうことしかないんだわ」という。そのためにアレしてコレしてと実に丁寧に方法論を提示してくれてて、しかも布団よりはるかに小さいマットの上で健康づくりやトラウマケアやアンチエイジングまでできるんならもう他になんにも要らへん。

でも、私はYogaを教えたいわけではないからね。「あー、楽ちん」というところに一緒に行かか!というただそれだけであると、スイカを食べながら思った。
これってもしかしてさとりかな?!