蓮は泥中より発す

心身一如に生きるヨーガ教師の日記

№559 知らんままでいい

問十二、夜空の青を微分せよ。街の明りは無視してもよい   川北天華

 

 

 

1月31日

名古屋に移動して金山のANAクラウンプラザへ。Aさんとの月1回のリアルセッションを行う。昨日も都内でリアルセッションだったが、実習が3か月を超えたところから生徒さんのなかのさまざまな変化が見えてくることは教師としての至福だ。

 

初めに生まれたほんの少しの角度は、時間のなかで僅かずつその違いを見せてくれる。ヨーガ実習の進度や習得にモデルなどないから、それぞれの方がそれぞれに歩んで行けばよい。その方が、今生でヨーガというものと出会い向き合う場面に私が居合わせることができたのは偶然ではないと思うし、その不思議の素晴らしさをしっかりと受け止めていきたいと思うのだ。

 

 

さて、昨日は山手線の秘境・田端の秘密の場所での月1度のミーティングだった。案の定レレレネタからいろんな話に発展した。

人が生きるということもよくわからない。病が生まれるメカニズムもほんとのところ「ここからここの部分だけはわかってる」というところを切り取ってその狭い領域で「これが真実だ!」と脅迫されているような気になることがある。

 

一番嫌なのはアレです、「余命宣告」っていうやつ。
10月におにいちゃんの枕頭で聴いたときも、さとちゃんの話を聴いたときも、暴れ出しそうになった。

人の信念のちからは怖いくらい大きくて強いと、伝統のヨーガでは繰り返し教えている。最近は西洋の人もそのことを言っている。ヨーガの教えでは受け取り側(自分)の器の大きさや理解度によってまったく意味合いが違うように読めちゃうので、西洋の信念に関する本には私も大いに助けられた。
でもそれを理解できるかどうかはまったく別。生きることを通じて、本質的なものから目を反らさずにいることを苦しみつつも弛みなく続けなければこの「信念」というものの理解には至らないと思う。

だから要するに、誰かがふと言った一言に人はものすごく影響されちゃうので、うっかりヘンなことをいうのはやめてくれと、そう言いたい。強く言いたい。

信念のちからってどっちの方向にも使える(いいほうにも、わるいほうにも)のだが、人間はどちらかというと悪い方にばかり使っているなと思う。これはひとえに、これまで植え付けられてきた信念の原型みたいなものがろくでもないからなのであるが、これを「え、なんかヘンじゃないの?」と突き放して再考することもほとんどできないし、もっと悪いことに自分の「考えていること」と「考えてる自分」というのを分離させられない状態で生きている人があまりにも多いので、不幸なループと言うかパターンが延々世代を超えて継承されているなと思う。

 

こういうことに「ちょっと待ったあ!」と言いたいではないか。それを可能にするのは、別の智慧をインプットすることと、ボディ経由の実践で思考と自分を分離していくこと。

 

でもまあ今日はそういう話はいい。
今日言いたいのは「余命とかわかるわけない」から「口に出して言うな」ということ。

 

もし「あなたの人生はあと数年で終わります」と白い上っ張りを来た人が高圧的にあなたに言ったら、まずはこんな風に返して欲しいと思う。

「それホントですかぁ?」

 

そこから戦争のはじまりである。
喧嘩して欲しいわけでないが、曖昧なものを曖昧なまま抱えて生きていくことを耐えることが人が生きるということである。なにか言いきっちゃえばあたかもホントみたいに聴こえるというだけ、そんなんウソなんである。

 

続く言葉は「なんでそんなことわかるんですか?あなたは神ですか?」とかどうかな。

そして「終わるって言いきるなら、ここであなたの人生かけてその言葉が真実だって誓って下さい。ここに署名して、血判お願いします。そこまでするなら少しなら信じてあげてもいいです。」とか。

で、そういうこと言うやつに限って誓ったりなんてできないから(なんて言っても嘘っぱちなんだからさ)、ここで相手がキレる場合も十分考えられる。

相手がキレたら調気法が役に立つ。それとなく自分の頸動脈もしくは手首で心拍数を確認しながら、自分のバイタルサインが相手の反応につられて上がっていかないように、吐く息を長く、発する言葉は徹底的にゆっくりと柔らかく、できたら顔に微笑なんか浮かべられたらなおよい。絶対者ブラフマンと繋がって、人類に対する無辺なる愛を感じながら対話してみよう。

 

そして散々キレさせといていいので、最後はそっとお相手(白い上っ張りの人)の前腕なんかを触れて(あくまでもそっと)、

 

「ね、嘘言ったらいけんよ?」

と言ってやってください。

そもそもなんでここにおるのかも、おらないかんのかも、仮説しか持ってない私らなんですから、目の前の粗雑体の耐用命数なんてものがあるかどうかも知らんのである。
いいやん、知らんままにしとけば。ねえ。