ゆっくりと悲哀は湧きて身に満ちるいずれむかしの青空となる 三枝昴之
4月10日
昨日は駒込の明翆園にてヤキニクの会だったが、せっかく緩和された時短営業がまた厳しくなることをうけての駆け込み需要で大入り満員。隣の席の方々の大声で、お向かいに座られた規夫師匠の声が聴きとれないような有様だった。何とも皮肉な光景。
生きていれば苦しいことも哀しいこともあり、親密な関係性にはどうしても過去の苦しかった記憶が蠢いてしまう。哀しみを丸ごと受け容れてくれるような関係性があるような気がしても、それは一瞬の幻想かもしれない。
心素の働きを止滅させることしか苦しみから逃れる術はないと「ヨーガ・スートラ」は教えているが、それは口で言うほど簡単なことでないことは、自分自身がいちばんよくわかっている。
今日は悲哀の満ちている夜。