ひとを抱きたましひを抱かぬさびしさもあるべし
その逆もあるべし
真中朋久
2月20日
おねえちゃん(長女)が上京してしまったので、JK剣士と二人でひっそり生きている。
噂には聞いていたが食材が減らない。門脇コーヒーも減らない。コーヒーを淹れてくれる人がいない。薄茶と濃茶を点てて(練って)くれる人もいない。
長女の自宅での愛称は“ぶーちー”である。この話を先日、田端の秘密のメンバーに話したら「なんで?!」と問われ、なんでだったけなあと首をかしげてしまった。たぶん幼いころふっくらしていたから、ほっぺをつついて「ぶーちゃんだね、可愛いね」などと言っていたものが定着したのであろう。
この子には「美味しいものアンテナ」がついていると言われている。こっそりなにか食べようとすると2階から降りてくるとか、この子が選んだ食べ物は絶対に美味しいという定評がある。ゲゲゲの鬼太郎の妖気に酷似したアンテナ(不可視)が、頭頂部から生えているのだと思う。飲食関係のアルバイトを求めるのも、食いしん坊のしげにいちゃんにあんなに可愛がられたのも、このセンサーのなせる業のような気がする。
さて、今日も朝からオンラインセッションだった。ずっと「アサナ(体操)=Yoga」と普通どおりに思って生きてこられた方なのだが、最近着々と洗脳が進んでいる様子。洗脳が進んでくると何が起こるかというと、Yogaについて詳しくない人をつかまえて蘊蓄を語りたくなる。「いや、そういんじゃないから。ほんとのYogaっていうのはさあ…」という感じ。
これと同じことはどの分野でも起こる。コーヒーの世界で洗脳された信者として、私も各所で布教活動を展開している。最近もうひとつ「透析って言うのはさあ」という語りも行っている。とにかく私のまわりは変人、おっといけない、偉人が多くて凄いんである。楽しくてたまらない…。コーヒーと透析と規夫師匠について熱く蘊蓄を語るマニアとして、名刺を作りたいくらい。誰か肩書を考えて下さい。
コーヒーの世界も「飲む」という肉体を使った“行為”あっての体験だから、その説得力って凄い。
先日、初心を忘れないためにスタバでエスプレッソを飲んでみた。お蔭様で、自分のなかに正しいエスプレッソの軸が立っていることが確認された。たまにこういう苦行に身を晒さなければ、自分が如何に幸福なのかついうっかり忘れちゃいそう。ちなみに門脇師匠の奥さまは常日頃門脇コーヒーしか飲んでないわけだから、たまに違うものを飲まれると具合が悪くなるそうである。それもすごい。あまりにも美しい水に棲息していると、この世が危険なところになってしまうから、ちょっと汚いくらいでちょうどいいのかもしれない。
開業したての頃、パワーヨガというものを体験受講した。「何だこりゃ」と思った。あとにも先にもそれ一度きりだから、心身の不調和感はたまたまそのクラスだけで生じているものなのかもしれない。なんていうか、呼吸と動きがチグハグというか…。私のヨーガの入り口がパワーヨガだったらなんの疑問も持たなかったかもしれないが、ラージャ・ヨーガだったものだから「大事なものが忘れられていること」に気付いてしまった。意識化と心身の調和はそこにはなかったように思うし、終わったあとの安心感も至福感もなかった。ただ全力疾走した後の(訓練のような)やった感は確かに在った。
カラダで体験するとハラで何かしら感じ入るものがあるから、「ん?」という違和感、安心感、恐怖を感じ取りやすいと思う。肉体を使ってボトムアップの手法でなにかを体得していくと、この「ん?」という違和感感知力が上がるし、「快感!」を感じ取る能力も上げていくことができると思う。この感覚は確かに自分を守ってくれている気がする。
相変わらずくだらないことばかり書いてしまったが、最後に「バンダ」について書いておこうかな。
バンダとは、締める、制御するの意。調気法と一緒に実習することが多い。息を吐き切ったあとに、肛門、お腹、喉を締めることで、心身に良い影響をもたらすとされている。止息(クンバカ)を含むので、ヨーガ療法では指導しない。ラージャ・ヨーガでは必須の行法になる。
止息を含む調気法は強力な作用をもたらすと言われているが、様々な理由で脳に強い影響を与えるからだと思われる。直接の指導を受けて、安全に配慮しつつ実習することがとても大事。
主に3つのバンダが使われる。
喉:ジャーランダラバンダ
腹:ウディヤーナバンダ
骨盤底:ムーラバンダ
まずはとにかく骨盤底。
お尻、締められますか?
お尻をキュッと締められないと、力が抜けて行ってしまうし体もちゃんと支えられないので、まずはここを意のままにできるようにしていきたい。