蓮は泥中より発す

心身一如に生きるヨーガ教師の日記

№539 無理っていわないの

五線紙にのりさうだなと聞いてゐる遠い電話に弾む君の声   小野茂

 

 

 

1月11日

「もうこの人とわかりあうのは無理です。距離を置かせて下さい!」
絶望的な破局がもたらされそうになった。ヤバかった。

 

はい、2日しか経ってないのにお稽古(筝曲)でした。
朝イチの稽古はいま一つエンジンがかかり切らないが仕様がない(いいわけ)。師匠と絶対者ブラフマンの仰せにNOを言うと、後が大変なことになるからね。

 

先日「越後獅子(三絃)」で褒められちゃってご機嫌さんだった私。ウンか月も格闘してきた「比良(箏)」も「しばらく寝かせてご覧なさい」と言って頂けたことを思い出しながら、ウキウキ気分で凍みた雪道をフラフラ歩いて稽古に行った。

ところがどっこい「御代の祝い(三絃)」が全然ダメ。
しかも楽譜の1枚目が行方知らずになり、先生の楽譜で弾いて更に混乱。
で、冒頭のセリフが出たね。
「御代の祝い」なんてキライ!顔も見たくない! 

師範のクセに…絶対に言ってはならない一言であるが、それくらいこの曲に苦しんでいる。なぜだろう?越後獅子の方がもっとうんと難しいのに。

自暴自棄になる弟子を前に師匠はどうなさったか?はしごをかけて下さった。
「ああ、スキャフォールディングだ…」と思いながら身を委ねる。

貧相な私の脳のなかで「御代の祝い(三絃)」が、未だ応用の利く情報として定着していない。なので同じ情報を記載しているはずの楽譜の、印字の具合や体裁が少し違うだけでも再現ができなくなる。

ちなみに少し前に書いた「しばらく寝かせてご覧」はそのためのクスリで、しばらく寝かせたあとに弾いてみると… なんとまあ!すんなり弾けるようになっているのである。

ちなみに今だと、試験曲がそんな感じ。「なぜあの時あんなにも弾けなかったのか…」と思う。この間ほとんど稽古していないのに、ですよ。

飛騨のアイスバーンで毎年滑っていて、ある日北海道で滑ったらめちゃめちゃうまくなっていた気がするらしいというアレ(スキーのはなし)とは…ちょっと違いますね。それは外的用件だからね。
こちらは内的状態の変化です。どうやら寝かせることによって人間存在のなかで定着するんだね。あれとこれが“こなれる”みたい。酒の醸しと一緒なんだねえ。

 

で、はしごです。
二重奏を止めて、先生と一緒に三絃で、おなじ楽器で同じ旋律を弾く。先生と一緒に歌う。できないところを繰り返す。繰り返したあとはひとりで歌う。その範囲を少しずつ長くしていく。「ほら、できた」と師が微笑まれる。

 

ひとりで一所懸命やることが逆効果になってしまうときが、ある。

必死に弾いているのに、ほんのちょっとのツボの違いからおかしなことになっていく。
ひとり稽古はしないといけない。でもひとり稽古をがんばりすぎると道を踏み誤っちゃうことがある。
それを忘れないよう、すべて道は円環を為すように、自助努力と他者に頼ることを調和させながら生きていくことがキモであるとおもう。

もう一つ師匠に言われたこと。
箏と三絃で同じ曲を演奏するが、これは全く違う。三絃で歌えたから箏でも歌えると思っちゃいけない、初めから調べなおしだよ、そういうものなのよと。
今日、私は師匠宅に上がる前に「あの難解な越後獅子を三絃で弾けたんだから、次はお箏で~」とのんきに思っていたのだった。

師匠には何でもバレてしまう。私のあたまの上にはフキダシがついていて思っていることが書かれている。センセイっていうのはそれを読めちゃう。
ちなみに私も、生徒さんのフキダシは読めるよ。心に言葉が降ってくる。それをいつどんなふうに伝えるかを見極めるのが、先生の仕事だと思っている。師匠にもそう教わった。



いまこれほど格闘しているこの曲は、もう何年も前にお箏で稽古している。深い印象がないのでスルっと苦労なく次の曲に進んだのだろう。三絃でやってなかったねと言われこの度取り組んだとき、こんなに苦労をするとまったく思っていなかった。

ハッキリいってぜんぜん難しくない、という捉え方そのものが間違っているのかもしれない。ひとがものを体得するということの深遠さを思う。学ぶという行為の素晴らしさに改めて心奪われる。

 

師匠のお導きによって、私たちの関係は破局を免れた。
って、師範なのにそもそもどの曲とも別れられっこないのである。ちょっと言ってみたかっただけなのよ、惚気みたいなもの。
でもこの狂おしい葛藤、オペラ歌手でもあるM社長にはわかってもらえると思うよ?
「こんな男のことはもう愛せない!」って思ったアリアだって絶対あったはず。
だってほら「ラ・トラヴィアータ」とか、私なら若いアルフレードより男爵の方に惚れます。

 

 

さて昨夜「今年の目標100」をリストアップした。

ちなみに長女の目標№20/100は「松江のカレー屋・スパイスで、カレー全部のせセットとチーズナンを食す」だそうである。それはあれだよな、支払いはママってことだね。うん、任せとけ!

 

私はやっぱり本を書くことかな。そしてお茶でラストの許状を相伝頂くこと、そしていよいよ教授申請をさせて頂くことかな。

今更あんまり欲しい”もの”ってないよね? それよりも「こういう努力を継続できますように」とか「こういう良い状態を維持できますように」とかそんなの。 


理由の無いよろこびと愛と満足と、全体性とのつながりを、常に忘れずに生きられますように。この生を、他の誰かのために使い回してください。自分のために生きぬよう、それを決して忘れないよう導いてください。

 

 

あ、でも行きたいところはある。死ぬまでに。
この世は何が起こるかわかんないから書いておこう。何かの間違いでサンタさんがチケットを送ってくれるかもしれない。

 

プラハ、聖ツィリル・メトデイ正教大聖堂。小説「HHhH」の舞台。

 ・タヒチ。W・S・モームの小説「月と6ペンス」の舞台。

 ・シンガポールラッフルズ・ホテルモームの親書が飾ってあるというサマセット・モーム・スイート。

 ・南の方に位置するとある島。

  

あとはね、かわいい女になりたいわ!
湯が満々と湛えられた重い釜を持ち上げようとしたとき、「あなたならだいじょうぶ!」って師匠に言われない女に。