蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№540 この世は実に”不審”

一様に屈折をする声、言葉、ひかり わたしはゆめをみるみず   笹井宏之

 

 

 

1月12日

数日前から不調だったのだが、今朝は回復した感がある。

先週の木曜から積雪、気温もマイナス3℃になったのだが、アホな私は1日中暖房の利いた室内でぬくぬく生きているくせに朝のプラーナーヤーマをいつもどおり外気のなかでやってしまった。

スゴイ爽快感! 清涼たる気が肺を刺すみたい!快感!!、と思った。
アタリ。刺さった。

 

その日の夜、筝曲の稽古のために夜出かけるとき咳がしたくなる感覚を覚えた。
翌朝は熱が身体の上部に上がって逆上せる感覚がある。ああ、なにやら炎症が起こっているなと感じ、これはあのプラーナーヤーマのせいだなと考えた。
これは私の内的感覚による見立てなので、ほんとのところはどうかわかりませんよ?
しかしもし病院に行ってみたりなどしてもほんとのところはわからない。だから私は常に私の内的感覚を信頼する。

 

Yogaの調気法は、ガス交換の効率がハンパない。室内の空気と外気、そして私の体内の空気の調整がうまくいかなかったんだなと判断した。なので逆上せを収めるよう下半身を温めて、横になって休むことにした。甘いものと乳製品は禁止。例外ははちみつ、これに柑橘を絞って飲む。頂いた柚子があったので、これを絞ってぬるいはちみつ柚子湯を作り多めに摂取した。これは浄化用の飲み物で、体内の過剰な粘液を排出してくれる。

 

プラーナーヤーマは中止、入浴してよく体を温める。ほんとは昼寝しようとして布団にまで入ったのだが、再読中の本に書き込みをしたり、楽しい電話にはしゃいだりしているうちにその時間はなくなってしまった。まあ、そんなにからだが苦しくはない証拠だと思う。人間、なにもないときに昼寝なんてできないようなつくりになっているのです。
ということで二日間養生したら、今朝の起床時には感覚が平常に戻っていたので「治った」と判断した。結局誰も、ここまで自分のことを理解してくれたりはしないから、私は徹底的に自分自身の専門家でありたい。

でも、私は元来が暇人だからこんなのんびりしたことができるけれども、私の多忙なクライエント様方は、こんな風に自分の内的感覚に意識を向けている暇なんておありでない。なので、ご様子を伺っては、先生としての私の心のなかに浮かぶその方のフキダシに書いてあることを、注意深く感じ取るようにしている。


人と人は切り離されていない。
私たちは「すべてが繋がっている大きな存在の部分のように見える中心」としてここにいる。私は私の中心から、あなたという存在を見ています。だから、あなたに対して感じた何かしらのことを「気のせいだな」などといって切り捨てたりはしない。「もしかして」と思って、意識をあなたに向けるようにしています。そうすることで、何かのお役に立てればいいなと思っています。

 

 

さて、ふと思い立って過去のリフレクションジャーナルを読み返している。

これが実に面白い。夢の記録なども付けているのだが「予知夢か?!」と思うようなものも複数ある。2017年9月、洋平先生のゼミナールの最終回で勧められて始めたもののはず。当時一緒に学んでいたあの”おっさんレンタル”のノブさんが、まったくおなじノート(LIFE N36)をご使用であるらしい。約半年で1冊、今は8冊目がそろそろ終わろうとしているところ。

読み返してみると、アホなりにその折々で色々真剣に悩み、考えている。
そしてその悩みの泥の中で這いずり回るさなかに、これまで学んできた事々が助けとなっていることが伺える。修行と思ってやっていることが救いとなっている様子(「どんなに苦しくても演奏すると没頭することができる」など)に、心あたたまる気がする。やっててよかったねって。修行と遊びにも切れ目なんてないんだよ、きっと。

2018年夏には、武満徹の「翼」を繰り返し聴いている。何度もなんどもこの歌の歌詞を書き留めている。
過去から未来へまっすぐと進む時間なんて存在しないというから、過去に私が書いたことと今の私のどちらが先で、どちらが昔のことなのかなんて、実はわからないのかもしれない。


最近心を惑わすことがあって、夢の中で私はこのことを絶対者ブラフマンに訴えかけ「絶対嫌なんです!」と助けを求めていた。そうするとブラフマンがはっきりと「助けになる事々も一緒に与えてあるはずだから大丈夫なはずだけど?」と返してきて唖然とするしかなかった、そんな夢を見た。

 

私の採用している世界観では、大きな基盤としての「自己」の上に、吹けば飛ぶようなかさぶたとしてのわたし〈かよこ〉がくっついている。この〈かよこ〉は今生まだ道半ばであって、知識もないし頭も悪いし根性も座っていない。しかし基盤は揺るぎない。ただ幸いなことがひとつあるとすれば、この揺るぎないものの上に、今のところたしかにくっ付いていることを許されているのが〈かよこ〉であることに関して、薄々気付きがある。

 

なので、かさぶたの〈かよこ〉も諦めることにする。大きなものの働きのまえに、私という個我を使いまわしてください。私にしなければならないこと、この私にでもできることがあるのならば、あなたの意思に従ってその仕事を私にさせて下さい。それがこの小さな世界で評価されないことで、人に石をもって追われるようなことであっても、あなたがやれというならばやります、と。

でもしょせん〈かよこ〉はかさぶたで頭も悪いので、やっぱり泣いたり逃げ出したくなる。するとブラフマンのいうとおり、この世で既に与えられている助けが「ゆっくりでだいじょうぶだよ」といって慰めてくれる。
最近の私は、夢と現実の不思議なつながりに圧倒される思いで生きている。


今日は、本当は感情の分類と五臓六腑について書くつもりでO先生にも予告しちゃったんだけど、それは明日になっちゃう。ごめんなさいね。
そして今日も私は、未来だか過去だかわからない私が読むかもしれない文章をひとりで書きつけたり、夢を見たりする。

この世は実に”不審”、そして怖いくらい美しい。

…………………

「翼」 武満徹

風よ 雲よ 陽光(ひかり)よ

夢をはこぶ翼

遙かなる空に描く

「希望」という字を

 

ひとは夢み 旅して

いつか空を飛ぶ

 

風よ 雲よ 陽光(ひかり)よ

夢をはこぶ翼

遙かなる空に描く

「自由」という字を