蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№491 心が肉体から離れて

てのひらにてのひらをおくほつほつとちいさなほのおともれば眠る  東直子
 
 
 
これまで、人生の大半を乖離傾向で生きてきたことに最近気づいた。遅い。
教えてくれた人がいるのだ、そのことを。 
 
私は根本的に家族というものを信用していない。
それなのに家族というかたちにこだわり続けてきた。いったい何がそうさせたのか、と思うとき、私を逆指名してきた二人の娘のことを思う。あの子たちが「こういう環境でよろしく」と決めてきたので私の人生がこうなっている、ということにしておくと心が晴々するような気がする。
 
4回妊娠し、そのすべてで入院をした私は「妊娠病気説」を採用している。
問題のない妊娠出産を経験した方は、そうでない女性に冷たい傾向があるように感じるが、私は対極の立場にいて、妊娠という異常事でにも普通に生活をしろという要求には断固反対する。過酷なものになり得るこの経験を、一般化することはできない。子供ができてしあわせだからハッピーにのりこえられるよ、などというおとぎ話は、夢のなかでどうぞ。ほら、結婚式も盛り上がるけど、そのあとはねえ。検査薬で陽性判定が出たときが一番嬉しい、たぶん。 
 
2回の完了された妊娠では、重症妊娠悪阻という恐ろしげな状態で約一か月寝たきりになった。ハムのような肉も脂肪も削ぎ落されて脚は枝みたいになったのに、体重は47㎏以下にはならないのは不思議だった。筋肉も体力も落ち、産後育児をしながら現役自衛官として必要な体力を回復させるのは本当に大変だった。次女のときはそれができなくて、人生が路線変更になった。
 
つわりとはどんな感じか? 男性の皆さんにもわかるようにご説明しよう。
一滴も飲んでいないのに二日酔いになった感じ。がっかり。ほんとうにそう思った。お酒、というご褒美はないのに、分解だけさせられるような。
ほら、私はあんな職場にいたので、「俺の酒が飲めんのか」と言われたら「いえ、とことん頂戴します!」と杯を空け、「吐きそうです」といったら「もったいないから吐くな!」と言われて育った。今はパワハラという言葉があっていいな。そんな風に飲んだ翌朝の二日酔いよりしんどい。そしてこの二日酔いは当分の間終わらないのである。
過酷すぎるので、人間が成長しようものである。
 
症状は人それぞれだと思うが、私の場合は水を飲んでも吐いた。もちろんなにも飲まなくても吐く。つわりがあるのは赤ちゃんが元気な証拠だよ、と言われても、なんでつわりがある人とない人がいるんだよ!と腹立たしく思うだけである。お母さんがどんなに苦しくてもあかちゃんは元気だから!と励まされても、素直に喜べるような心の発達はしていない。これが若い妊娠のデメリットだろうか。
 
つわりになる理由としてもっともしっくり来たのは、亡きお兄ちゃんが勧めるから受けた宿命鑑定で「あなたの中身は100%男性です」と言われたことだった。
今振り返るに、陽のエネルギー=男っていう説明は短絡的すぎるでしょうと思う。
曰く、私のいつか消え去る部分の75%は水エネルギー(+)、残り25%が火のエネルギー(+)。なんだかTSUBOIブレンドのマンデリン比率みたい。この水はたぶん氾濫して人を呑み込むような濁った水、そして沃土を運ぶ水であり、火は真夏に照りつける暑苦しい太陽の熱。更に、北と南、ふたつの帝王の星をもつんだと。
女性としては強すぎてどんな結婚も上手くいかないし、そもそも女性エネルギーがないのに子供を産むのは有り得ないことなので抵抗が生じるのは当然、と言われて「へー」と思った。
 
逆指名してきた子供たちの性質が強烈だから、私がこんな目に遭ったと思えば頷くしかない気がする。でもたぶん、この話をつわりのときに聞いても納得しなかった。 このことを私に言ってきた人たちはわたしに「強い」というレッテルを貼り、色眼鏡で見て話しかけてきた。以来、私はあらゆるタイプ論や鑑定の類が大嫌いである。
人を何かの型にはめようとする力学には、徹底的に抵抗したい。私はつねに自由で、変容しつつある。
 
 
冒頭の乖離の話に戻ると、私はやや機能不全の家庭で育ち、ふわふわと天井から自分を見ているように生きてきた。今、人間のストレス対処には、闘争・逃走反応だけでなく凍り付きという状態があることを私は知っている。私はながいこと凍り付いて、傷付く自分を平静に見ていた。そして黙して語らず、いや語れず、その時々に苦し紛れの選択を繰り返してきた。 
 
今、私はどんなところでも言葉が発せないことがない。どれだけの人数を前にしても、自分が本心から思っていることを語るだろう。誰かに嫌われようが知ったこっちゃない。親密な関係性で愛を囁くことになっても、「あなたが好き」と明確に言葉で伝えられるだろう。
 
ただこれは、乖離から脱する過程で後天的に身につけた能力だ。しかもそれができるようになってから、そんなに時間が経ったわけではない。長いあいだ、自分のなかの言葉や意思を人に伝えられず、代償的な行為や心身症的な症状で防御して生きてきた。
だから、雄弁なあなたはすごいとは言わないでほしい。諦めずによく頑張ったねと、そっと抱き締めてほしい。
 
 
ヨーガ療法が、心身症治療を正面から扱う取り組みで本当によかったと思う。内的なものを言語にすることを徹底的に訓練され、救われた。他の取り組みでも、師匠方は安全な環境のなかで私を守りながら、思っていることを言ってもいいんだよと促してくれた。
言葉が口元で止まって、血を流しながら胸に帰っていくようなつらい経験を、私はこの世の誰にもして欲しくない。 
 
ダルクに行ったとき、このひとたちはわたしと一緒だと思った。
両手の小指が双方ともない代表が「こっちはお祝い事、こっちは弔い事」と笑って小指を喪ったときの話をしてくれたときも、奇異な話とは思えなかった。この人たちの心がかつてどれほど脆かったのか、痛いほど伝わってくる。たまたま足を踏み出した道が少し異なっていたから、教える側と教えられる側という立ち位置の違いが生じているだけで、程度の差こそあれ、機能不全の家庭で内面に激しい怒りを抱えながら、自分の無念を天井から見下ろして生きてきた同志なんだと思った。私だってもしかして条件が合えば、酒ではなくてヘロインを買って、血を吐いて死んでいたかもしれない。
 
こういった人たちとの経験が今の私を作ってくれて、子供たちにも大事なひとにも、あなたが世界中の人から石もて追われても、私は傍にいて一緒にその痛みを受けたいと思える。たとえあなたが人を殺めたとしても、私は絶対にあなたの味方でいる。家族は多くの場合あてにならないことを、私は痛いほど知っているから。その代わり、誰の手を握るかは、私という存在すべてをかけて見極めていきたい。自由な仕事のやり方を選択するのも、そのためかもしれない。
 
実はたくさんいる。
乖離しつつ生きている人たち、身体への痛みや病として心の嘆きを受け止めている人たち。ほんとうはお兄ちゃんもそうで、この世でどうにか生き延びようとする仲間だった。だから、私たちはあんなに仲良くなれたと思う。
 
すべての痛みは心にある。あなたの腰には痛む深い理由がある。でも諦めなくてもいい。きっと楽になれる。私も何度も死のうと思ったけれど、今こうしてあなたのそばにいることができる。私はあなたのその痛みに、内側から寄り添っていたい。ただあなたに体操を教えているふりをしながら。