蓮は泥中より発す

心身一如に生きるヨーガ教師の日記

№497 過去の美しい響き

封筒を開けば君の歩み寄るけはひ覚ゆるいにしへの文  与謝野晶子

 

 

 

JK剣士は急病である。公式発表によると。

昨夜、「明日休ませて下さい。お願いします。」と言われたのだが、ママにお願いされてもなあ。理由は、読書がしたいから。ほら、今あれですよ、魔法学校に入学してしまったから。

いや、でも、ちょっと待って。ダメだよ、そんなの。ママだって、本を読みたかったのに我慢して毎日学校に行ってたんだから!と反論したら、「そこ?!」と自分自身からツッコみが入った。


こういう時、我が家ではいかなる対応になるかというと、「もう高校生なんだから自分で決めなよ」ということになる。おさぼりして何かのツケが溜まるのなら、それをペイするのもあなたの仕事である。10月に久々の遠征に行ったとき、監督から「お前は我慢が足りないんだ。だからそこで一歩出て打たれてしまうんだ。生活がすべて剣道に表れるんだぞ!」と、めちゃくちゃ叱られたらしい。監督にはすべてバレバレなのである。
がんばれ、JK剣士。

 

 

昨日、ある方の過去のブログを拝読した。
いつも前を向いて、毎日を闘って生きておられるような艶やかな在りよう。師とは違う世界を私に見せて下さる方で、ご尊敬申し上げている。
ご自身の過去の言葉など、既にご興味もないことと思う。

でも、今、ようやくその言葉たちに触れることのできた私たちは、通奏低音のように揺るぎないなにかがそこに貫かれ、和音がさまざまに変化しつつ今につながっていることを感じ、言いしれぬ安心を覚える。変化すべきものは変わりゆき、だいじなものは盤石になりつつあるような。そしてこの数年の間にその方が為されてきたことを思い、これから先に為されていかれるであろうことを思う。
慈悲という親方に使い回されるというのは、こういうことなんだなと感じながら。

 

 

人は変化しながら生きる。昨日の私と今日の私は違う。また、そのように生きたいとずっと思ってきた。
20代の後半の、今よりももっとずっと愚かだったころ、今より少し若い方がよかったとか、もっと別の道もあったのではという話題が出る度に「そんな考え方は絶対に嫌だな」と思っていた。


私がかつていた世界では、時が止まっている。
だから私は自分が望めば、いつでもその当時の仲間に招じ入れられ、かつてと同じ“かよこ”として、かつて私がした失敗や活躍などを話題にお酒を飲むことができる。また、当時私のことを嫌いだった人が、未だに私のことを嫌っていたりすると聞き、新鮮な驚きを覚えたりする(まるで私はまだそこにいるようだ)。

正直言って、私はもう細かいことは覚えていない。かつてのことはエッセンスとしてわたしのなかに軌跡を残しているけれど、それで何時間も話をすることは難しい。それでも私が彼らと話をするのは、今もまだ変わらず、私のことを世話の焼ける子供のように思ってくれている人たちを大事に思うから。そしてその頃の自分を愛しく思うから。


苦しいと思いながら生き、この苦しみから脱したいと願ったとき、貪るように本を読んだ。昨日より今日、今日より明日と、知らなかったことに触れていくことができる喜び。たとえそのことが私を楽にすることも、賢くすることもなかったとしても、ある一つのことを知らなかった昨日の私より、今日の私の方がいいと思った。

だから私は、いつも昨日より今日の自分の方が好き。今日がどんなに苦しくても、今こんなふうでなかったらいいのにと思うこともしない。長い時間がかかったけれど、今日のところはこんな自分でもいいと思える。

これは「知足」の概念であって、ずっとこのままの自分でいいと言っているわけでは決してない。今この瞬間、間違いなく、ここにいるわたしそのものを確かに愛すると決めた意思であり、そこから始まっていく新しい何かの方向を向いていたいという、希望である。
ダメだ、足りないと思うことで開けていく未来と、今日の愚かな私でもいいと思いつつ、自らを抱き締めて向かう未来は、違うと思う。

 

 

私のクライエントさんは、まだ誰も知らない新しい世界を希求しながら生きていることが、言葉からも在りようからも痛いほど伝わってくる。人生なんとなくこれでいいかなと思い定めている人なら、たぶん私と話したら腹が立つと思う。だから私がかつていたところの人と話すときには、ニコニコ笑うだけ。あの頃からなにひとつ、学びも変化もしなかったように。人としてその人のことを大切に思う以上のことは、そこには要らないから。

 

懸命に世を生きている人たちが、痛みを抱え、眠れていない事実に向き合うとき、私の心はしんとして、涙が出そうになる。よく休めるようになった、というお声は、あなたがこれまで、どれほど浅い眠りでご自身を駆り立ててきたのかを示す言葉であり、これまで無意識であった苦しさを思うとき、私のなかに嘆きが溢れてくるような気がする。

 

前だけを見て進むあなたは、たぶんこれからもきっと、ご自身のことを「これでいい」とは言わないのだろう。
それなら私が代わりに、あなたの全存在に向かって言ってあげる。

今この瞬間のあなたが、私は好きと。