蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№486 死んだらダメ

なきひとはひかりをとほしゐたりけりこのわたくしはひかりをかへす  小池純代

 

  

数日前から今ひとつ元気が出ない。こういうときは、さらに気分が沈むようなことごとが耳に飛び込んでくる。
今日は暗い話を書こうと思っている。元気を出したい人は、読むのをやめてください。ごめんなさい。

 

 

思えば子どもの頃から、その折々に内面に在るものと外界に対峙する自分には乖離があったように思い、いまここでなにかをしている自分と、本当の自分は別もののように思っていた気がする。20代になるとその乖離は一段と強まり、いったい本当の自分なるものがあるのかないのかわからなくなったが、こんなに苦しいのであれば苦しんでいるのは本当の自分なのだろうと思っていた。

先日の中級講座で、段階が上がってしまうときの病理について改めて学んだが、なるほどそういうことであったかという気付きをもらった。ほんとうの自分なるものと、ペルソナの自分が統合される過程に味わった苦しみは今も覚えている。何年もかかった過酷な作業だったが、自己たる私にとって大きな価値のあることだった。

なのでたぶん、今の鬱々とした気分も人に聞いてもらえば「なんだ、たいしたことなかったな」ということになるのは理性ではわかっている。が、同時に、この過程を堪えるしかないこともわかっている。見えている表面的な現状は問題の核ではないことも、そして問題などそもそもどこにも存在しないことも。

 

 

長女を妊娠しているとき、精神的にはどん底の状態にあった。一度目の妊娠を早期流産で終えたショックから回復していなかったのだが、思えば当時利用していた医療機関の対応は最悪だった。早期流産は重い生理と同じようなものと言いながら、次の妊娠で無事子供を生むしか今の状態から脱する方法はないと、これは男性医師の言葉。助産師は未婚で出産経験がない。子宮内膜症を煩っており、自分は妊娠もできないかもしれないのに、子供ができただけいいじゃないかと言う。

20年経って初めて、あれは医療機関が女性にしでかす暴力のひとつであったと気付く。きっと、状況は今もさほど変わっていないのに違いない。昨日読んだ本にもそのことが指摘されていた。

ちなみに私は、妊娠出産を通じて、母親を含む女性親族のサポートをほとんど受けていない。なので、流産や妊娠がどれほど女性の心を苛むのか全くわからないまま、未熟な個人の一体験として苦しみと対峙した。こういったことは、過去数えきれないほどの女性が経験してきた集合的な経験であり、叡智もまた内包されているということを知らなかった。
これを読んでいる若い女性がいるのなら、親でなくともいいから、複数の出産経験があって、ただし心理的に器の広い女性にとことん頼るべきだ。経験を一般化するような人の話は聞かなくていい。あなたは、あなたにしか経験できない妊娠や出産の道を歩むのだから。


当時、マンションの7階に住んでいて、航空自衛隊岐阜基地各務原飛行場が一望のもとに見渡せた。例え仕事を休んでいても、朝8時には1stフライトで多数の航空機が訓練空域に向けて順次離陸していく様が見え、戦闘機が加速するときの爆音で窓が震えた。
余談だが、飛行場のある基地に勤務した自衛官なら、エンジン音で航空機を特定できるようになる。後にこのことが自分を悩ませ、家を捨てて逃げ出す羽目になろうとは思わなかった。

 

流産後ほどなく妊娠できたのに、この7階から飛び降りたら間違いなく死ねる、と思いながら飛行場を見ていた。そうすることなく今に到り、長女は美しく健やかに育った。受精前の母親の精神状態も、子の心身の健康状態に影響するとアーユルヴェーダでは言うので、この子の性格に生きにくいところがあるのだとしたらそれは私の責任であるのかもしれないし、この子がそういう状態の私をあえて選んでやってきてくれたのかもしれない。Yogaの専門家としての私は、後者の意見を選択したい。それは間違いなく、私という存在にとっての救いであった。

 

後年、この同じマンションの一階下から上司が飛び降りた。
女性を初めて配置する部署で勤務した際、「女にこの仕事ができるものか」という声から、直属の上司として様々に守ってくれた人。沖縄出身で歌が上手く、お酒を飲んだら踊り出す。心根の優しい人だった。この上司のもとで私は自分の居場所をつくり、厳めしい上司や先輩たちに階級氏名ではなく「かよこ!」と呼ばれ、怒鳴られ愛されながら、航空機部品の巨大なモジュールを航空機牽引車やフォークリフトで運ぶ技術を身につけ、徹夜で航空機運用の後方支援をした。自分のあとに、多数の女性が続く礎をつくり得たと思う。

 

この部署で一緒に働いた人の、二人が自死している。
先述の上司、そして私が仕事を叩きこんだ後輩。その報に接したとき、「死ぬなよ!」と激しい怒りとともに思った。腹が立って仕様がなかった。弔問に行ったときにも、遺影を泣きながら睨みつけて心のなかで「バカ!!」と叫び、安らかに眠ってくれとは思わなかった。
でも、自分だってたまらなく苦しくて依願退職を選択したとき、誰にもほとんど相談しなかった。たまたま救ってくれる人に出会えたから結末が違っただけで、ほんとうは彼らと同じだ。

 

こういった過去の経験が自分のなかに詰まっている。今も私のなかにこの二人は確かに生き、突き動かすようにこの仕事をさせる力となっていると思う。「かよはどんな仕事をするのか?金に魂を売るか?」と語りかけてくる。

そして今日もまた「家族ってなんだよ?!」と思う。
だから子供たちとは「家族」という名称に甘えない人としての関係性を構築したいし、クライエントの方々や師匠方、友人とも同じくである。

 

主体的に人として生き、関わる先に人間関係が生まれる。
ただ家族であるだけでない信頼関係を育てることに力を注ぐか、新たな場で深い関係性を築いていくか、どちらでもいいと思う。ただ、愛し愛されているということを思い出してこの世を去る日を迎えて欲しい。どんな人も。

そして、死んだらだめ。どんなに苦しくても。お願いだから。