蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№320 ほんとうに見るということ

コロナウィルスの流行の中、感染症を題材とした小説等がよく読まれているようだ。
Twitterで紹介されていた「白の闇」を手に取ったが、読み始めると止まらず、明け方までかかって読み終えてしまった。

「白の闇」は、ポルトガル初のノーベル文学賞受賞者ジョゼ・サラマーゴの小説で、1995年に出版された(原題:Ensaio sobre a cegueira)。日本では2001年出版、2008年に新装版が文庫で出版されている。

 

白の闇 (河出文庫)

白の闇 (河出文庫)

 

 



原因不明の眼の症状がどんどん蔓延していく。
突然視覚を奪われた人たちは、伝染性の疾患であるということで隔離されるのだが、治療法もわからない上、看護してくれる人も、単に生活の世話をしてくれる人もいない状況の中で、文字通り手探りで新しい暮らしを確立しようともがき続ける。

このなかにたったひとり、目が見える人物がいた。
夫を心配して、「見えない」と主張することで(「見える」という経験は主観的なもので、所見上障害がなければ確かめる術はないのだ)共に隔離状態に入った女性は、他のみなと同じように見えないふりをしつつも、実際にはすべてを目撃している。
自らは見えない、他の皆も見えないはずの状況の中で、人のふるまいは以前とは変容していく。突然見えなくなった人たちの生活は目を覆いたくなるような惨状なのだが、女はすべてを見ている、いや、見ざるを得ないのである。

隔離され、軍隊に監視され、食事すらも不足している。医薬品も無い、衛生状態も最悪である。施設内に収監されている人々にはわからないが、今この瞬間にも塀の外では次から次へとこの病が蔓延していっており、行政府も機能停止に陥っていたのだった。

この小説のラストは光明があるように見せつつも、「目が見えるといいながら誰も何も見ていないではないか」と語られる。

ロバート・J. リフトンの「ヒロシマを生き抜く ―精神史的考察」にあったと思うのだが、被爆時、その惨状を確かに「見た」人と、火傷や怪我により目を開けてみることができなかった人とでは、その体験に対する心理的な落差が非常に大きいそうだ。見なかった人にはその情景は無いに等しいのだから、トラウマ的な症状の発現や、その後の人生観にも大きな差が生じることは想像に難くない。

この小説の中には、もともと盲人だったのに隔離施設に紛れ込んでしまった人が登場するが、彼は元来見えないという生活を送ってきたので、視覚以外の方法で世界から情報を受け取る能力が非常に高い。
この小説を読んでから、読みかけだった「目の見えない人は世界をどう見ているのか」 (伊藤 亜紗 著・光文社新書) を本棚から引っ張り出して読了したのだが、目の見えない方には死角が無いそうである。江戸時代の全盲国学者塙保己一の「やれやれ、目明きとは不便なものよ」との言葉が紹介されているとおり、目が見えていることと引き換えに失っている能力がたくさんあるのだ。
小説の中でも、目が見えている女と視覚以外の感覚が非常に発達している男は、隔離施設内の立場の差により激しく対決することになるのだが、目に頼らない人の感覚の鋭さが伝わる秀逸な描写だった。

 

目が見える人たちは、情報取得の約8割を視覚に頼っていると言われる。
そのため「見えない」ことが不安で仕様がない。ヨーガクラスでも、まずこの視覚に頼ることを我慢してもらって、それ以外の感覚をフル稼働させて安心感を確立させる練習をしてもらう(心理的な不安感が強い方に対しては、この方法は使ってはならない)。

現在の状況の中で、テレワークやオンラインという形で仕事を行っている人も多いだろうが、視覚優位の生活をしてきた方がとって、この様な形態の業務遂行は非常にストレスフルだろうと容易に想像できる。
来週から本格的にオンラインでのクラスを行うことになったが、指導者を見ても楽になることはないヨーガという取り組みを通じて、視覚以外の感覚を養い、ストレス耐性を育てて欲しいと願っている。

 

この小説は、2008年にフェルナンド・メイレレス監督によって『ブラインドネス』として映画化されている。多様な人種構成でキャスティングされたとのことで、日本人では伊勢谷友介木村佳乃が出演している。映画は小説に比べて、希望を残した結末にまとめていると感じた。小説も映画も素晴らしい。ぜひどちらも手に取ってみて欲しい。
小説は二編の続編があるそうだが、残念ながら日本語訳はない。これを機に翻訳の動きがあればありがたい。

思いもよらないことは起こり得る。自分が「確かだ」と思っていた世界が崩れることはあるのだ、ということを、既に震災等で経験された方もおられるが、未体験の人も多いだろう。確かなものなど何もないからこそ、既存の枠組みに依存しない生き方の指針や、自己の内面の確固たる安心感を確立して生きねばならない。

見えているといいながら、見ていないような生き方をしないためには、どうすればいいのか。この作品は、私の中に大きな宿題を遺した。今後、このことをしっかり心に留めて生きたい。

余談だが、映画の主要人物のひとりを、どこかで見たことがあるが誰だろう…とモヤモヤしていたのだが、あとで調べると“超人ハルク”だった。緑色じゃないからわからなかったな。