蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№441 泣くことしかできなくても

ホロコースト関連の書籍で、気になるものは手に取るようにしている。

ここ数年読んだもので特に印象に残っているものを新しい順に挙げると、
ヨーゼフ・メンゲレの逃亡」「ニュルンベルク合流」、
そしてようやく映画化された「HHhH」だろうか。

そして今回、サンティアゴ・H・アミゴレナの「内なるゲットー」を手に取った。
さらっと読み進めることができる小説だ。表面的には。

 

1940年9月、ブエノスアイレスに暮す38歳のユダヤ人、ビセンテ。彼が主人公。

儚いくらい繊細な顔立ち、唇、眉、ほっそりした鼻、口髭は東洋の書道家の巧みな筆で描かれたように精妙。
義父が結婚前に、《正直者にしてはやけにめかしこんでいる》と胡散臭く感じるほど華のある青年だ。

ビセンテは1928年に親友と共にポーランドを離れたが、彼の地にはまだ母と兄夫婦がいる。
母から何度も手紙を懇望されながら、面倒がってなかなか出さない。母からは月に数度の便りがある。
ヨーロッパ情勢の変化を見て周囲の友人たちは家族を呼び寄せるが、ビセンテは積極的には動かない。でも、万が一母たちに何事かあれば、助けるのはこの自分だと思っていた。

次第に母からの便りが遠のくことにビセンテは何事かを感じ取るのだが、ブエノスアイレスでなくても、その当時のナチスの勢力下でどんな事態が進行しているのか、誰も知ることはできなかったし、その真実の一端に触れるための情報には真剣に向き合わなかった。
「こんなことが本当のはずがない。とんだ捏造だ。」と。

主人公は家族、とりわけ母を案じ、自分の内に籠っていく。
真実を知ることから逃げるように、妻や子供にも心を閉ざしていくが、1943年5月母から最後となる手紙が届く。


私たちは今この時代にあって、あの頃起こったことを俯瞰して理解した気になることができる。
過去や歴史に学ぼうと思っていたりする。

あそこで起こったことを今私たちが知ることができるのは、あの環境の中から生還した人たちがいるからであり、体制側にいながら真実を知らしめようと苦悩した人がいるから。

そしてもっと多くの、大切な人を失った人たちのなかの勇気ある人たちが、その痛みを乗り越えて、なぜどのようにして愛する人たちが死ななければならなかったのかを後世に伝えようとしてくれたからだ。

ビセンテは語らないことを選んだ。
誰にも。

母を案じ続けた四年の内に、若きダンディーの面影はひとかけらもなくなり、年寄りじみた親父になった。誰も、なぜ彼がたった四年であんなに老け込んだのかと首をひねった。


この本は、ビセンテの孫が書いた小説だ。
曾祖母が当時ポーランドから出した便りは、今も現存しているという。
ビセンテは語らなかったが、血脈を通じて彼の嘆きは小説となり、私の心を打つ。

今春、コロナ禍のなかで、著者アミゴレナは次のような問いを投げかけた。
「現在われわれが躍起になって救おうとしている命は、ふだんから飢餓や気候変動、戦争で失われている命よりたいせつなのだろうか? 」

著者は「物事は循環すると考え」たいと述べ、今も非人道的なことは起きていて、それは語られないことを指摘している。


ここで私は、非人道的な行いには、もっとうんと小さなことも含まれていると言いたい。

誰かが、誰かのために、もう少しだけ何かをしてあげたら、その人は生きるのが楽になるかもしれないのに。
制度とか法律とかを盾にとって、自らの努力を放棄してはいないか。
そんな仕事の先に、泣き、苦しみ、生きる意欲を失ったり、もしかしたら自ら死を選ぶ人もいるかもしれないのに。
それが直接目に触れなければそのことを想像することも、共感することもない。

アイヒマンの仕事のすべては机上で為されたことを、私もかつて国家公務員として事務に当たっていたことがあるからこそ、戦慄と共に想像する。

自分が知ることのできた事実にただ泣くことしかできないとしても、「なんとかならないのか」という慟哭の思いと共に、生きることができればと願う。

 

内なるゲットー

内なるゲットー