蓮は泥中より発す

心身一如に生きるヨーガ教師の日記

№440 先生としての原点

「もしその混迷に陥っている観念やそのほかの観念は見には属さない、と知れば、その人こそ疑いなく、ヨーガ行者の中の最も優れたものであり、他のものはそうではない。」
  ウパデーシャ・サーハスリーⅠ 12-7

 

 

ふとしたきっかけで、昔のことを思い出した。
22歳の冬、思いがけず昇任してしまった。同期の誰よりも、先輩よりも早く、すれ違う知らない人に嫌味を言われるようなタイミングだった。当時の恋人は辞退してくれと泣いた。

そこから3か月、山口県の教育隊で昇任にともなう訓練課程に入った。
小グループ(10数名)の指揮官としての教育。

この小グループが任務遂行時の最小単位であり、最も上官と部下の結びつきが強くなる。

いざというとき「命が危うい任務をお前がやってくれ」と直接伝え、従わせるのが、このリーダーの最も大事な役目である、と私は認識している。

 

約100名の大隊が2個。大隊を半分に分けて2個小隊とする。
小隊を4個に分けた「班」という単位で主に活動をする。
班の人数は12名くらいだったと記憶しているが、うち女性は私1人、しかもほぼ最年少という環境。100名中、女性隊員は8名程だった。

航空自衛隊の、さまざまな職種の者が雑多に集まる集団。
皆その職種で3~10年ほど勤務してきており、それぞれの職域が持つ独特の雰囲気を身にまとっている。絶対にその職務内容について語ってはならない先輩もいた(情報関係)。

そこでは戦闘訓練や基本教練における指揮行動、関連法規などを学ぶのだが、印象に残っているのが「指揮統御」の授業。
現れた小隊長が「今日は映像教材を見てもらう」とモニターに映し出したのが、映画「ランボー」。
そう、あれ。スタローンさんの、1982年の。

まさか皆さんの中に「ランボー」をただのアクション映画と思っている人はいないですよね? ちなみに私はこの教育以前に見たことがなかったので、ただのアクション映画だと思っていた。「なぜ指揮統御でランボーなの…」と。

ランボーは決して好戦的なキャラクターではない。それどころか戦いはしたくないし、何なら戦うことも含めた世のなかのあれやこれやから距離を置きたい、というかとにかく放っておいてほしいと常に願っている。
 戦地での苛烈な経験で精神を病んだベトナム帰還兵、ジョン・ランボーが米国ワシントン州の田舎町で迫害を受け、自らの身を守るために暴走する。映画のトーンは寒々しく沈鬱で、70年代帰還兵ものの流れを汲む作品。」
(「最新作に向けて『ランボー』4作を履修!」より https://www.banger.jp/movie/35098/

ランボーは、トラウマを負った帰還兵。
戦闘行為にまつわる強烈なトラウマがあって、平和な街の住人による心無い意地悪によって過去の記憶がフラッシュバックして、理性的な行動がとれなくなる。でも平和な街の人たちに彼の気持ちが理解できるわけがない。それは仕様がないこと。

ランボーの気持ちを理解して彼の行動を止めることができるのは、軍隊や戦闘行動、そしてそれに伴う心理を理解している上官だけだった。
だから、指揮統御の授業にこれを見ることは、正しい。

人は言葉で表面的には指揮できるけれど、最終的には言葉でないものでしか統御できない(動かされない)し、それができなければ任務達成もできないことについて、この課程で私は学んでしまった。


その数年後、新採用隊員(数日前まで高校生だった女子たち)の指導教官も経験したが、教官は上官でもあるからこそ「大丈夫?」「がんばって!」などという言葉はかけられない。一定の距離を保つ必要がある。
でも「無事に課程修了させて、部隊に送り出す。絶対に挫折させない。必ず守る。」という強い意思をもって教育に当たっていて、それを言葉ではないもので伝え、挫けそうな瞬間に手ではないもので支え、長期的な視野を持って育てていく義務がある。
訓練だけこなせても意味がない。部隊において、女性隊員としてのハンディを抱えながら現実の任務に当たれなければ。

日ごとに、できなかったことができるようになる。
仲間と喧嘩してもどこにも逃げられない。家に帰りたくなる。
そういう様子を見ながら、でも少しずつ育っていく学生を見て涙がこみ上げていた。
今、思い出しても泣ける。

自衛隊で先生役を経験してから、私は涙脆くなった。「目頭熱い班長」と呼ばれていた。

あの若い日の訓練から、私の「先生人生」は始まっていると思う。
全くやったことがないことでも、誰でも、学ぶことで出来るようになるということを信じているのも、サトルボディで場をハンドリングできるのも、たぶんそのお蔭。