昨日、かなりショックなことがあった。
家族と、お世話になっている先生双方に絡む、私にとっては大事件だった。
ここには書きたくないくらいの事件。
昨晩から今朝までそのことについてあれこれと考え、見た夢のなかで怒り狂っていた。
花束で人を叩きながら、怒り狂って叫んでいた。
もちろん眠りの質も悪いらしく、朝起きたのに疲労感でいっぱいという始末。
とは言え、できることをやって何かしらの「片」をつけねばらないので、今日はその算段をし、今赦される限りの手を打ったつもりだ。
心のうちを理解してくれた長女が、サポートをしてくれたのが有難かった。
今日はゆっくり眠れるかな。
さて、「ヒロシマを生き抜く」を読み進めつつ、息抜き本としてエドワード・ケアリー「おちび」を準備してみた。蝋人形で有名なマダム・タッソーの伝記とのこと。
イラストも豊富で楽しく読めそうだ。
「ヒロシマ…」の方だが、考えつつ読んでいる。
私は長崎で育った。長崎では、被爆者手帳を持っている方は医療費が全額免除だ。たぶんこれは広島市も同じだろう。
このことについて、母が「風邪までタダとは許せん」と発言していたのを聞き、「大きな不安を抱えつつ生きている人たちに対して、なんて狭量な!」子供ながらに憤慨したのだが、この母の言葉も実は一理あるんだな、とこの本を思って感じたのだ。
例えば青年期のニキビまでもが、原爆に起因しているかのようなストーリーができあがり、自らの苦しさや人生のうまくいかないことがすべて原爆のせいにされている様をリフトンが指摘している。
人間は思った通りになる、というか、思ったとおりにしかならないんだなあ、ということを、生徒さんを通じてしみじみと感じてきたのだが、ここでは「私は被爆者だから」という思いが、自分の人生におけるネガティブな側面を肯定する根拠にされているのだった。
ふと思う。
自分も、物事のうまくいかぬ面、得意でない点を、何か一点に還元してしまって、単純化して考えてやしないか。
ある一つの悩みも、実は多元的な要因があってそこに生じているはずなのに、「~だから仕様が無い」と思い込んで思考停止に陥ることで、自分にとって容易な道に逃げ込んでいやしないか。
それって全然インテグラルじゃないよな。すごく貧しい思考だな。
物事の原因を多彩な側面から考えて、イージーな理由付けで簡単に断じてしまわないように気を付けなければならない。
新聞などメディアで統計を用いて提示された説に、すっかり巻き込まれてしまうことも指摘されていた。
例えば、1961年の山陽新聞「白血病増え続ける 原爆都市広島は癌の街でもある」というような衝撃的な言葉を目にして、それが正確な情報なのかどうかを冷静に考えられる人がどれくらいいるだろうかとも思うが、そこで踏みとどまれる自分でありたいと願う。