蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№345 からだに宿る智慧

「愚者たちはヴェーダ聖典の言葉に学び、ヴェーダ聖典の目的とするもの以外になにもありはしないと主張する」 バガヴァッド・ギーターⅡ-42

インドに「パンチャタントラ」という書物がある。

何百年も前のこと、インドの南の国に三人の息子を持つ王がいた。
息子たちは馬鹿な上に大の勉強嫌い。どんな先生もこの三人に勉強を教えられなかったのだが、ヴィシュヌ・シャルマンという賢者が、鳥や獣も登場する短く楽しいお話を通じて、息子たちそれぞれに人生の智慧を悟らせた。

これが「パンチャタントラ」の成立した経緯だそうで、その教えは、幸せな人生を送るためには、用心深さ、幸運、挫けぬ勇気、友情、そして学ぶことが欠かせないよということ。

さて、このなかに「学問」について語っているお話がある。概略をご紹介したい。

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パンチャタントラより 「学問は身を滅ぼす」

むかしむかし、あるところに4人のともだちがいました。とても仲良しでした。
4人のうち3人は学問が大好きな、俗にいう学者バカ。ちょっと常識に欠けているところがあります。
あとのひとりは学問には興味がない落ちこぼれですが、世間を渡っていく知恵は十分に身につけていました。

ある日4人は自分たちの将来について語りあい、旅に出ることにしました。色んなひとに会って教養を磨きたい。王様や貴族に目をかけられたり、お金もうけもできるかも…などと想像します。

でも、学問好きな3人はその学問を用いて旅を乗り切れるだろうが、落ちこぼれは足手まといになるかも…という意見が出ます。話し合いの末、やっぱり4人は昔からのともだちなんだし、一緒に出かけようということになりました。

さて、長い旅に出発してすぐのこと。
うっそうとした森に差しかかった4人は動物の骨を見つけました。学問好きの3人は自分たちが習った蘇生術を試してみたくなります。
落ちこぼれがおずおずと口をはさみ、「これはたぶんライオンの骨だよ、生き返られせないほうがいいよ…」というのですが、学問好きの3人は怒ります。落ちこぼれになにがわかる?!黙っておけ!というわけです。

3人の怒りに触れ、落ちこぼれはそれ以上なにも言えず、近くの高い木に登るまで少し待ってくれと頼みます。

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ライオンは見事に蘇生した。
骨からライオンを生き返らせられるとは、3人は実に優秀だった!

オチは想像つくと思うが、蘇生したライオンに3人は食べられた。きっとものすごくお腹が空いていたんだよな。

すべてが終わった後に木から降りてきたひとりが、「学問ってやつは、身を滅ぼすんだねえ」とつぶやく。

どんな智慧も、「生きる」ということ、そして身体に根差していてほしいと思う。
今、トラウマやPTSDの治療は、身体からのアプローチによって進められる方が効果が出やすいということがわかってきている。

理性的に頭で考えたことだけで、人が変化や変容を手にしたりすることはなかなか難しい。
調子が良い時は「うまくいった」と思うのだが、身体に根差していない知識は強いストレスがかかると容易に消え去ってしまい、活用できなくなる。

だからこそ、からだの動きや呼吸の方法などを体得することを学び、からだのなかに確かな安心感という錨を落としていくのだ。

それは時間のかかる面倒な方法なのだが、一度体得すれば決して奪われない確かなものであり、あなたの財産となるだろう。