蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№302 自分のなかにあって、最も力強いもの

ヨーガ的な世界観では、人間は五層構造でできていると言われる。

残念ながら私は「霊視」が出来ないので、肉体以外の五臓を霊の眼で見ることができない。なので、目を閉じて感じてみる。

一番外側が肉体。
食物鞘と呼ばれ、五種類の粗雑元素(地・水・火・風:空)からできている。

ひとつ内側に入ると、生気鞘。
これは薄い膜で、肉体を活性化させている。
肉体の内外を問わず、その全域にわたって満ち溢れ、肉体が活動できるように生命力を送り込んでいる。外形は肉体と全く同じ形で、より精妙なものでできている。

以上の二つが「粗雑体」に含まれる。

頭蓋骨内部にあるブラフマランドラ(別名サハスラーラ)の内部が、私たちの微細体の居処。理智は楕円形をして輝いて見え、その頂上部に意思が輝いている。意思は同時に二つ以上の物体を知覚することができない。常に怠ることなく、理智からの判断を実行しようと努めている。また、意思は感覚器官の王と言われる。

理智とは理解能力のことで、二つの状態になり得る。
①真理を保有する状態
②目まぐるしく動く動性に、不純な暗性が混じった状態 =これが通常の状態

以上、二つが「微細体」であり、肉体の動きのすべては、この微細体から送られてくる力(知識・運動)や刺激によってのみ引き起こされる。

もう一つの「元因体」が、微細体内部に満ち溢れており、ここから微細体へと生命力を送っている。これは微細体よりさらに精妙な体。
光の塊のように見えるが、本来は生命力がないものであり、その活動力を「歓喜鞘」から受け取っている。

以上三種の体(粗雑体・微細体・元因体)は、生命を持たぬものであり、五つの鞘ぜんぶの生命活動が生じるのは、生命(真我)がそこに宿っているからだ。

心臓空間内の奥深い洞窟(タネなしブドウくらいの楕円形の空間)に真我とブラフマンが宿っており、これが私たちの生命原理である。
真我は精妙にして極小、ブラフマンは万物の中にあって極大。
無始無終の存在。
この二つを霊視し得た者は、二極の対立する感情を克服できるとされている。

食物鞘と呼ばれる肉体が、私たちの生命原理(真我)を最も束縛しているもの。
肉体に病気や不調が生じる時に、肉体を何とかしようとしてもあまり意味がない。力とかエネルギーと呼ばれるものは、実は別の体から送られてくるものだからだ。このエネルギー(生命力)があれば、肉体は生き長らえ、そのすべての機能を果たすことができる。

しかしこの微細体もまた命を持つものでなく、その力は元因体から受け取っており、そのまた元因体も自分で生命力を生むことはできない。

となると、自分の心臓の中の小さな洞穴の中にある生命力そのものに、治癒を望まねばならないのだが、そのためには「自分が誰か」に気付かなければならないようだ。

ヨーガというアプローチ法に私は大いに助けられたが、サンスクリット語の専門用語なども難解であるが故に、その恩恵に浴するために、始めは身体的な形に捉われるのは致しかたない面もあるのかもしれない。
何度も言うが、表現法を考えて、“自分のなかにあって最も力強いもの”に働きかける術をみんなで練習したいものだ。

今日、久々に出雲大社さんにお参りしたのだが、大社さんにあるエネルギーと同質のものが自分のなかにもあるとしたら、ちょっとすごいではないか。