蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№188 上手くなるってどういうこと

先日聴いた、娘の後輩のお母さんの言葉が、喉に刺さった小骨のように気になり続けている。

「この学校に入って剣道が下手になった」と、道場の先生に言われたというのだ。
(道場の先生もどうかと思いますけどね!)
そのことについて娘に尋ねてみたことは、先日書いた。

私はもちろん剣道のことはよくわからない。ちなみに剣道歴はある。3か月!
女性自衛官の基本教育では、剣道が武道の必修科目として採用されているのだ。
(ちなみに銃剣道では初段。「掛け声初段」と言われ、大声出せたら取れると言われたが…)

なぜ気になり続けるのかというと、人が自ら変容・成長しようとする時の主体性について考え続けているから。

剣道が上手になりたいのは、いったい誰なのか。

私は子育てしながらも、自分のことしか考えて来なかったダメダメ母さんなのだが、それでも自分の事は自分で考え抜いてきたし、いつも今行っている活動を通じて「どうなっていきたいのか」を考えている。(うまくいかないことばっかり)

子供たちにも、自分の事は自分で考え抜いて決めて欲しい。
そこで転んだり、泣いたり、褒められたりする時もあるだろうから、応援したり、慰めたり、喜んだりするのが母さんの役目だと思っている。

昔、今よりももっとアホだったころの自分は、「勝って欲しい」とか思っていたような気がする。でもそんなこと思っていると、「うちの子は」勝てないと気付いた(勝てる子もいると思います)。あんなに暑い日も、こんなに寒い日にも剣道をすることだけで、すごいと思うことにした。

我が子が少し強くなれた根っこには、彼女なりの思いがある。
「こんなに辛いことを楽しいと思うためには、強くならなければ」と思った、というのは聴いたことがあるが、きっと他にも彼女なりの理由がある。結果よりも、自分でそこを考え抜いた上で行動したことに、私は感動する。

だから尋ねたいのだ。「〇〇ちゃんはどうしたいのかな」って。

下手になった理由が、「ちゃんと指導をして貰えてないから」というような外向きの意識から発せられたものだったら、たぶんどこにいても無理なんだ。


娘に関して、「〇〇ちゃんは強いから」と最近よく言われるようになったが、うちの子のことを強いなんて、先生や先輩方は思ってない。ただ、彼女の、時々発揮される集中力については「マジすごい」と思っておられると思う。スイッチが入りさえすれば、ホントに強い!

あとは、私が勉強してきたことの成果で、「のんびりやって、たまには後退もしなよ」と思えているのは強みかもしれない。
スイッチ入って信じられない成果出しました
→その後落ち込んで、大スランプで負け続けました。
いいじゃないですか。上がったら下がるんですよ、それでまた上がるかもしれないし、上がらないかもしれない。どっちでもいいよ。

最後は「こうして生きて、剣道できてることに感謝しかないなあ!」と思える二極の対立の超越の境地に至ったとき、剣道もカルマ・ヨーガになる。
行為の結果に頓着せず、神に捧げよ。勝利にも敗北にも捉われず、ただ淡々と剣を振れ、ということなんじゃないかな。

ということを、「おんな武士道 ~剣道八段に挑む女性たち」の動画を見ながら思った。
小骨は刺さったまま。