蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№435 我を忘れ、肉体と共に

「人は、光に照らされている身体を、誤って発光体である、と見做すように、見者(=アートマン)であるかのように現れている心(統覚機能)を、 『わたしである』『見者である』と考える。」ウパデーシャ・サーハスリーⅠ 12-1

昨日、段級審査会(剣道)が開催された。
この状況下で本年度初の審査会となる。通常であれば7月に行われる。

三段(正式には「参段」と表記)を受験する娘の付き添いで会場に出向いたが、正確に言うと、送迎及び、無事合格した際の登録料支払い担当者である。

本日の審査会には、9級から1級、初段から三段の受験者が集まっており、学生だけでなく、少数ではあるが社会人受験者の方もおいでになった。

三段の審査の様子を拝見して思うところを書いてみたいが、私本人は剣道については何も知らないと了解した上で読んで頂きたい。


今回の三段受験者はわずか6名。
うち1名が女子で、男子の中に1人混じっての受験である。

昇段審査には、学科試験と実技試験、そして剣道形の試験がある。

学科では、剣道の理念や練習の際意識することを理解できているかを問われる。
娘によると、思わず“天の声”を期待してしまうほど難しいそうだ。
ちなみに剣道の理念とは、「剣道は剣の理法の修錬による人間形成の道である」。
全日本剣道連盟HPより https://www.kendo.or.jp/knowledge/kendo-concept/

実技試験は、私たちがふつう認識しているスタイルで行われる(地稽古形式)。
勝ち負けを問われるわけではなく、姿勢や攻め方、服装容儀などが評価されているらしい。

最後に形の試験がある。
「日本剣道形」というものがあり、真剣を用いることを想定した剣道で重要な動きすべてを凝縮したもの。
初段から形の試験が行われるが、その当時娘は形がまったくできず、泣きながら稽古していたと聞く。

さて、初段、二段と三段と、受験者の動作や様子がまったく違うのだ。

数年の歴の差でこんなにも違うものかと思うほど、雲泥の差がある。
一言でいうと「ゆっくりとした優雅な動き」が達成されており、見ていて惚れ惚れする。

どんなにゆっくり動こうと思っても、何かのきっかけで緊張してしまうと無意識に動作が速くなってしまい、それを制御するのが大変だとのこと。

ヨーガで感覚制御ができるようになる段階を「制感 プラティヤハーラ」というが、ただ決まった動作をこなすだけでなく、はやる心を抑えつつ肉体を制御できるようになる段階が、剣道だと三段あたりということなのだろう。

また、試験の際には相手がいて、「打太刀」か「仕太刀」をその場で指定され、どちらかの役を務めることになる。役によって動作が多少違うので、これに対応するのもなかなか大変だろうと思う。
当然相手との呼吸を合わせる必要があるが、当日初めて会う相手と演舞を行うことが多いので、これまで一度も一緒に稽古をしたことがない相手との協働作業を行いつつ、ともに合格を目指す。
これも相当なストレスがかかるものだろうと察する。もしお相手の技量が自分と相当に違っていたりしたらどうなることやら…

もう一つ、これは観客席から見ていてもわからないこと。
一連の動きの中で、たった一度だけ相手から視線が離れるときがあるそうだが、本来は外れるべきでないところで、視線が相手から離れてしまうことがあるという。

自分にのみ拘泥して、目の前の人の存在が意識できなくなる時、視線は外れるだろう。目の前の人との一体感を持って調和の中で動きがなされるとき、視線のことをあえて考えずとも、相手と繋がる重要な手段として視線は合い続けるだろう。


レイキのマスターが娘に与えて下さった問いがある。
試合に臨む際、「私は負けない」「私は勝つ」「みんな勝つ(だれも負けさせない)」という三つの思考だと、どれが一番力を発揮できるかと。

現実の勝負の世界でみんな勝つことはあり得ないが、「私が!」という我執を捨てるためには「みんな(双方)」という視点を確立させることが大事である。

そしてその「みんなで」という観点を持つとき、人は精妙な存在となり、肉体の重苦しさから解放される。そのとき勝ち負けは超越され、目の前の人と共に何かを為す一体感と至福が現れ出てくるに違いない。

剣道の目指す境地では、たぶん勝ち負けは表面的なことに過ぎず、自己存在(真の私そのもの)が心やからだと一体になったときに自ずと現れる精妙な動きを、如何に呼び起こすかということなのかもしない。

一本を取ることが重要なのではない。茶道ならば、お茶を点てることが重要なのではない。ヨーガなら肉体で行うポーズにこだわることではない。
その先にある何かを見出したいとき、実際に自分の肉体を丁寧に用いた動作と、目の前の人を我と同じように大切に思うことが、大きな意味を持つことだろう。

 

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審査を待つ後ろ姿