蓮は泥中より発す

心身一如に生きるヨーガ教師の日記

№375 儀式をまえに

明日は、年に一度のグルプージャ祭に参加する。

日本の真言宗(別名・瑜伽宗)の護摩炊きの元になったのだろう“ホーマ”という火祭りをおこなって、この1年の御礼と、またこれからの1年の御加護を師と共に祈念する。

ヨーガは、人から人へと伝えられてきた。
あなたのヨーガにも、私のヨーガにも、それを伝えてくれた人がいる。

経糸が途切れなく続き、誰も伝えることを諦めなかったからこそ、今ここで私がヨーガの智慧に与れることを、歴代の師匠(Guru)に感謝(pūjā)する儀式である。

インド・リシケシのアシュラムでは毎年夏至の日に儀式が行われ、その後日本でも全国数か所で開催されるが、今年はもちろん(残念ながら)オンラインである。

2008年頃、ヒマラヤから導師が来日された折に、私も聖名を拝受した。
なので、私もこの経糸のなかのひとりとして正式に加えて頂くことができ許され、毎年夏至の前にはお手紙を頂戴する。

儀式ではどんなことをするかと言うと、みなで真言を唱える中、まず「大先生=師匠の先生」のお写真に対し礼拝、花などを捧げる。この真言読誦は儀式が終わるまでずっと続けられるのだが、読誦と言っても歌を歌っているようなもので、とても美しい。

礼拝の後、師匠から左手に「赤い糸」を巻いてもらう。
運命の赤い糸である(本当に、その由来になったものらしい)。

そして眉間の、アジュナ・チャクラ(第3の目)に赤いしるしをつけて頂く。
インド人の額にあるアレ。ただし擦ったら取れる。
昔は、恥ずかしいので儀式後に拭っていたが、最近はこのまま買い物にも行ってしまう。腹が据わったのか、人の目など気にならなくなったのか。

赤い糸を巻いて、額に赤いしるしを付けたみんなで護摩を焚く。
真言を唱えながら抹香をまき、聖水をまき、ギー(サンボを食べようとしたトラがぐるぐる回っているうちに、これになった。バターを更に精製したもの)をまく。

そして護摩木をくべる。ひとり3本の護摩木に祈りを捧げながら、1本ずつくべる。

今年1年、ヨーガの智慧をどのように用いたのか。
そして次の1年、どのようにヨーガの智慧を用いていくのか。
もう一つの祈りはなんだったのか思い出せないのだが、自分の好きなことを祈るのではなく、ヨーガについて祈る。

最後はもう一度、師の前に進み出て木の実や甘菓子を頂戴する。
火の消えた炉を外に運び出し(移動式である。真言宗と比べると超簡易版。)、
軽食(果物とパン)、チャイを頂戴しながら、一人ひとりが順に一言ずつ思いを言葉にし、それぞれが師から一言頂き、散会となる。

明日の儀式はオンラインのため、糸を巻いてもらったり木の実をもらったりすることはできないが、それでもこの儀式を前に身を清めるため、今日の午後から断食をしている。

可笑しな話に聞こえるかもしれないが、私はかつて、ヨーガの神様(誰なんだろう?ブラフマン?)に「自らをヨーガに捧げると誓え」と言われた気がした。妄想かもしれない。しかしそれ以来、常にそのことを意識し、畏れつつ今に至る。

この業界に対して思うことは多々あるが、それはヨーガのごくわずかな側面のこと。
ひとりひとりが別々にわかれて存在しているように見えながら、実のところみなすべてがひとつであるという智慧に啓かせてくれる、大きな意味合いでのヨーガというものに、私はひれ伏している。

そして私を救ってくれたように、またどこかの誰かがヨーガによって救われるその連なりを、決して断たずに今生を生きたい。