蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№153 師匠の声

昨日午後、大阪から帰った。夕方に帰り着いた娘も無事迎え、7月20日から始まった怒涛の日々に一旦小休止が打たれた感じ。

後は9月の都道府県大会で、中学生としての主要な公式戦は終了することになる。
我が子は受験もないし、親としてもちょっと小休止の気分。


5月末に突然思い立ち、自分のヨーガを見つめ直すきっかけを見つけ出すために新たな活動に挑んでみたのだが、7月13日から本格的に始まったこの経験は何を意味していたのだろうか…。

改めて振り返ってみると、始めから「なんだか変だなあ、嫌な感じだなあ」という腹の底の感覚が多々あったことに気付くが、渦中では微妙な違和感を感じつつも流して来てしまった。今更反省してもと思いつつ、これも価値のある経験として自分の糧にしていかねばな、という思いである。

良かったことと言えば、自分のこれまでのくだらないこだわりが、どうでもよくなったこと。

「ヨーガ」すら卒業していけ、という声も以前から周囲で聴こえていたし、「ヨーガをも含んで超えて」自分の大事だと信じるところを伝え続けることをやり抜くためには、今の経験は貴重なものとなると思う。
なので、また違う目線で新しい経験に立ち向かっていきたい。


さて、今受講しているゼミナールでは、補助教材の録音をたくさん共有して頂ける。
最新のものは113番目!本当にありがたい。

先程聞いていたのは、「リフレクション・ジャーナル(内省のための文章)」の勧めについての音声なのだが、そのなかで、今回のゼミナール参加者で「自分自身の言葉で、自分自身の文章を書いて公開している方」のうちに、先生が私の名前も挙げて下さった。
他者から言葉を借りていない、その人固有の実存性が滲み出ていると。

実は私はWebに関しては全くと言っていいほど知識が無く、このブログの立ち上げも、デザイナーの友人が隣で指示してくれる通りに行い、名前の公開・非公開などについてもまったく考えず、ただ文章を書き連ねてきただけなのだが、音声の中で先生が「名前を出しておられないが」と言っておられるのを聴いて、「あちゃー」と思った。

しかし振り返るに、当初はまず自分の日記のようなものを公開することに激しい葛藤と抵抗があったし、自分の中の「何か」を振り切るようにして始めたような気もする。
実際、Facebookでシェアすることで内容に対して思いもよらぬ反響が来て打ちのめされたこともある。

でもだんだんと、そういうこともどうでもよくなってきたところでの、今回の先生のお言葉だったので、デザイン変更について、知恵のある人にご相談して、名をはっきり出して文章を綴ることをやっていこうと思う。

いやー、しみじみと、やってて良かったな!

*早速デザインを変更してみました。