蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№88 勉強の日

4月14日(日)分

7時から10時まで、ライブ配信による関西ラージャ・ヨーガ行に参加。
1時間の瞑想と、アサナ。
先輩弟子のHさんと師匠のダルシャナがとても面白い。Hさんは傍で聴いている者にとって学びの多い質問をして下さる素晴らしい先輩だ。海外での指導にご一緒させて頂いたこともあり、穏やかで円満なお人柄に私も支えられている。
今週末は広島で年に1度の研究総会があり、そこでお目に掛かった際にこのご質問の件について伺ってみよう。私自身の課題にとってもタイムリーな質問だった。

行が終わった後、少し遅刻して10時から予定されていた合奏に参加。
「末の契」の合奏も回を重ね、箏の方は演奏が纏まってきたとのお言葉を頂く。
弱押しの音程の合わせなど、細かい点も揃える練習をする。

ただ三絃の方は、この度演奏会に初めて参加される方が、特に後歌の部分で糸が合わない。師の糸と輪唱のようになって気になって仕様が無いため、三絃の音を聴かないようにして箏側の音を揃えていかねばならず、辛い。「三弦はこれから。まだまだ」と師も仰るので、私は私に求められていることを丁寧に行っていこう。

演奏会を辞退される方は実は多いのだが、私は初心の頃から師のご指導の下なるべく参加するよう努めてきた。
「芸は刺激を受けなければ伸びない」ということを、初代松音先生が仰られたという。

演奏会に参加するために、何カ月も同じ曲を弾き続けねばならず、その間、伝統曲の稽古が中断される。休日は合奏に時間を取られ、本番では長時間の待機や緊張下での演奏などに耐えなくてはならない。他の社中の先輩方にも気を遣うし、ご注意を受けることもある(師の教えと反することを言われることもある)。
こういう刺激を受けることで、自分の芸が伸びていくことが分かる。
ひとりでも命を削るような稽古ができる人もいると思うが、私は凡人なのでとても無理だ。なので、演奏会などの機会を通じて経験を積みたいと思う。

今日は学びの多い1日だった。